第7話 怒りのボンネット

 激おこぷんぷん丸なボンネットは今にも俺を射殺さんとばかりに睨みつけている……のだろう。多分。


「おいおい待ってくれ。これはクラリネットの方からしてきたことで、そして双方の合意も」

「うるさいだまれぇ!! 殺す、今すぐに殺してやるぅ!!」


 ふぇぇ……話聞いてくれないよぉ……。

 よしここはクラリネットに援護を頼むか。


「クラリネット、もう起きてんだろ? お前からもなんか言ってやれ」

「わたしわぁ……おにぃさまのぉ……せいどれいなのぉ……」


 だめだ壊れてやがる。


「き、き、貴様ぁ! どれほどの恥辱の限りを尽くせばここまで懐柔するんだい! 殺す!」

「おい待てって!」


 殺気のような雰囲気をボンネットからビシバシと伝わる。

 ボンネットは〈力増算フォースライズ〉、〈速増算ファストライズ〉と心のこもってない乾いた、冷たい声で言った。

 シュイーンと効果音のようなものが二つ鳴ったが、特にボンネットの見た目に変わりはない。一体何をしたん——

 

 ドカンッ!!!!


 激しい爆音とともに鉄格子の残骸が俺に雪崩落ち、視界が土埃で閉ざされた。

 土煙が晴れていき、現状況が明白になる。

 そして驚く。牢屋は全壊し粉々になっていた。

 鉄格子の残骸が落ちてきたというのに不思議と痛みは感じなかった。なんかぶつかったなぁ程度だ。


「クラリネットが危ないからね、避難させてもらったよカムイ兄さん。と言っても、もう死んじゃったかな?」

「いや、まだまだ元気じゃぞわしは」

「なっ!? 今ので生きてるのかい?」


 ボンネットは信じられないといった声色で話す。

 ったく勝手に殺すんじゃねぇっての。18のピチピチの童貞の生命力舐めんじゃねぇぞ!


「おいどうしてくれんだ、俺のマイホームぶち壊しやがって。割と気に入ってたんだぞここ」


 狭いところって不思議と落ち着くんだよ。密閉間がなんとも言えない安心感を与えていた。

 そしたらなんだ、いきなり怒って俺のマイホームをぶっ壊しやがって。まだローンもあるのに……。

 あーやだやだ。女の子の気持ちさっぱりわかんねーや。

 俺がため息をついて瓦礫と化した牢屋から足を踏み出すと、ボンネットは警戒してか後ずさった。

 そして大事そうにクラリネットにくっついている。


「し、知るもんか! 絶対に殺すからな!」

「はぁ……ボンネットは殺し屋かなんかなの?」

「そんなものと一緒にするな! ボクは誇り高き『アントリア』だ!」


 ボクっ娘キタコレー! 出ましたボクっ娘。そろそろ来るとは思ってたけど、ここでか。


「いやいや、やってることただの殺人……じゃなかった、殺蟻じゃん。しかも狂が付く方の」

「……ふんっ。最後の言葉としては花がないね。もう殺すから関係ないけど」


 するとボンネットがぐうっと態勢を低くした。そしてまたシュイーンと効果音が鳴る。

 やっぱり殺し屋じゃねーかと思った瞬間――消えた。

 

 ここで死に際に発生する高速思考回路が発動する。

 先程の牢屋を全壊させる程の破壊力で突進でもすんのか? なるほど、こりゃ死ぬな。

 顔面がグニャっといく……というか首飛ぶだろうな。痛いかなやっぱ。一瞬で首を跳ねてくれるのならそんなでもないかもしれない。まだ希望は捨てちゃいかん。

 そう言えば人は首を刎ねた後、少しの間意識があると聞いたことがある。その間は痛覚もあるのかな? いやー怖いねぇ。てか俺今アリやん。


 ――高速思考回路終了


「ふべらッ」


 顔面に何かが衝突した。その衝撃を例えるなら、バスケットボールが顔面にぶつかった時の痛み、そして威力だ。

 体育のバスケを思い出すな。パスカットしようとして何故かあの時顔面から行ったんだよなぁ。あれは痛かった。鼻血とか出たりしてな。


「……ん? 痛い……けど……ん?」


 目の前、頭を前脚で抑えてうずくまるアリがいた。というかボンネットだった。

 何、今のボンネットだったの? あんな牢屋を全壊させる程のパワーがあるのになんだってこんな……。

 手加減か? やはり兄である俺にお情けでもしたのか?


「うっ、うぅ……。どうして……こんなに硬いんだい……」

「硬い? 俺が? はっはっは。馬鹿言うなよ。下半身の一部は硬化出来るけど、顔面はさすがに硬くはできねーよ……って言わすな!」

「……一体何を言っているんだい……」


 あれっ……アリって愚息硬くなるのかな? 不安になってきた。

 あれだけエロいシチュエーションがあったってのにまだ一回もそんな生理現象起きてないんだけど。

 確かにそれらシチュエーションの全ては相手がアリだった。元人間の俺からしたら愚息に反応がないのは当たり前かもしれない。だけど声はマジで可愛いんだ。目さえ瞑ればパラダイスなんだよ。少しくらい反応があってもいいじゃないか。なぁ俺の愚息よ。

 まさかとは思うが……ED……とかじゃないよな? ふふっ、まさかな……。俺はまだ若いぜ? ピチピチだぜ? 童貞だぜ?

  だけど現に俺の愚息は微塵も反応を見せなかったわけで……。


「雄として蟻生終了のお知らせか?」

「だから何を言っているんだい」


 畜生! 雌のお前には分かるまい。というか分かってたまるか。

 愚息はな、男のプライドの結晶体なんだ。夢と希望だって詰まってる大事なところなんだ。それが使い物にならなくなった可能性があるというだけで俺の精神はズタボロよ。


「おいボンネット。さっさと俺を殺せ。もう早く生まれ変わりたい」


 出来れば金持ちじゃなくてもいいので、中流家庭の子として生まれたいです。追加で可愛い義理の妹も欲しいです。なんなら幼馴染も。勿論俺は高身長イケメンでお願いします。


「……まさか……カムイ兄さんは特異能力があるのかい?」

「さあ早く殺――え? 特異能力?」


 特異能力だと? そんなもんあったら泣いて喜んでるわ。このアリの姿であってもだ。

 能力に自覚があれば何かしら『アントリア』に抵抗してるっての。アホか。


「ボクは今、全力でカムイ兄さんに突進したんだ。それも〈力増算フォースライズ〉と〈速増算ファストライズ〉の重ねがけでパワーとスピードを底上げした状態でさ。なのに……カムイ兄さんはピンピンしているじゃないか。こんなの、何か特異能力があるに違いないよ!」

「違いないよって言われてもなぁ」


 ぎゅっと守るようにクラリネットの首を前脚で挟み、警戒心ばんばんなボンネットを見てると申し訳なくなる。

 だって、ほんとなんも無いもん。

 強いてあるとしたら……


「【テクニシャン】……とか? 対象の相手を自由自在に翻弄する……なんて」


 童貞の俺でも既に三匹を撃沈させている。クラリネットに至っては二回もだ。これはもうテクニシャンと言わずしてなんと言うのか。


「……」


 ボンネットが何も言わなくなった。しかも固まっている。

 俺がふざけた事を言ったもんだから呆れてものも言えないといったところか。


「いや、今のは冗——」

「な、なんて恐ろしい特異能力なんだ……!」

「は?」


 予想外だった。

 まさか冗談で言った架空の特異能力、【テクニシャン】でここまで動揺するとは。

 しかし【テクニシャン】のどこに恐る要素があるというのか。だって絶対戦闘向きじゃないじゃん。対象を翻弄してどうするってんだよ。


「カムイ兄さん。この場は一旦引くことにするよ。どうせカムイ兄さんは処刑されるわけだしね。うん、そうだったよ。じゃ、じゃあそれまで精々牢屋の中で余生を謳歌しているんだね」


 そう言ってクラリネットを顎で持ち上げ、そそくさと行ってしまった。

 アリってああやって仲間を運べるのか。やっぱ力持ちなんだな。


「……って待て待ておぃぃぃ!! 牢屋直してけよごらぁ!!」


 そういやボンネットに牢屋ぶっ壊されたままだった。原型すら留めてないんですが。


「ったくどうしてくれんだよ。これじゃ俺逃げ放題じゃないか。逃げないけど」


 さっきもそうだが、拘束が緩すぎないか?  看守もいないようだしどうなってんだここのコロニーは。

  呆然と瓦礫の上に佇んでいると、正面奥のトンネルから黒い物体が近づいてきた。

 誰だろう。


「カムイお兄様。ルーミア、また来ちゃいました」


 アリアの目を掻い潜ったのか、さっき来たばかりのルーミアだった。


「おお、ルーミアか。良いところにきたな。俺を慰めてくれ」

「はい。全身全霊で慰めてさしあげます」


 そうだルーミア。この身も心もボロボロになった俺の身体を癒しておくれ。

 言うか早いか、早速ルーミアは俺のところまで来ると、ペロペロと俺の身体を舐め始めた。


「あの……ルーミア?  慰めてとは言ったが……これは違う」

「違うのですか? おかしいです。書庫にあった同蟻誌では、殿方は身体を舐められると大変嬉しそうにしていたのですが……」

 

 おかしいですと言わんばかりにルーミアは首を傾げる。

 てかそんなもん書庫に置いてんじゃねーよ! てか見てんじゃねーよ!


「ちなみにタイトルは」

「【通い妻のご奉仕事情】」

「な、なんちゅーものを……」


 俺も書庫行きたい。

 でも登場人物が全てアリか……。逆に見てみたい気もするが……いやでもアリだしな……。


「ではどのように慰めればよろしいですか?」

「うーん、そうだなぁ……抱いて欲しい」

「だ、抱いて欲しいっ!?」


 さっきボンネットがクラリネットの頭を前脚で挟んでいたから、あれがアリにとっての抱きしめるという意味合いがあるのだろう。

 俺もそろそろ温もりが欲しい。

 この際アリでも構わん。


「さぁ、早く早く」

「このような場所で抱かれるのですね……。分かりました。ルーミアはカムイお兄様の性癖も全て受け入れます。アリスお姉様申し訳ありません……ルーミアだってカムイお兄様との子どもがほしいですっ!」

「……ルーミア。お前は何か勘違いをしている」

「何が違うと言うのですか。抱く……というのは、つまりそういう事ですよね? 先程のお戯れとは違う、ルーミアの身体にカムイお兄様のたくまし——」

「言わせねーよ!?」


 何言ってんだこの子は。どうしてそういう発想になる。


「では……どうして欲しいのですか」

「普通に抱いて欲しいんだよ。正確には抱きしめて欲しい、だな」


 初めから抱きしめて欲しいと言えば良かった。

 確かに『抱いて』は別の意味で捉えられてもおかしくはない。『月が綺麗』を『あなたが好きです』と捉えるのと同じことだ。


「初めからそう言って下さい。……ばか」

「今最後に聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がするんだが」

「気のせいですよ。さあ、抱きしめますよカムイお兄様。そのままじっとしていて下さいね」


 そう言い、ルーミアは俺の側に来るとそっと前脚を俺の首に回した。

 苦しくない程度に、やんわりと包み込む。

 アリなのに、アリなのに女の子特有のいい匂いがするのは何故だろう。土臭くて当たり前の筈なのに。

 アリスはフェロモンが強すぎて、まあ言ってしまえばムラムラする香りだったが、ルーミアは丁度良いというか、純粋にドキドキする香り。


「ルーミア、良い匂いだな」

「恥ずかしいので匂いは嗅がないで下さい。私は嗅ぎますけど」

「えっ? 俺のを?」


 そういえば頭の後ろで、くんかくんかと嗅いでいるような音がする。


「カムイお兄様も良い匂いですよ? 雄らしくて、ルーミア、ドキドキしちゃいます」

「それは嬉しい限りだが、出来れば止めてください」


「むぅ」と言って、ルーミアは嗅ぐのを止めた。その代わり抱きしめる力を少し強めた。

 若干苦しいがこれはこれで落ち着くから文句は無い。


「どうですかカムイお兄様。ちゃんと癒されていますか?」

「ああ。癒されてるよ」

「それは良かったです」


 ルーミアはなんというか母性が強い。母のような温もりと安心感をルーミアから感じる。


「もう大丈夫だよ。ありがとう」

「いえ、だめです。まだ足りません」

「いやいいって。悪いし、いいよ」


 これ以上はルーミアに悪いし、俺も恥ずかしい。本当は嫌々俺に従っているとういう線も否めないしな。


「カムイお兄様。ルーミア、知っていますよ?」

「えっ、何を?」


 ルーミアが抱きついたまま、柔らかな口調でそっと言った。

  何を知っているというんだ。まさか俺が元人間だってことか? ないない。


「カムイお兄様は冤罪……ですよね?」

「っ……ちが」

「冤罪です」


 否定しようとしても力強く押し切られてしまった。

 なんで分かったんだろう。あの場にルーミアがいたのだろうか。


「……よく分かったな」

「当たり前です。カムイお兄様がアリスお姉様を孕ませるなんてあるはずがありません。だって、カムイお兄様はルーミア達妹、一匹一匹親身に接し、とても大事にしてくれました。お部屋から出ることの出来ないアリスお姉様にこっそり会いに行ってお話しをしたり、本を持ってきたりと、特にアリスお姉様に手をかけていました。みんな知っていましたよ? 気づいてないと思いましたか? まだまだ沢山理由はありますがここは割愛です。全部話していたら日付が変わってしまいますので」

「……」


 おいカムイ……あんたイケメン過ぎだろ。やっと妹達に慕われている理由が分かったわ。話し聞いただけでも惚れそうになる。

 記憶がないと俺がアリスに言った時、俺との大切な思い出が無くなってしまったと言って泣いていたのはそういうことだったのか。なんか悪いことしたな。でも俺はそのみんなが知ってるカムイとは別蟻格。有賀歩なんだ。


「なのでルーミアと一緒に逃げましょう。二匹でならなんとかなります」

「いやダメだダメだ。ルーミアにまで迷惑をかけるわけには行かない。俺が死ねば済むことなんだ」


 悪いがこっちは早く死んで転生したいんだ。逃亡なんかしたらルーミアまで共犯みたいになっちゃうだろう。それだけはダメだ。


「”死ねば済む”なんて言わないで下さいっ!! カムイお兄様は私達にとって大事な存在なんです! たった一匹のお兄様なんです!」

「ルーミア……」


 ルーミアは小さく嗚咽を漏らす。

 大切な存在が死んだら誰って嫌だろう。俺だって、父さんと母さんが冤罪で処刑されると聞いたら発狂するかもしれない。

 だがそれでも、受け入れなければならない時だってある。

 俺がこのコロニーのカムイである以上、女王アリであるアリアナ女王の命令に従わなければならない。例え俺が人間であっても、国の法律には従わなければならないのだ。


「ね? カムイお兄様。一緒に逃げましょう?」

「だめだ」

「どうしてですか!? カムイお兄様は無実なんですよ? 冤罪なんですよ? 処刑される筋合いなんてありません。だから、一緒に逃げましょう!」

「だめだ」

「どうして……」


 力が抜けたようにルーミアは俺の頭から前脚を離した。

 じーっと、何かを訴えているように俺のことを見ている気がする。実際のところは分からない。

 ここで新たに前方のトンネルから黒い影が近づいて来た。


「ルーミア! またお前は勝手に!」


 この凛々しい声はアリアか。丁度いい。


「アリア、早くルーミアを連れて行ってくれ」

「分かりましたお兄様。ほらルーミア、行くぞ」

「……やだぁ……カムイお兄様ぁ……」


 ボンネットがクラリネットを顎で持ち上げたように、アリアもルーミアを顎で持ち上げた。

 アリアに持ち上げられながらも、ルーミアはずっと俺の方を向いている。それがなんとも心苦しい。

 そして、アリアとルーミアはトンネルの陰へと消えて行った。


「俺が人間だった時に、ルーミアみたいな妹が欲しかったな。勿論義理でもいいけど。寧ろ義理がいい」


 ここには可愛い(性格、声、態度)妹がいっぱいいる。最高だ。

 そういう意味では死ぬのが惜しい。イチャコラしたい。

 全壊した牢屋の上で一匹、そんなことを思った。

 今俺が言いたいことはただ一つ。


「誰か牢屋直して」 


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