試された大地(原作:大地 鷲さん)

~プロローグ~



 、加瀬大地は職場である札幌市役所にいた。



 両親は「北の国から」に憧れて富良野へやってきて、そこで出会ったそうだ。俺の名前を決めたのも、好きだった松山千春の「大空と大地の中で」からもらったらしい。言うまでもなく、もう一つの候補は「大空」だった。

 ミーハーなところがある二人だから、市職員として札幌に就職が決まった時は、こっちが恥ずかしくなるくらい喜んでくれた。もし東京に就職していたら顔を見る機会も減っていただろうけれど、ここからなら二時間半もあれば車で帰ることが出来る。一人息子としては、親孝行のつもりで決めたのだ。


 札幌市役所は札幌の中心部である大通公園に面し、テレビ塔の北西に位置している。北一条雁気かりき通りを挟んで、目の前には時計台があり、札幌オリンピック開催を機としてその前年に建てられた庁舎からは、屋上にある展望回廊にてこれらの観光名所が見渡せる。

 十一月のこの時期は観光としてはオフシーズンだが、それでも平日の昼間にもかかわらず多くの観光客が市役所を訪れ、一階の市民ホールは賑わいを見せていた。


 この日は二階でカウンター業務を行っていた。市民部・戸籍住民課に配属されて半年が過ぎ、すっかり慣れて余裕も出てきた。

「今日はいい天気ですね」

「あぁ。雲一つない、まさに秋晴れと言った感じだな」

 窓口に訪れる人が途切れ、一息つきながら先輩の小泉さんと言葉を交わす。

「こんな日は、どこか知らないところへのんびりと行ってみたくなるよ」

 行くならばどこがいいかなぁと考えていたら……。


 初めは、遠くで女の子が甲高い声で叫んでいるような、そんな音が聞こえた気がする。

「あれっ?何か聞こえませんでしたか?」

「うん、何だ?この音は」

 徐々に高くなっていき、を感じるようになる。

 まるで飛行機に乗った時のように、耳に違和感が生じてきた。

 みんな業務の手を止め、顔を上げた――



 音にならない音を衝撃波として体が感じた。

 同時に、窓ガラスが次々と割れていく音がする。

 音の方を見ようにも、押しつぶされるような力が加わって体の自由が利かない。

 カウンターを両手で掴み、とっさに下へもぐりこむ。

 と、今度は急降下するような感覚に襲われた。

 垂直落下式の遊具にでも乗ったかのように、ふわりと浮く感覚。

 それが、どこまでも、どこまでも落ちていくかのように続いた。

 


 どれくらいの時間だったのだろう。

 ほんの数秒だったのかもしれないし、数分続いたのかもしれない。

 やっと止まった。

 そう感じてカウンター下から立ち上がると、そこは先ほどまで業務をしていた職場とは思えない光景だった。

「――小泉さんっ!」

 先輩は書架の下敷きになり、ありえない角度で首が曲がっていた。

「そんな……」

 あらためて辺りを見回すと、呆然と立ち尽くす人、けがをして呻いている人、電話を掛ける人……一体、何が起きたんだ?

「誰か来てくださいっ!」

 佐伯さんの声が聞こえた。

「課長が……」声の方へ行くと、水野課長が頭から血を流して倒れていた。

「佐伯さん、AEDを取ってきて!」

 先週に受けたばかりの救命士講習が、こんなに早く役立つなんて……。

「課長!聞こえますかっ!聞こえますかっ!」

 両手で心臓マッサージをしながら、声を掛ける。


「一体、どうなってるんだっ!」

 佐藤係長の怒声が響いた。

「消防や警察に掛けようにも、電話が通じないなんて……」

「災害用の衛星電話を使えば――」

「とっくに使ってるさ!衛星電話も通じないんだ!」

 AEDをセットしながら、言いようのない不安が沸き上がってきた。

『電気ショックが必要です。充電を行います』AEDから音声が流れる。 

「外が……。外が……」佐伯さんがうわ言のように呟いている。

『体から離れて下さい。点滅ボタンをしっかりと押してください』

 一階の市民フロアも騒がしい。

 もちろん、けが人も多いのだろうけれど、何か異様な雰囲気が伝わってくる。

『胸骨圧迫と人工呼吸を続けて下さい』

「加瀬、ちょっと一階を見てくる。課長は任せたぞ」佐藤係長が走っていった。

『心電図が変化したので、電気ショックを中止します』

 とりあえず水野課長の手当ては済んだ。あとは出血が止まってくれればいいけれど。


 ここで、はじめて窓の外を見た。

 ガラスのない窓越しの景色は――。


 俺は展望回廊へと階段を駆け上がった。




      *     *     *     *     *




 札幌の地下鉄・大通駅を中心とした半径約五キロの謎の陥没を、マスコミは〈大空落〉と呼んだ。まるでそこだけ空が落ちたかのように。

 はどこまで深いのか、の底はどうなっているのか、犠牲者は?救助方法は?

 何もかもが「分からない」ということだけがはっきりしていた。

 通信も途絶え、ヘリコプターも気流が乱れていて降下できず、ドローンを飛ばしても操作限界距離を超えてしまう。


 ただ、深く暗いがどこまでも続いているかのようだった。




      *     *     *     *     *




 息を切らして、展望回廊にたどり着いた。


 目の前には――何もなかった。


 ここから見えるはずの大通公園も、テレビ塔も、時計台も、何もかも。



 見渡す限り、赤茶色の荒れ地が続いていた。

 空も一面が雲に覆われ、茜色に染まっている。


「俺は……どこにいるんだ?」

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