第3話 「美将軍」と「夜の貴婦人」

 シノとフォン・シュピーラーが去った後、奴隷市場では次なる奴隷の主人を求めて、またも競りが始まった。

 「さあ!元女王のシノ・カグラ・トウギはお買い上げいただきました。次は女王の背の君の番でごさいます。陵辱の楽しみはございませんが、あまたの激戦をくぐり抜けてきた屈強な肉体をもつ、この『美将軍』の体をもてあそぶ悦楽もまた、乙なものではございませんか。どなたさまでも、最初のご高声を」

 「美将軍」リュウ・アズマ・トウギは、引き据えられ、その鋼のように鍛え上げた浅黒い肉体を鞭で打たれた。

 鮮血がほとばしった。倒錯した客の好みに合ったのか、会場はいっそうの盛り上がりを見せた。マーケットの主は、この赤黒い体液がサディスティックな悦びにひたる客たちの一体感をもたらすことを熟知していた。

 「ぐっ・・・・・・」

 何度も鞭打たれ、さすがの歴戦の勇者も苦悶の声を漏らす。リュウは、自分より先にシノが売られていったことにかすかな安堵を覚えた。愛する新妻のまなざしに残る姿が、この情けないものでなかっただけましだと彼は思った。

 そのとき、黒くほのかに光る布きれが、リュウの目の前にひらひらと落ちてきた。血が目の中に入る痛みをこらえながら、彼はその布きれがなんであるか確かめようと目を見開いた。

(・・・・・・ふむ、英雄都市トゥーレ産のハンカチーフか。街の紋章がきらびやかな銀糸で縫い取ってある。持ち主のイニシャルはない。縁取りのレースは、ヘレ村産の手織りのもののようだ。こだわりの強い持ち主だな・・・・・・一体誰がこれを)

 そこまでリュウがハンカチから情報を読み取ったとき、かろやかな少女の声が場内に響いた。

「血をお拭きなさい。リュウ・アズマ・トウギ」

 リュウが目を上げると、光沢のない黒いドレスに黒いパールのネックレスをちらちらと見せ、黒い紗のヴェールの奥から彼を見つめるひとりの婦人と、そのおつきと思われる可憐な少女がこちらを見ていた。彼女たちに気づくと場内はまたもささやきがどよめきに変わった。

 「『夜の貴婦人』だ・・・・・・」

 「あの目に魅入られると、魔のものが憑くという・・・・・・早々に立ち去った方がよさそうね・・・・・・」

 少女は栗色のシニョンをちょっとなでた。「夜の貴婦人」と呼ばれた婦人は、少女の耳に何事かをささやき、また前を向いた。

 「売り物に傷をつけるとは何事か、との仰せです」

 「こ、これは失礼いたしました・・・・・・」

 市場の主は、思いがけない叱責に恐懼しながら合図をして、むち打ちをやめさせた。そして、リュウに与えられたハンカチをうやうやしく持ち主に返すべく家来を走らせると、彼の傷口はぼろ布で乱暴に拭いた。その様子を見ていた婦人は、また少女に向かって何かをささやく。彼女はそれを、場内によく通る澄み切った声で伝達する。

 「リュウ・アズマ・トウギは、このフレーテ様がお買い上げになるとのことです。異議は認めません」

 リュウは改めてこの奇怪な婦人を見上げた。彼女もこちらを見つめる。二人の視線はかち合った。

 「は・・・・・・他にご希望がございませんならば、この奴隷はフレーテ様のもとへお送りいたします」

 「お急ぎなさい。夜が来る。悦楽の夜が。フレーテ様は地獄へお帰りになるのです」

 少女は奇妙な笑みを浮かべた。マーケットの主は冗談だろうと愛想笑いする。

 「ほかにご希望がございませんので、この奴隷はフレーテ様の元へ」

 「代は即金で与えます」

 フレーテが立ち上がって去るのと同時に、おつきの少女は最高額面の紙幣を山と積み上げた木の箱を運ばせた。主は思わずみにくい笑いを浮かべた。


 「それでは、今回の市場はお開きとさせていただきます。みなさま、足をお運びくださいましてありがとう存じます」

 うわべだけの謝意を述べ、主は散会を告げた。客となった貴族たちは、帰りの馬車の中で今日の奴隷市場がどれほど見物であったかについて熱く語り合った。見ることがかなわなかった者に自慢しようと、自らの秘書に見聞をまとめさせる者もいた。

 彼らの一致した結論はこうであった。

 

 元女王と背の君は、地獄の腐臭漂う世界に連れ込まれ、きっと惨めな末路であろうと。


 

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