第6話 夢から覚めたアリ


 俺が幽閉されたのは薄汚い地下牢。

 どうやって作ったのかは知らないが至ってシンプルな鉄の牢屋だった。

 アリスの部屋を見てもそうだが、このコロニーはなかなかに文明が発達している。普通アリが天蓋付きベッドだのクッションだの縫いぐるみだのを作るか? 本があったのにも驚きだ。アリにも文字があるってことなのかな。

 本は分からないが、物はジェンヌの【創造】で作っている可能性がある。

 アリの細い足でこのような物が作れるとはどうしても思えない。ジェンヌの【創造】なら合点がいく。

 もしそうなら、何故アリであるジェンヌが人間の使用する家具の知識を持っているのだろうか。夢にツッコミをいれても意味の無いことだと理解はしているけど。


「にしてもなんもないな。暇だ」


 アリが横に四匹程入れるくらいの狭い牢屋内。

 犬のトイレシートのようなものがある。ここはトイレか。

 そう言えばアリになってまだ一回も排泄してないな。どんな感覚なんだろ。普通に人間がするようにすればいいのかな。ま、その時になったらまた考えよう。


「……よし。寝るか」


 暇すぎて逆に困る。何か暇つぶしになるものでも用意しとけよな。それこそ【創造】でアリにも出来るゲーム機でも作って欲しい。

 願わくば夢から覚めることを切に願って、俺はゆっくりと目を閉じた。



 ♦ ♦ ♦



「……て……さい」


 ん、声が聞こえる……。誰だよ人がせっかく気持ちよく寝てるってのに……。


「起きてください!」

「うわぁ! え、誰?」


 牢屋の前にアリがいた。黒い胴体に六本の細い足、黒い二本の触覚を兼ね備えたまごう事無きアリが。

  おかしい。俺は寝た。確かに眠った。夢で眠れば現実で起きるとかそういうもんでしょ? 何故またアリがいる。何故ここは予備校の自習室ではない。


「ルーミアですよ。忘れてしまったのですか?」


 ルーミア? 誰だそいつは。お前はただのアリだろ。


「あのさ、俺の名前って何?」

「えっ、カムイお兄様……ですけど。どうされたのですか? そんな当たり前なこと」

「…………マジで?」

「はい」


 なんてこったまだカムイ続行中かい! 

 夢から覚めた夢とかほんと冗談は程ほどにしてほしいぜ。 

 だけどこれって……いや、まさかな。でもこんなことって、え? ちょっと待って、ええ?


「……もしかして本当にアリになってるのか? 夢なんかじゃなく?」

「どこからどう見てもアリですよ。ふふっ、寝ぼけているのですね。そんなところも可愛いです」


 妙にリアルな夢だとは思っていた。思考も味覚も感触も、全てが現実味を帯びていた。だが普通自分がアリになるなんて誰が信じる。信じられるわけがなかった。

 原点回帰して考えてみよう。俺は予備校の帰り道だった。だが気づくとアリのコロニー内にいて、俺の姿形はアリになっていた。必然的に予備校の帰り道に何かあったのか考えるのが妥当。

 俺のサブカル知識によれば一つだけこの状況に合てはまる事象がある。

 それは——


「異種転生……か?」


 異種転生——。生前とは異なる種族として転生すること。

 状況を見ればこれが一番しっくりくる。この世界が異世界ならば異世界転生とも言えるだろう。

 異世界のアリなのかどうかは分からないが、現段階では異種転生ということで取り敢えずはいいだろう。

 となると、俺は塾の帰りに死んだってことになるな。

 ちくしょう……死ぬって分かってたらパソコンの『この世の真理』フォルダ消去しとけば良かった。


「あの……カムイお兄様?」

「ああごめんごめん。それで、何の用?」


 このルーミアと名乗るアリは、こんな薄汚い牢屋にまで来て一体何の用なんだ。もう処刑の時間か?


「お食事をお持ちしました」

「お食事? え、えーっと、ありがとう。ちゃんとご飯はくれるんだな」

「当たり前じゃないですか。カムイお兄様にそんな殺生なことは致しません」


 別にいいのに、どうせ殺されるんだし。夢じゃないってことは今死んだら本当に死ぬんだよな。それはそれで笑えてくる。


「ところでさ、見たところそのお食事が見えないんだけど」


 顎に何か食べ物を挟んでいるわけでもなく、地面にも置いているわけでもない。まったくの足ブラ状態だ。ふざけてんのか?


「少々お待ちくださいね」


 ルーミアはそう言うとガチャガチャと音を立てて牢屋のカギをその細い足で器用に開けた。アリ向けに作られているのか、足を通して鍵を開ける牢屋みたいだ。

 

 ルーミアは牢屋内に入ると何故か扉を占めた。ガチャンと。確実にロック? が掛かった音がした。


「あのさ、閉まっちゃったけど、いいの?」

「まあ! なんということでしょうか。これでは出られません」


 バカなのかこの子。アリスの方がまだ頭よく見える。


「そんなことよりさあカムイお兄様、お食事ですよ。じっとしててくださいね」

「え、あ、うん」


 悟った。今から起きることを。

 アリの食事と言えばアレだった。アレしかない。猛烈なデジャヴを感じるぞ。


「いい子ですね。はい、あーん」

「あ、あーん……ふごっ!?」

「ちゅる……んんっ……ちゅぱっ……ぷはっ……はむぅ、じゅる……」


 やはりこれだ。素囊そのうに溜め込んだ餌を液体状にして仲間に口移しで与えるアリの食事方法。

 アリアが最初やった時には驚いたが、二回目ともなればさすがに——


「んんっ! ぶちゅぱれろ!? ぷはっじゅるじゅる! (おい! なんか長くない!? さすがにやばい!)」

「はぁむ……ちゅぱ……じゅるる……れろちゅぱ……んっ……」


 慣れる訳ねーだろぉ! この子おかしい! とっくに餌は口の中で受け取ったのにまだ接吻を続けてくるんだけど!? しかも深い方!

 いい加減俺の理性が持たなくなるから止めて! 知らないよ? いいのね!?


「……ぷはっ。美味しかったですか?」

「あっ……はい。大変美味しゅうございました。ご馳走さまです」


 おい俺! 何があっ……だよ! 何残念がってるんだよ! 

 しかしこの子、大人しそうなのに(声と雰囲気で判断)なんて大胆なんだ。ギャップに思わずドキドキしてしまった。


「さて、そろそろ退室しようと思うのですが、困りました。出られません」

「うん。牢屋越しでご飯を食べさせてくれればいいのに中に入って来ちゃったもんね」

「それでは仕方ありませんね。カムイお兄様とここで一緒に過ごしましょう」

「は?」


 うん。やっぱこの子おかしい。いや、口調からしてわざと牢屋の中に入ったって感じだ。バカではなく計画通りなだけだった。

 ごめんよアリス、お前は結局バカなままだぜ。

 ルーミアはその落ち着いた態度から、急にそわそわし出した。くねくねくねくね、体を左右に揺らしている。


「……カムイお兄様……私の頭を、撫で撫でしてくださいませんか……?」


 ルーミアが俺の体にしな垂れかかってきた。ぴとっとくっついて離れる気配はない。


「お、お前、頭って……」


 アリの頭には何故か性感のようなものがある。アリスとクラリネットの様子から見てもそれは一目瞭然だ。

 その頭を自ら、自分から撫でてくださいだと? 痴女か? 痴女なのか?


「ほ、本当にいいのか?」

「はい……ぜひ。初めてなので、優しく……してくださいね?」


 俺の中でプツンと何かが切れる音がした。その音が聞こえた時には既にルーミアの頭をこれでもかという程スクラッチしまくっていた。


「ひゃあっ! いきっ、なりっ……激しいですっ……よぉ……んっ……あんっ!」

「でも、悪くないだろぉ?」

「ひゃいぃ……もっとぉ……もっとしてくだひゃいぃ……っ!!」


 ルーミアはよがりによがり、全身を俺に委ねている。

 アリスとクラリネットとは違って、快感を素直に受け入れるタイプだ。抵抗されるのも壊しがいがあって悪くはないのだが、ルーミアのようなタイプも悪くない。俺も頑張ろって気持ちになる。

 撫で続けてどれくらいたったか、かなり時間が経ったと体感的に感じる。不思議とルーシアを撫でる足は疲れず、止まらない。アドレナリンでも出ているのかね。


「はぁん……しゅきぃ……カムイお兄様……しゅきでしゅ……」

「大分へばってきたな」


 だがすごい。まだ持ちこたえている。アリスとクラリネットは割とすぐにダウンした。クラリネットに至っては気絶までしたのだ。

 長時間の愛撫に耐え続けるとは、『アントリア』に入隊出来る程の素質があるんじゃないのか? 特異能力【耐久】、とかさ。壁としての役割が期待できそうだな。まあ冗談はさておき、


「ルーミア」

「ひゃい……なんっ、でしょうかぁ……っ! だ、だめです! あんっ! そこはっ」


 俺は足を触覚へと伸ばし、アリスにもやったように二本の触覚を前脚で挟み込み、先端をしゅっしゅっと擦るように撫でた。

 さすがに触覚には抵抗の色を見せるが、際立って嫌がっている様子はない。寧ろさっきより俺の体に強くひっついている。


「ああっ……あ、だめっ、だめだめっ、きちゃう、きちゃうからぁ……! あ、ああああああ!!」


 クラクションの様な大きな嬌声を上げ、ルーミアの体が鞭のように跳ねる。しばらくビクンビクンと小刻みに動き、やがて静まった。弱弱しい息遣いだけが聞こえる。


 アリに転生したことで、どこか吹っ切れている自分がいる。自分の知らない自分を知ったような気分だ。


「はあ……はあ……私……幸せです……。まだ……幸せの余韻が……んんっ、はあ……はあ……」


 息が絶え絶えだ。体力の消費が凄まじいようだ。その点長時間スクラッチを続けていた俺の足は疲労のひの字も感じていない。お年頃の雄アリだから体力が有り余っているのかな。


「ル―ミア。今夜は寝かさないぜ」

「はいぃ……カムイお兄様ぁ……」


 わー言っちゃった言っちゃった! 人間の時に一度は言って見たかった台詞をアリになってようやく言える時が来るとは……なんとも複雑な気分だ。

 ルーミアはすっかり俺に心酔してる様子だ。一応兄妹なんだぜ、俺達。背徳感がすごい。


「ルーミア! 何をやっている!」


 ルーミアがペタペタとくっつき、これが人間の女の子だったらなぁと思った時だった。凛々しい口調で誰かが牢屋へと声をかけた。

 牢屋の外を見ると、ずかずかと歩みを進めるアリがいた。

 

 この声は確か……


「ア、アリアお姉様!? どうしてここに!? えとあの、これはその……違くて、ただ一緒に檻の中でふざけていただけなんです!」


 あちゃー……浮気現場みたいになってる。俺が間男みたいな感じだ。俺慰謝料とか払えないよ? 無一文ですから。


「どうせお前のことだから、食事とかこつけて牢屋の中へ入ったのだろう。全く昔からお前は——」

「アリア、そうかりかりすんなって。せっかくの可愛いお顔が台無しだぜ?」

「お、お兄様!? こ、このアリアが可愛いなどとそんな戯言を……」


 直観だが、アリアは擬人化したら美人だと思う。仕事では厳しく、家では甘えてくるみたいな、そんな奥さんになりそう。

 メリハリって大事。


「戯言じゃないよアリア。アリアは可愛いよ? 絶対良い奥さんになれる」

「お、おおお奥さん!? ななな何を!!」


 動揺したのか、その場でわなわなと足を動かすアリアだが、俺には謎のステップを踏んでいるアリにしか見えない。


「もう! カムイお兄様! アリア姉様ばかりずるいです。私だって良い奥さんになれます」

「勿論、ルーミアもだ。ただ……ルーミアは夜がちょっと大変かな」

「っ! ……カムイお兄様の……えっち……」


 より一層密着度を上げるルーミア。俺の足とルーミアの足が絡まり、虫が嫌いな人からすれば結構グロい光景かもしれない。

 あー俺って最低な男だ、自分がこんなクソ野郎だとは思わなかった。アリとはいえ女の子に調子良い事ばっか言ってさ。絶対刺される。でもどうせ処刑されるから結局死ぬのには変わりない。

 人間時代モテなかったからってアリ相手に本気マジになっている俺がいる。だって目さえ瞑れば女の子の声なんだもん。声だけで言ったらアリスなんかかなり俺のタイプである。

 アリと自覚したせいなのか、別にアリの見た目でも少し可愛いかも……って思い始めているのは気のせいということにしよう。

 アリアが牢屋のカギを開け、ルーミアが仕方無さそうに牢屋から出た。


「それではお兄様。また時間を空けて妹が来ますので、それまでご辛抱ください。ほらっ、行くぞルーミア」

「カムイお兄様、また来ます」

「おう。待ってるぞ」


 ルーミアはアリアに連れられ行ってしまった。そしてまた暇になった。

 暇つぶしにはなったし寝ようかな。寝るという行為は実に素晴らしい。体の疲れが取れ、暇なときは眠るだけで時間を潰せる。究極の暇つぶしとも言えよう。

 

 さあ寝ようと目を閉じたその時——


「勝負するの! 次は負けないの!」


 牢屋の前にいつの間にかクラリネットが来ていた。

 さすがは『アントリア』だ。足音、気配すらしなかった。俺の触覚は何故か機能していないからそう感じるだけなんだろうが。

 そわそわしているところからして、クラリネットは負けると分かってて勝負を挑んでるのか? なんとなく期待しているような雰囲気も感じる。


「……お前も痴女だったのか……」

「ち、ちち痴女じゃないの! 早く勝負するの!」


 地団駄を踏んで否定の意志を見せるクラリネット。

 なんで動揺してるんですかね。やっぱ痴女じゃんか。


「勝負してもいいけど、俺は牢屋の中だぜ?」

「今から開けるの」

「お前ら俺のこと捕える気あんのかよ……」


 結局、牢屋内でクラリネットと勝負することになった。腕っぷし勝負らしい。

 先手がクラリネット。まず俺の頭を前脚で挟み引っ張る。そこで俺は軽く頭突きしクラリネットをひっくり返す。ここまではさっきと一緒。


「くっ……私の負けなの……。好きにすればいいの」


 あきらめが早いとこも一緒。


「おう。じゃ遠慮なく」


 床ドンをしてクラリネットの頭を足で高速スクラッチする。


「ひゃんっ! か、体は好きっ、に出来、んっ! ても……心までは……んんっ! ふゃぁ……だめなのぉ……」


 ここまでも大体同じ。

 ここからは変化を加えていこう。少し虐めて、一気に決める。


「おいクラリネット。お前、負けると分かってて来たんだろ? 俺に、またされたかったんだろ? ん?」

「ち、ちがっ、うの……んんっ! 言いがかっ、りはよす……あんっ!」

 

 ほほう抵抗するかこの小娘。ならばこちらも負けていられない。


「へぇーそうか。違うのか。本当のことを言ってごらん? じゃないと……ふんっ!」

「ああんっ!! ぐりって……撫でないで……あ、ああっ、んっ! んんんっ!」


 割と強めに足でぐりっと踏む。これにはアリスも堪えてたなぁ。

 大体どういう力加減で踏めばいいか感覚を掴めてきた。慣れって怖いね。


「期待してたんだろ? 頭撫でて欲しかったんだろ?」

「違うっ、の! 私は……はぅっ! 絶対に、屈しな……いっ! んんっ!」

「じゃあなんなんだこのびんびんに張った触覚はよぉ!!」


 ※適当です。


「っ!? だ、駄目なのっ! そ、そこだけは……あんっ!」


 やはり触覚は、感度で言えば頭の上位互換。寛容的だったルーミアでさえ一瞬だけだが抵抗の色を見せるのだ。

 見る限り、クラリネットはただでさえ基本感度が高いのにその感度が一番高い触覚なんて撫でられたらひとたまりもないはず。


「さあ言え! クラリネット!」


 そう言ってクラリネットの触覚に軽く触れる。思いのほか張ってて驚いた。


「あんっ! そ……っ、そうなの……っ!」

「何が、そうなんだ?」

「ほ、ほんとはっ……あんっ! お兄っ様に……また撫でてっ! もらいたくっ……て、んんっ! 来たのぉ……!」

「よし良い子だ。ちゃんと言えるじゃないか。良い子にはご褒美をあげよう! せいやっ!」


 触覚を二本同時前脚で挟みこみ、先端を全力で擦った。何度も擦った。摩擦が起きているのではないかというくらい高速で擦った。


「あああああっ!!! ……あがっ……あぐっ……っ……」


 クラリネットは地声は小さいのに、嬌声だけは大きい。

 クラリネットは釣りたての魚のようにびちびちと数回跳ねると、それっきり動かなくなった。口に足を突っ込んでも、頭を撫でても、触覚を擦っても、全く反応がない。

 取り敢えず息をしてるか確認しとく。


 ——良かった。生きてる。


 一瞬本気で焦った。


「ふっ……虚しいだけなんだな、勝利なんて……」


 虚しさに酔いしれながら、足にべっとりとついたクラリネットの唾液を乾かす。生存確認の際にクラリネットの口の中に足を突っ込まなければ良かったと後悔。後先考えて行動するべきだった。

 足をぶんぶんと振り回し続け、大分乾いてきたなと思った、その時だった。


「クラリネット!!」


 怒号の叫び声が牢屋へと向けられた。

 その声には聞き覚えがあった。アリスや女王にシールドを張り、俺を牢屋まで連行した時に右側にいた奴だ。確か名前は……


「ボンネットか?」

「カムイ兄さん……許さない……絶対に許さない!!」


 どうやら大分お怒りのようだった。

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