第5話  シノSide:「ミュッターの寵姫たち」

「シノ」

 ようやく二人きりとなったあの夜、夫がやさしく彼女を呼んだ。

 「ようやく・・・・・・おまえに触れることが出来る」

 シノは、白い絹の夜着をまとって、いっさい華美な装飾品などで飾られておらず、純潔を守ってきた彼女にふさわしい真っ白なリネンのシーツに、羽布団がしつえられた質素なベッドの前に立った。

 今夜は初夜。ベッドに腰掛けた花婿は、花嫁を自分の膝に座らせ、愛おしそうにその長い黒髪を手で梳いた。新妻は、頬を赤く染めて夫の愛撫に身をまかせていた。

「今日のおまえは、この世でもっとも美しい女人だったよ。手ずから縫ったドレスとレースのヴェールも見事だった」

 女王が結婚する際には、伝統に従えばヘレ村で編まれたレースのヴェールと、英雄都市トゥーレ特産の刺繍が施されたドレスが献上される。しかし、シノはそれを拒んだ。そして、自分の手で多忙な政務の合間を縫って衣装を作り上げた。それは、王族の結婚のためにお針子達が夜に日を継いで衣装を作り、中には蝋燭の下で行う細かい作業で目の光を失う者もいたからであった。

 シノは、いずれ執り行われる婚約者リュウとの結婚のために、誰も不幸にしたくはなかった。そのため、母女王が崩御して即位した際から、王族の衣装を作り献上する都市や村に補助金を出し、貧しい女性達の保護と新たな産業の振興に力を注いだのだった。

 女王としてまつりごとを行った日々はまだ短かったが、彼女は民に愛される慈愛の女王だった。

 サガク王国のトウギ家は、代々女系の一族で、女性のみが即位し政務を司る女王となる。それは、彼女たちが「音眼の一族」だったからである。「音眼」とは、トウギ家の女性だけが持つ特殊な能力で、その目は人の耳には聞こえない音楽を奏で、王国を外敵から守る「音楽障壁」を生み出す。

 この音楽には歌がついており、その歌詞はトウギ家が信仰する国教ミリアム教によると「見よ、聖なる乙女が敵を撃つ。その玉笛の音は民の希望」であるという。

 一般にはこの障壁の存在は知られておらず、国民は娘子軍「血煙の乙女たち」が国防を担っていると考えている。それは間違いではないが、障壁の存在はトウギ家を外患から守るために国家機密となっていた。

 トウギ家の女王は「調律の一族」たるオオミワ家から婿を迎える。彼らの爵位は代々公爵で、生まれつき男子はみな隻眼であった。失われた片目には義眼をはめており、残った片目は何ものかから保護するように黒い眼帯で隠されている。

 この婚姻は、いわゆる政略結婚であった。だがシノとリュウは幼なじみで、まだ片言しか離せない頃からそばにいて教育されてきたこともあって、そのころから淡い恋心を秘めてきた。

「調律の一族」からなぜ婿を迎えるのか。それは、代々初夜に花婿の口から花嫁に伝えられる機密である。シノも、この夜に女王としてこれを知るはずであった。

「リュウ。さあ、聞かせて。あなたたちの目の秘密を」

 シノがリュウに尋ねると、リュウはやさしい表情でシノの頬をなぞった。彼の片目を覆う眼帯の奥に隠された「何か」を知ることは、シノにとってなぜか恐ろしかった。それが、いつか愛する夫の身に不幸をもたらすような気がした。彼女は、どこまでも夫を守ろうと決意していた。

「シノ。それでは、秘密を話そう。我々『調律の一族』は--」

 リュウが甘い声でシノの小さく白い耳にささやくのと同時に、城内ででかすかにときの声が上がった。戦場で鍛え上げたシノの鋭敏な感覚は、それを聞き逃さなかった。

「何事なの」

 新妻はとっさに立ち上がった。

「女王陛下!公爵閣下!」

 寝室の外で寝ずの番を務める衛兵が大声で叫ぶ。

「何事か!」

「一大事でございます!くせ者が侵入いたしました!」

 シノはさっと駆け出し、寝室の椅子にきちんとかけられたガウンをはおった。リュウもそれに続く。二人は目配せしてうなずき合うと、部屋のドアを開けた。

 衛兵は、薄着の女王をできるだけ凝視しないように気を遣いながら話し出す。

「夜になり、警備が手薄になりましたところを賊に狙われたようでございます。しかし、どうやら内通者がいたようで、今日この日にどこにどのような兵が配置されていたのか知られていたようです」

「何だと・・・・・・」

 にわかには信じられなかった。呆然とするシノに代わってリュウが尋ねる。

「賊は何者だ」

「不明でございます。ただ、首謀者とみられる女を目撃した者がおります」

「どのような者だ」

「黒い外套をはおり、目深に頭巾をかぶっているとのことでございます。女の特徴はまだ確かめられておりません。ただ、長い栗色の髪を編んで垂らしていたことしか・・・・・・」

 そのとき、間近で剣で激しく闘う物音がした。反射的に武器を探すシノを、衛兵が押しととどめる。

 「ご無礼をお許しください!女王陛下、多勢に無勢でございます。どうかここは公爵閣下とともに城の抜け道から外へお逃げくださいませ」

 「我は『黒き女豹』ぞ。敵に背中を向けるなどと・・・・・・」

 シノは悔しさにぎりぎりと唇を噛む。血の味が口いっぱいに広がった。

 「シノ」

 リュウが耳打ちする。

 「割符紋を思え。何があっても、我らはこの入れ墨でつながっている」

 割符紋とは、シノとリュウが婚約していた際に、いつまでもお互いを想い、離れてもまた巡り会うように二人の腕に彫りつけた唐草模様の入れ墨で、二つを合わせて一つの模様となる。シノは、自らの紋に手を当てて目をそっと閉じた。

 きっと何があっても、わたくしとリュウの想いは一つ・・・・・・。

 そのとき、弓のひゅうと鳴る音がした。衛兵は血を流して倒れる。はっと見やると、廊下の曲がり角から賊が押し寄せてきた。

 物の具や武具を持たない夫婦は、あっという間に賊に捕縛された。

「リュウ!」

 叫ぶシノは屈強な数人の男によって口と目をふさがれる。「美将軍」もまた、十人もの巨漢に縛り上げられる。

 そして二人は、捕虜のように捕らえられたまま、奴隷市場に姿を現すまでどことも知れない暗い部屋の一室で、離ればなれに監禁されていた。そして、シノは艶やかな長い黒髪を切られた。断髪の理由はわからなかった。ただ、その髪型がよりによって未亡人を象徴する切り下げ髪だったことは、シノの不安と焦りをさらにかき立てのであった・・・・・・。。


 「リュウ?」

 夫を呼ぶ自分の声で、シノは目を覚ました。そこは昨夜連れ込まれたオーボイストの邸宅の一室であった。

 彼女は長い夢を見ていたのだ。そばにある樫の木でできた重厚な机には、玻璃の洋杯が置かれていた。

 そうだ、自分はここで飲み物を所望したのだ・・・・・・。

 ここに着いたシノは、喉がからからに渇いていた。そこに持ち込まれたのが、この洋杯であった。毒かもしれないという不安はあったが、シノは渇きに耐えられず一気に飲み干したのだった。

 「シノ様」

 ヒチリが静かに部屋の中に入ってきた。昨日シノを呼び捨てにした冷酷な従者の面影はなかった。未だ幼さの香りをまとったやさしげな笑みを浮かべた少年は、乱れた髪を整えベッドで身を起こすシノのそばに近寄ると、彼女の手を取った。

 「大丈夫ですか」

 「ええ」

 ヒチリの慈しむような柔らかい声に、思わずシノは言葉遣いを改め、穏やかに答えた。ヒチリはうれしそうに笑った。

 「シノ様、僕はヒチリキと申します。御前様からはヒチリと呼ばれております。シノ様も、どうぞ僕をよろしいようにお使いください」

 シノは、この少年の面影に、遠い昔と邂逅して懐かしむような、あの不思議な既視感を覚えた。リュウに似ているのか、それとももっと遠い過去の何かとつながっているのか。答えが出ぬまま、シノはヒチリをかわいく思った。

 「それでは、ご案内いたします」

 「どこへ連れて行くの」

 「ワン様の元です」

 「ワン?」

 シノは思わず身構える。ヒチリはシノの警戒を解くように、静かな水面を渡る風のような澄み切った声で会見を促した。

 「ワン様は、御前様の第一の寵姫です。御前様には、12の寵姫がいらっしゃいますが、皆様を通称『ミュッターの寵姫たち』とお呼びしております。どの御方もそれぞれ魅力を放っていらっしゃいます。シノ様は、この寵姫の方々と同じ『後宮』にお住まいいただきます。まずは、お召し替えを済まされたあと、この『後宮』第一の御方、ワン様のもとへ」

 「……わかりました」

 シノは、ヒチリの不思議な魅力に抗えず、素直にワンなる寵姫との会見を承諾した。早くオーボオイストとの賭けに勝ち、愛する

リュウに会いたい。シノは涙をぐっとこらえ、立ち上がった。彼女は目を伏せて割符紋に唇を寄せた。その様子を、ヒチリは愛おしそうに眺めていた。 

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