シノとオーボイスト

第4話 シノSide:オーボイストとの賭け

 先ほどから、奴隷女王シノは沈黙していた。贅をこらした馬車は、新興貴族オーボイストの趣味を反映し、異常に承認欲求の強い自己を誇示するかのように、光り輝く。

 オーボイストもまた、沈黙を守っていた。彼は、物憂げな黒い瞳をシノに投げかける。その銀髪は肩まで届き、それを女物の小さなリボンで結んでいる。この赤く細いサテンの紐が、どこか人工的な彼の表情にすごみのある色気を加え、人目を引くものがあった。

 シノの座席は、オーボイストの目の前にしつらえられていた。彼のまわりに侍り、気を散じて娯楽を担う卑しい道化や吟遊詩人達は、眉をひそめた。そして、愛を奪われた寵姫たちの噂話が馬に乗って疾走するように、彼らの不満は夜の闇に溶けていく。

「シノ・カグラ・トウギ」

 主人がその深いバリトンで女王を呼ぶ。シノは視線を合わせようともせずにその声を無視した。まるで、自分と夫のリュウ以外にはこの世に存在せぬものであるかのように。

「おい、奴隷!貴様、ここをどこだと・・・・・・」

 ひとりの佞臣が腕を振り上げたが、その太い丸太のような腕を、シノは軽々と止めてみせた。あまりの強力に締め付けられた家来は、苦悶の声を上げた。

「ここがどこであるかなど知らぬ。我はシノ・カグラ・トウギ。奴隷ではない。貴様こそ陪臣の身の上で、無礼な」

 シノは、「黒き女豹」の異名に恥じない心意気と力を見せつけた。その右手には、不思議な唐草模様の入れ墨が彫ってある。彼女は、むきだしになった白い腕の入れ墨を主人のひそやかな視線から隠した。

「結構!女王よ、私はおまえの勇気と威厳を買ったのだ。楽しませてくれ」

 オーボイストは憂いを秘めた眼を揺らした。その青白い顔には血の気がないが、それが病的で狂気をはらんだ美を醸し出す。

「楽しませる?貴公は何か勘違いしているのではないか?我は道化でも奴隷でもない。娘子軍『血煙の乙女たち』の最高司令官にして、王位を受け継ぐトウギ家の嫡流だ。残念だが、貴公こそ我を楽しませてもらおう」

 シノは不適に笑った。そのしっとりと艶を含んだ黒い切り下げ髪に、馬車の明かりがゆらめいて光を落とした。

「そうか。あくまでも認めないのだな。よろしい、ひとつ賭けをしよう」

「賭け?」

「そうだ。愛する者の形見を私から奪ってみろ。成功すればその身を奴隷のくびきから解放しよう」

「形見とは」

「さあな。自分で見つけ出せ。形見は二つある。どちらが欠けても、解放は認めない。あとは、自分次第だな。女王よ。私はそのようなおまえを欲したのだ・・・・・・ああ、すべての情欲がこの身に集中する。このような高揚した気分は久しぶりだ・・・・・・。愛するあの方の他に、私が欲したおまえの心意気、とくと見せてみろ」

 くっくっとオーボイストは笑った。地獄の奥から冷気の漂うような、死臭を帯びたその凄惨な笑みは、シノを動揺させたが、彼女はぐっと踏みとどまった。

「ヒチリ!」

 不意にオーボイストが従者を呼ぶ。御者を務めていた彼は、振り向いた。

「屋敷に着いたら伽の支度だ」

 シノがはっと身構えると、少年は手綱を御して馬を止め、白い笑みを浮かべた。

「承知いたしました。シノ・カグラ・トウギ、心配はいらない。伽は毎夜このヒチリが務めている」

 シノはかすかに頬を赤く染めた。オーボイストは、満足げに体を揺らし、高笑いをした。


 オーボイスト・フォン・シュピーラーの邸宅へと、ヒチリの走らせる馬は疾駆する。シノは、窓から外を眺めやった。闇の中に、夫の顔を見たような気がした。

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