小鳥の真実

 小鳥の一座が来て、数日が過ぎる。


 紳士がそろそろ引き上げるような様子を見せると、名残惜しいとばかりに子どもたちは押しかけた。ませた少女にしっかりものの双子、幼い恋人たち、様々な子どもたちが村人の制止など聞こえないとばかりに押しかけた。

 可憐な駒鳥の、華麗な舞台。

 二度と見られないだろうと、子どもたちは目に焼き付ける。この世のものとは思えない駒鳥たちを、そしてその駒鳥が演じる様々な様子を。

 駒鳥たちは、子どもたち自身と同じくらいの年頃であった。だからこそ余計に、子どもたちは駒鳥に夢中であるのだ。


 駒鳥の舞う舞台は複雑であった。


 一座の駒鳥たちは皆足を悪くしているようであったが、しかしそれに不自由を感じているような風は一切なかった。不器用に、器用に、舞い踊るのであった。

 薄明るい中で駒鳥は歌う。あるいは眩しいほどに明るい舞台の中央、光に溶け込むかのように駒鳥は鳴く。

 多くの子どもはおそらく、演じられていることの内容を理解できていなかったが、それでも駒鳥のひどく悲しげな様子は理解できた。悲しさも虚しさも、そういった負の感情全てが、駒鳥の美しさで綺麗に包まれている。


 駒鳥は、一言も喋らなかった。

 鳴き声を真似る、それだけ。


 その徹底された一座は、村人たちからは忌まれていた。その存在を認識するのも躊躇われるとばかりに、避けられていた。

 理由など、単純だった。


 あの山から、子どもを連れてやってきた。たったこれだけである。だが、たったこれだけのことであっても、村人にしてみれば最大の禁忌であったのだ。

 つまり、山へ行く夫婦というのは、行きは三人であるのだ。

 村は貧しい。限られた食物の中で暮らしていくためには、仕方がなかったのだ。


 あの山は、子を置く山であった。

 

 そのための祠であった。子どもを鎮めるため、神に許しを請うための祠であった。小間取の山といった村人もいたが、その名ももう聞かない。口にするのも憚られるのだろう。

 その山から、愛らしい子どもたちを大勢引き連れた紳士がやってきた。たとえその子どもたちが誰であろうと、あの山から下りてきた子どもというのは、村人たちにとっては禁忌以外のなにものでもなかった。 

 さらに加えて言うならば、子どもたちがみな足を悪くしていることも、村人たちにとっては気がかりでならないことであった。子どもたちが戻ってきてはいけないと、その足を奪ったのは村人たちであった。一座が慈善によって不自由な子どもたちを集めて旅をしているとも考えられたが、村人たちにそのような考えなど浮かぶはずもなかった。


 子どもたちにはそれらを伝えられるはずもない。無邪気な子どもたちは、己と同じくらいの年頃の子どもが不自由ながらも芸をする様を、喜んで見ているのだった。


「小鳥の一座がきましたよ」


 紳士の呼びかけに、村人は耳を塞ぐ。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 『こまどり』の鳴き声に、村人たちは揃って漏れなく耳を塞ぐ。

 村人たちには、何も聞こえていなかった。

 大きな鳥籠のような小屋など、見えてはいなかった。


「小鳥の一座が来ましたよ」


 そう。

 全ては、仕方がなかったのだ。


「最後の夜ですよ」


 小鳥の一座の最後の夜。

 村中の子どもが集まったのではないかというほどの賑わいだった。騒がしい小屋の中も、紳士の言葉一つで静まり返る。

 これが最後ですよ、と紳士。


「みなさん飽きずにありがとう」


 かつん。かつん、と杖をついて紳士は挨拶をする。子ども相手に、背の高い帽子を取って胸に当て、深く一礼。

 子どもたちは息を詰めて舞台を見つめる。

 舞台と客席の間に立つ鳥籠を思わせる白い鉄檻は、果たしてどちらが内側で外側か。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


「小鳥の一座へようこそ」


 紳士が杖をつく音が妙に反響する。


「小鳥の一座は小鳥の止まり木ですよ」


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 今宵で最後、小鳥の一座が羽ばたく。


 駒鳥の鳴き声を真似る子どもたちが舞う舞台。その姿は美しくも儚い。豪奢な衣装で華奢な身体を隠すようにして、舞い演じる駒鳥たち。いっそ痛ましかった。

 白い鉄の柵は檻である。象徴である。

 駒鳥が駒鳥であることの象徴であると同時に、駒鳥たちに行く先などないことの象徴である。だが、それゆえの救済の証でもあった。この檻が、鳥籠を模した小屋がある限り、駒鳥たちはここで羽を休めることが出来るのだ。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 舞台の上、幼い駒鳥たちはみな仲睦まじくあった。それぞれが手を取り合い、抱きしめあい、たとえどのような違いがあろうとも同じように過ごしていた。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 だが男と女は駒鳥たちを取り上げる。

 双子かつがいかのような駒鳥たちを残さず引き裂いて、永遠に別つのだ。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 たった一つ残した駒鳥を、男と女は選ぶ。この世に選ばれ、世界に愛されて目覚めたはずの駒鳥を、再び男と女とで選ぶのだ。

これだと決めると、早かった。連れ去るのだ、駒鳥を。最も無力でか弱い駒鳥を連れ去るのだ。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 男と女が駒鳥を連れて行く先は決まっていた、深い森のその奥である。祠である。

 怪しげな闇よりもなお罪深い夫婦は、三人で山を行くのだ。だが、山を降りるときは二人であった。

 駒鳥が二度と降りてくることがないようにと男が駒鳥の足を奪うことは、最早、村人たちの間では慣習でさえあった。暗黙の了解であった。


ひいん。からから。

ひいん。からから。


 夜陰に紛れて夫婦が捨て置いた駒鳥。

 それを拾う、絹帽を目深に被った紳士の姿。手を差し伸べたかどうか、分からない。だが駒鳥の丸い目と目深帽子の下の瞳は、確かにかち合ったといえる。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 こうして舞台は終わる。

 駒鳥はどこへも行けない。

 捨て置かれた駒鳥は、どこへも行けない。

 白い鉄柵の内側で嘆くこともなく、駒鳥たちは呪うべき相手も知らぬまま、不自由な自由にただ羽を休める。

 鳥籠のような小屋の中、憐れな鳴き声が響き続ける。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 鳥籠に、内側も外側もない。いつしか外側は内側に変じていく、柵の中は不変である。そこには善も悪も存在せず、生きるために子を捨てる者も、捨てられた子を哀れみ、拾い続ける者も同じであったのだ。

 駒鳥の丸く大きな黒目は、大空を映さない。しかしそもそも飛ぶことを知らないままに翼をもがれた駒鳥は、白い柵を眺めたまま、ただ、鳴く。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 一座が村に鳥籠を広げる最後の夜、反対にある山には今でも駒鳥の泣き声が響く。だが一座に属する子どもたちは、少なくとも子どもである間は決して、泣くことはなかった。


「それではまた、次の駒鳥が杖を取るまで」


 杖を片手にそう締めくくった紳士。

 小鳥の一座は、こうして村を去る。


 駒鳥の美しい衣装を脱いでもなお華やかに愛らしい装束の子どもたちが、危うげな所作で鳥籠を模した小屋を畳み、来たときと同じように荷車に積んでいく。

 憂鬱そうに伏せた瞳でそれを見やるのは、深い紫と金で織られた花嫁衣裳のような装束を纏う駒鳥であった。漆黒の髪に赤い花飾りを挿して、荷車から少し離れたところに、ぼんやりと立っている。足元から覗く金色が、光を鈍く反射していた。


 着々と進む片付けを見届けるように、駒鳥の隣に紳士が並んだ。そこに会話は、特にない。


 不意に、まだ残っていたらしい子どもが紳士たちの前へやってくる。


「いかがしました、もう終いですよ」

「みんな足が悪いの?」


 ほっそりした線の、ませた少女だった。恥ずかしげに俯きながら、しかし紳士の隣に立つ駒鳥をちらちらと窺いながら尋ねる。

 真っ直ぐな問いに、面食らったような紳士。一瞬反応が遅れる、その間に動いたのは駒鳥だった。

 無言のままだったが、小さく微笑を浮かべると、小さな手を命一杯伸ばして少女の頭を撫でた。少女はといえば顔を赤らめて身体を縮こまらせていたが、駒鳥の口元に刻まれる微笑というのは、これは紛れもなく、憐憫を含むものであった。

 ませた少女は折れそうなほどに細身で、ときおりひどく咳き込んでいたのを駒鳥は知っているのだ。それゆえの、この行動。


「あ、の、とても、きれいでした」


 上ずった少女の声。

 対する駒鳥は、口も開かなかった。


「それはありがとう。あなたもきっと、美しくなることでしょうね」


 紳士は駒鳥を後ろに下げて少女にそう言い、恭しく一礼。赤らめた頬のまま少女が走って遠くへ、それを見届けると、紳士はたしなめるように駒鳥を一瞥するのであった。つんとした様子の駒鳥は、崩されていく小屋の様子へ視線を戻す。


「きっと、美しくなりましょうね」


 溜め息混じり、紳士の言葉がぽつんと落ちた。


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