小鳥の一座

 その村は貧しかった。

 痩せた土地で育つ穀物には限界があった。雨の少ないこの辺りでは、ほとんどのものが実をつける前に枯れてしまう。井戸などの水は濁ってしまうことも多く、全てのものが大体において足りていない村であった。

 貧しいながらも、しかしそれでもどうにかしてそれぞれがそれぞれなりに、生活していた。この上なく幸せだと言い切ることが出来ないかもしれない、だが子どもたちと親たちは共に暮らし、十二分に日々を過ごしていた。細々とであろうとも、日々を過ごすことができていた。


 村の南方には山があった。

 その山を越えると、この村よりも少し大きく、栄えた町がある。豊富な資源に加えて、この村とは異なり程よい雨にも恵まれている。食料には困らないし、働き口というものも多かった。だが、山を越えることは誰一人としてしない。山道は厳しいもので、村人たちの手持ちではとても超えることなど出来なかったらしいのだ。この村へやってくる物好きな者はそう多くはないのだから、必然的に村は孤立していた。

 時折、山へ出かける夫婦がいるが、その程度であった。町へ出かけるのではなく、山へと出かけるのである。花見や山菜取り、目的は様々だろう。

 

 山にはコマドリの美しい鳴き声が響く。

 村人はコマドリのその高く澄み渡った鳴き声に、耳を塞いでいた。

 

 それというのも、コマドリの鳴き声は山から響いてくるのである。

 山神でも恐れているかのように、あるいはもっと他の、祟りか何かを恐れているかのように、村人は山からのものを忌避していた。排除とまではいかないが、山を越えてくるもの、山を降りてくるものは、村人たちにとって歓迎するものではなかった。

 

 鬱蒼とした山は、重たく、村を隔絶する。

 それでも、山はなくてはならないものであった。

 その山というのは複雑に入り組んだ地形をしているらしい。木々が生い茂っているせいもあって、一度脇道へ逸れてしまうと元いた場所へ戻るのは困難なほどであった。

 人など丸呑みにしてしまうような獰猛な獣もいるだろう、毒をもつ蝶が飛ぶという噂もあった。

 何の知識もないままに、踏み均された道以外を歩くことは、不可能である。まして山中の奥へ置いてしまわれでもしたら、山から出るよりも先に意識が途絶える方が先であろう。


 山は険しいものの、一本道である。

 そこを上まで登り、左右に広がる木々のどちらか、その最奥、村人が作ったとされる祠があるらしいが、詳細は不明であった。何を祭るのか、あるいは何を鎮めるのか、知るのは村人だけである。

 恐ろしい山である。

 だが、響き渡る鳴き声というのは、美しく澄んで聞こえるのであった。どこまでも透明で一切の穢れもないような、寂寥をはらむ細い声であった。

 これに、村人は耳を塞ぐのである。

 恐ろしいとばかりに、聞こえない風を装うのである。


 さて。

 ある年、変わらぬ細々とした実りの中で、変わることなく村は息をしている。

 夏もとうに過ぎ、冬も近い秋の頃である。


「小鳥の一座が来ましたよ」


 山を越え、村に流浪の一座がやってきた。

 背広姿の紳士を先頭に、小さな子どもたちががらがらと荷車を引いて歩いてきた。

 背広の紳士は杖をつき、後ろを歩く子どもたちは皆ふらふらとして不安定な様子であった。子どもの中にはひょこひょこと歩く者もいれば、片足だけで跳ねている者もいた。それが全員力を合わせて荷車を引っ張って、やってきた。


 それら全てを含め、村人たちには見慣れない一団である。村の子どもにとっては初めて見る姿であった。

 異様なその集団に、子どもたちはどこか魅入られていた。自分たちと同じくらいの年頃の子どもたちが美しく着飾って歩くのは、まるで別の生き物の行列ようである。


「小鳥の一座が来ましたよ」


 紳士が杖を片手に、声を上げる。

 村人たちが遠巻きに見る中、小鳥の一座は歩みをとめることなく進んでいった。

紳士の杖が、小石を避けて土に突き立てられる。こ、こ、と鈍い音をさせて、磨かれた杖をついて紳士は進む。その後ろに続く子どもたちは美しい衣装の丈をお互いに持ち合い、ふらふらゆらゆらと身体を揺らしながら小さな歩幅で紳士に続く。

 潜められた、村人たちの話し声。


「あれはなんだ」

「見世物か」

「子どもなんかを引き連れて」

「あの山から下りてきたぞ」

「子どもを連れて下りてきたぞ」

「あの山から、子どもを連れて……」

「まさか」

「まさか」

「まさか」

「そんなことは!」


 村人たちの心は不安に揺らされていた。何が不安であるのかということを、全員が全員はっきりと言葉にすることはできない。だが、不安であったのだ。


 例えるなら、そう、死者が蘇ってしまうかのような、恐れ……。


「ふざけるな、誰かあれを追い返せ」

「誰か追い返せ、追い返せ」


 口々に囁きあうも、行動を起こすものなど誰一人としていやしない。皆が皆、誰か誰かと言うばかりである。

 皆、恐ろしいのである。

 目の前の現実が、恐ろしいのである。それはまるで、例えるならば、死してなお降りかかる呪いを恐れるような……。


「子どもを連れて下りてきたぞ」

「見てみろ、あの子どもを」

「一体幾つぐらいだ」

「一体何年くらいになるんだ」

「あれはなんだ」

「見世物などであるものか」

「あの足だ、足を見ろ」

「なんだ、なんだ、あの足は!」

「まさか」

「まさか」

「まさか」

「そんなことは!」


 そわそわと落ち着かない村人を尻目に、子どもたちは気になって仕方がないらしい。あれは何か、一体なにをするのか、口々に騒ぎ立てる。


「ねえ、みんななにするの?」

「足が悪いんじゃないかしら」

「それでなにをするの?」

「あのきれいなお着物はなあに?」

「うたうの?」

「踊るの?」

「お話をしてくれるのかなあ」

「ねえ、何をするのかしら?」

「ふらふらしてるよ!」

「足が痛いのか?」

「紙芝居? 人形劇?」

「なにするの?」

「何をするの?」

「なにをするの?」


 子どもの会話に気づいた紳士が、ふと足を止めた。列がゆらりと一瞬だけ崩れてから、ぴたりととまる。美しさも、ここまで揃うといっそ不気味なものである。


「やあやあ、みなさま」


 紳士の柔らかな声。

 針金のように細い紳士が杖をつく。


「小鳥の一座が来ましたよ」


 す、と両手を広げた紳士が、一同をぐるりと見回してみせた。村人には目もくれず、小さな客たちに紳士は言うのだ。


「小鳥の一座へお越しください」


 ませた少女が言う。


「わたしたち、まだおとなじゃないわ」

「とんでもない、見ていただくのに御歳など関係などありますか」


 幼い兄弟が口を揃えて言う。


「ぼくたち、おかねがないよ」

「とんでもない、見ていただくのに金品などいりません」


 紳士はどこまでも優しく、上品に微笑んで見せた。村人の目にそれはどう映ったか、はっと息を呑むものもいたが、子どもたちの歓声にすっかり掻き消されてしまった。


「自慢の駒鳥たちの姿を、どうぞ、是非」


 かつん、と紳士の杖がつかれる。


「心ゆくまで、ご堪能くだされば幸い」


 こうして貧しい村に、豪奢な一座がやってきた。あの山を越えてやってきた。


 村の一番奥、山の反対側。人の通りの少ない雑木林の、その少し開けたところに小屋を構える。一座の子どもたちが荷車から柱や布といったものを降ろし、あっという間に出来上がった小鳥の一座の見世物小屋。大きな釣鐘を思わせる影を落とす小屋は、どこまでも質素な様子であった。


 日も暮れた頃、こっそり子どもたちは抜け出して、この一座の小屋へ入るのだ。紳士の声に誘われるまま、入るのだ。

 そして村人が気づくよりも早く、子どもたちは元いた床へ戻る。柔らかな布団に潜り、興奮冷めやらぬ身体を横たえるのだ。




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