小鳥の見世物


 日が暮れ、ずいぶん経つ。

 村人たちが不安の中、子どもを寝かしつけて自分もまたうつらうつらと眠る頃である。これを見計らって子どもたちはぱっちりと目を開けて、村人とは違う不安に心を躍らせて家を出るのである。


 不安というと単純に、親の目を盗んで抜け出すこと、そしてこれから始まる未知のことへの不安である。


 雑木林を抜け、少し開けたところにある釣鐘を模したような小屋。

 そこへ子どもたちは集まった。

 一人、また一人と、吸い込まれるように小屋の中へと入っていく。


「小鳥の一座へようこそ」


 紳士の声は不思議なもので、ざわつく小屋の中でもあっても、さあっと広がって染み込むように、澄んで聞こえた。

 木の長椅子に腰掛けた子どもたちが、舞台の手前、自分たちのすぐ目の前にすらりと立った紳士を注視する。


 見慣れない背広に、背の高い艶やかな黒い帽子、磨かれた杖。それだけでも子どもの注意をひくには十分であったが、加えて紳士はこの小鳥の一座の座長である。

 未知を束ねる未知である。


「これからみなさまに見ていただきますのは、当座自慢の駒鳥たちのさえずりと羽ばたきです。哀れにも美しい、駒鳥たちをどうぞ、最後まで」


 席に腰掛けているのは幼い子どもも多く、おそらくこの紳士の言うことなどほとんど分かっていないだろう。だが、目で愉しむのがこの小屋であるらしい。

 紳士が大仰に一礼。

 人差し指を口元に当てて「しい」とやって微笑んで、杖をつく音もさせずにそっと脇に下がった。


 しんとした小屋の中。


 興奮にやられて少し荒くなる呼気さえも、消し去るかのような静寂が小屋を圧迫する。

 ゆっくりと明かりが落とされ、客席の先にある白い柵の向こう、舞台に置かれた燭台に灯る小さな明かりだけとなった。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 高い鳴き声が小屋いっぱいに響く。ただの布に囲われた小屋であるが、その響き方はぞっとするほどに美しかった。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 燭台の傍ら、そっと座り込む豪奢な着物姿がぼんやりと浮かびあがる。金糸と銀糸の縁がきらびやかな、椿模様。

 三つ指をついて一礼。ちらちらと揺れる蝋燭の火に照らされた白い頬に、艶やかな黒髪が映える。少女か少年かなどは関係がなかった。そこにあるのは、美しい駒鳥でしかなかった。

 子どもたちはすっかり魅入っているらしい。ぽかんと口を開いたまま、大きな目を見開いて舞台の方を向いている。

 

 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 ゆらりと立ち上がった着物姿。袖に大きく描かれた赤い椿が、ころんと散るかのように揺れた。背負う赤と金の太い帯は、小さな身体には不釣合いなほどに大きい。よろよろと動く矮躯は、雛鳥に似ている。よく見れば、片足が欠けているらしい。右のつま先だけが着物の裾から見えていた。

 燭台を取り上げた白い指先。赤に塗られたほっそりした爪が、金の燭台に眩しい。顔の傍に明かりが持ってこられてようやく、白い面に表情があることが見て取れる。愛らしい唇、大きな黒い瞳、それらが完璧な配置で収まった顔であった。中性的な顔立ちで、襟足を残して切られた髪型からも少年少女の区別はつけがたい。


 まさに駒鳥である。


 緩慢な動作で、駒鳥はふうっと蝋燭の火を消す。瞬く間に小屋の中は暗闇に呑み込まれたが、子どもたちは悲鳴の一つも上げない。それどころか何かを言う気配もない。

 波打ったように静まり返った小屋。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 駒鳥の鳴き声が、静けさを引き裂いた。高く澄んだ美しい声色が、静けさを破る。

 ぽつんぽつんと、舞台の両袖から順に、中央に向かって明かりが灯る。小さな両手で金色の燭台を持った、駒鳥である。

 左右、三人ずつ。目のすぐ上で一文字に揃えられた黒髪の駒鳥たちは、唇をすぼめてからからと声を合わせる。袖がゆらゆらと揺れて、椿と蝶の柄が見え隠れしていた。

 蝋燭の明かりから舞台の照明へと切り替わる頃、駒鳥たちはそっと舞台の奥へ身体を向ける。静静と、足を庇うようにゆっくりと、身を屈ませて三つ指をついたその先。ぱっと、一層明るく照らされた赤い椅子があった。柔らかそうな真紅の別珍が張られた椅子である。

 金が縁取る肘掛に翡翠か何かの宝石が所々を飾り、子どもたちの目には一体どう見えたことだろうか。まだ短い人生の中で、これほど豪華なものは見たことがないに違いなかった。


 舞台の袖から一際高い足音をさせて現れた新しい駒鳥は、洋装であった。深みのある赤い繻子で出来た、女性用の礼服姿であった。首元を飾る羽飾りが、歩みと僅かな風に吹かれてふわふわと揺れていた。

 漆黒の髪を小ぶりな帽子で押さえ、長く引きずる裾は、歩みの邪魔にならないようにと他の駒鳥たちがそっと持ち上げている。その裾が、きらりきらりと光を弾く。

 まるで西洋人形のようであった。

 抜けるように白い肌と、黒髪、そして洋服の色の差に、目が覚めるようであった。

 子どもたちでさえも、息を呑む。


 小鳥の一座の駒鳥の中で、最も美しいのがこの駒鳥であった。見目麗しいだけでない、一つ一つの所作が上品であった。

どこか浮世離れしている、ふんわりとした駒鳥は、大きく膨らんだ裾を自分でも持ち上げて、この駒鳥のために用意された椅子にそっと腰掛けた。

 小さな身体に不釣合いな椅子。

 足が覗くはずの裾からは、木製の細い棒が伸びる。金属の先端が、他の駒鳥とは違う足音をさせていたのだった。

 ふっくらとした袖から覗く、雪原のような色の指先が肘掛に乗せられる。伏せられていた瞳が、ゆっくり、ゆっくりと開かれ、長い睫毛に彩られた駒鳥の目が客席をくるりと見回した。

 白い鉄製の柵の向こうから、駒鳥が客席を見回している。美しく着飾った駒鳥は、檻の中から子どもたちを見回している。

 子どもたちは、檻の外から駒鳥を見つめている。まるで呪われたかのように、熱心に見つめている。


「……」


 人形めいた面に、表情はない。

 凍った表情は、それでも美しかった。人形のように美しかった。白磁器のような肌と、目の覚めるような赤の礼服、その裾から伸びる作り物の細い足。人形の部品で駒鳥を作ったかのようであった。


「……、……」


 と、駒鳥の唇が小さく動く。


 な。か。な。い。わ。


 微かに動いたそれだが、音を発することはない。ただ、口の形だけで言葉を紡ぐ。


 も。う。い。た。く。な。い。わ。


 だが、子どもたちには通じないらしい。

 熱心に見つめる子どもの視線は、揺らがなかった。毎度のことである。

 駒鳥は、小鳥であるのだ。

 駒鳥の囁きは無音のままに終わる。

 ただ、ほんの僅か、見間違いかと思うほどに微かに、駒鳥の口角が上がっていた。微笑である。その微笑が意味することは、何であろうか。おそらくそれは、柵の内側、舞台に佇む駒鳥たちしか知らない。


 こうして、この駒鳥を中心に優雅な舞台は続く。時に痛ましいほど激しく、時にぞっとするほど静かに、駒鳥は不自由さを感じさせることなくひらりひらりと舞う。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 東西、それぞれの衣装を身に纏う駒鳥たちが相見え、指先を絡めて抱きしめあう。着物の帯と、礼装の繻子とが絡み合う。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 しっかり指を絡めて向かい合った一組の駒鳥を、引き裂く別の駒鳥。

 黒い別珍の紳士服に身を包み、短い杖を振りぬく。さらに他の駒鳥が紳士服の駒鳥と共に、抱き合う駒鳥たちの間を次々に引き裂いていく。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 散り散りになった駒鳥たちがよろけながら舞台から去り、紳士と婦人を真似た駒鳥は玉座に収まる駒鳥の左右に立つ。

 駒鳥が、駒鳥を連れ去る。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 駒鳥が連れられた先、燭台を手にした狐面の駒鳥が並んでいる。木々の生い茂る青臭ささえ感じられる舞台の様子である。

 駒鳥を取り囲むつがいを模す駒鳥。振り上げた杖、それが下ろされる瞬間に、薄暗くなって様子がうやむやにされる。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 再びぼうっと明るくなった舞台上に一人残された駒鳥がそのまま身動きもせずにいると、また別の背広を着込んだ駒鳥がやってくる。


 ひいん。からから。

 ひいん。からから。


 西洋人形のような駒鳥の前に背広姿の駒鳥が立つと、そこで蝋燭の火が全て消えた。


――ひいん。からから。


 駒鳥の鳴き声は、それはそれはもの悲しく、心を引き裂かれるかのような悲鳴であった。口真似であったが、むしろそれゆえでもあるのかもしれない、ひどく憐れみを誘うものであった……。


 ゆっくりと、小屋の明かりがつく。


「小鳥の一座へようこそ」


 紳士の手が叩かれて、客たちは現実に引き戻された。

 妖艶な駒鳥たちの舞台は、子どもたちにとって理解しがたい、難しい内容であったかもしれない。だが、駒鳥は子どもの目を愉しませた、耳を愉しませた。

 華美な装飾の駒鳥、この世のものとは思えない鳴き声。子どもたちを夢中にするには十分であった。


 紳士が、かつん、と杖をつく。


「駒鳥の運命や、いかに!」


 今まで以上に芝居めいた口調で言い切る、その言葉を合図にしたように、小屋の明かりは再び落とされた。

 大きな釣鐘の形をした見世物小屋、小鳥の一座。

 その小屋はまるで、そう、あたかも鳥籠のようである。

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