第8話 執行前夜


 あれからどれ程の日数が経ったのか。

 

 ボンネットによって破壊され瓦礫とかした牢屋はメリィの【回復の極み】の〈修復メンド〉によって元の原型を取り戻した。マイホームの復活だ。

 メリィは俺に無関心というか興味すらないといった様子で、牢屋を修復するとそそくさと立ち去っていった。

 今日まで沢山の妹たちが入れ替わり立ち替わりで俺の世話をしてくれた。

 ルーミアはアリアの監視下の元俺の世話を行った。ルーミアは危険だとアリアは判断したのだろう。

 その他にもまだ会ったことがなかった妹たちとも出会えた。記憶喪失という設定を無視して、妹たちとはまるで俺が本当のカムイかのように振る舞った。

 アリスに俺が記憶喪失(設定)であることを告げた時、アリスは深く悲しんでいた。もうこれ以上妹たちを悲しませたくはない。それ故にカムイを演じ、振る舞った。


「にしても長いよなぁ。俺いつになったら処刑されるんだろ。もしかして処刑されないパターンか?」


 牢屋にぶち込んだその次の日には処刑したっていい筈だろ。処刑に何か準備でもあるのか? いや無いだろ。ジェンヌの【創造】の能力によって創り出された何千本もの槍で突き刺してお終いだ。あっという間に終わる。


「私はその方が非常に、非常に嬉しいのですが」


 今日の夜の世話係はルーミアだ。俺には外の状況が分からないので、妹たちが今は朝なのか昼なのか夜なのか教えてくれる。ルーミアは今は夜だと言っていた。

 

 そのルーミアは相変わらず俺にべっとり……と言っても牢屋内の立ち入りは禁止になったため牢屋の外からだが、必要に長い食事(口移し)や愛の囁き。これらの行為の所為ですぐにアリアに連れて行かれる。


「いやいや、待たされる身にもなってみろよ。結構辛いぜ? 暇だし」

「それは……お辛いでしょうけど……」


 牢屋内には犬のトイレシートみたいのがあるくらいで、他に何も置いていない。ゴツゴツとした地面の感触にも慣れたが、茣蓙ござくらい敷いて欲しいものだ。

 ちなみにトイレ、してみました。

 これまた人間がするように踏ん張って、プリッと。そしてチョロチョロっと。

 アリの糞尿は特段臭くはなかった。土の香り? がした。

 トイレをするのはいいが、それを後処理するのは勿論妹たちな訳でして。俺が使用済みのトイレシートを丸め、それを妹たちに足渡しする時が猛烈に恥ずかしかった。まさに恥辱の限りだ。

 そんな俺の羞恥心など御構い無しに、妹たちは糞尿が包まれたトイレシートを受け取り、新しいトイレシートを渡すのだ。あー! 恥ずかしぃ!


「お前らさ、俺の排泄物持っていくの嫌だろ? ほんと申し訳ない」


 こうやって言うことすら恥ずかしいし申し訳ない。


「いえいえそんな。嫌だなんて思ったことはありませんよ? みんな楽しみに……あっ! な、なんでもありません!」

「ん? そうか。なら俺としても気が楽だ」

「はい! カムイお兄様は私たち妹がしっかりとお世話致しますのでお気になさらないで下さい」


 良い子だなぁ。でもなんか、最後にボソッと言っていたような気がしたんだが……。気のせいか。

 ルーミアの口から「楽しみ」なんて幻聴が聞こえたのは牢屋生活による精神的疲弊が原因だろう。あー早く死にたい。そして転生したい。


「ルーミア。そろそろ」


 ルーミアの後ろで待機していたアリアがルーミアに声をかけた。

「はい。アリアお姉様。それではカムイお兄様、また来ますね」

「おう。待ってる」


 このやり取りも何回目か。あと何回、このやり取りが出来るのだろうか。

 ルーミアとアリアが去った後、この牢屋がある小さな部屋に静寂が訪れる。

 この静寂は慣れない。静かなのは嫌いだ。どうしても寂しくなる。

 妹たちが来るのは朝・昼・夜の三回。この際に食事やトイレシートの取り替えを行なってくれる。

 こうして夜のお世話が終われば朝まで非常に暇だ。睡眠を取れば良い話ではあるが、朝と昼、昼と夜の合間が暇すぎて昼寝しているためかなかなか寝付けない。そして寝不足となり、昼寝をしてしまう。このループだ。


「あー寝れねー」


 なんとなくこの牢屋のある小さな部屋の入り口であるトンネルをボーっと眺める。真っ黒だ。


 カサ……カサ……カサ……


 なんだ。何かがゆっくりとこちらに近づいて来る。

 この静寂の中では酷くその何かの音がはっきりと聞こえる。


「誰だ」


 トンネルから黒い影が現れる。

 シルエットからして……アリのようだ。

 そして、この胸をキューっとさせるような甘ったるい香り。まさか……


「カムイ兄さま!」

「アリス!?」


 トンネルから現れた影の正体はアリスだった。

 アリスは自身の部屋から出ることは出来ない。アリアナ女王によって定められた規則だからだ。

 なのに俺の目の前にいたのは部屋から出ることの出来ない筈のアリスだった。

 二度と、会うことはないと思っていたアリスだった。

 アリスは牢屋まで近づくと、前脚を上げ鉄格子に体重を預ける。


「逃げましょうカムイ兄さま」

「なんで……なんでお前がいるんだよ!」

「それは……カムイ兄さまと駆け落ちするためですわ!」

「はぁ!?」


 いきなり現れたと思ったら駆け落ちだと? まさかの駆け落ち希望者二匹目かよ。ルーミアに続いてアリスも……。

 いや、問題はそこではない。


「今鍵を開けますわね。えーと……この穴に足を入れればよろしいのですか? ……えいっ!」


 ガチャ


 開いた。開いてしまった。


「……」

「さあ行きましょうカムイ兄さま」


 牢屋内へ入るや否や、グイグイと前脚を使って俺の首を引っ張るアリス。だが俺は微動だに動かない。

 ここでのアリスとの邂逅は予想外だったし余計だった。自意識過剰かもしれないが、少しでも関わりを増やしてしまうとアリスの悲しみがより大きくなってしまう。


「カ、カムイ兄さま……! 出てくだ……さい……ですわ!」

「……」


 アリスは引っ張ることを止めない。そのアリにしては非力過ぎる力で、懸命に俺のことを引っ張っている。

 何故ここまでしてくれる。何故駆け落ちなどと言う。たかだか兄と妹じゃないか。カムイという雄アリが以前どれ程優しく、妹たちに慕われていたのかはルーミアから聞いた。でも、それでも女王であり母親でもあるアリアナ女王の目を欺いてまですることか? 部屋を抜け出すのもそう。開けてはならない牢屋の鍵を開けるのもそうだ。規則を破ってまで助けたいと思う奴なのか? そのカムイって奴は。


「出て……ひぐっ……くださいですわ……」

「……」


 ついにアリスは泣き出してしまった。それでも、アリスは引っ張ることは止めなかった。泣きながら、俺に「出てくださいですわ」と呼びかけながら。

 しかし、俺はそれには答えられない。第一逃げたとしてもそれは失敗に終わる。何故なら『アントリア』がいるからだ。

 特殊異能部隊『アントリア』。彼女らの能力の前では俺らなんて無力に等しい。

 ボンネットなんか俺に手加減をする余裕振りだ。全力で突進したとは言っていたがどうせ嘘だろう。

 おそらくアリスが部屋を出たことはこのコロニー内のアリは全員既に分かっている。なんたって触覚があるわけだからな。個蟻は特定出来なくともフェロモンで性別や、今どこにいるか分かるらしいではないか。

 クラリネットに至っては個蟻も特定できる。まるで監視カメラだ。あのくっ殺アリにはもったいない能力だとつくづく思う。


 アリスが焦っている。『アントリア』が近づいているのだろう。


「諦めろアリス。俺は牢屋から出る気はないんだ」

「でも……でも……!」


 諦めが悪い。それでもアリスは引っ張ることを止めなかった。

 だが、タイムオーバーだ。

 ぞろぞろと漆黒の四匹組がトンネルから現れた。


「アリス姉……分かってると思うが、連れ戻しに来た」

「戻るのです。アリスお姉ちゃん」

「アリス姉さん、そんな汚らわしい雄から早く離れて」

「……戻るの」


 それぞれがアリスに言葉をかける。特にボンネットの俺に対する評価が辛辣だ。

 クラリネットは俺の顔を見るや否やわざとらしく俺から顔を背けた。

 二回も俺に撃沈させられたもんな。それも恥辱の限りを尽くされて……ごめんな、ほんと。


「ほら、行けよアリス。お前の行くべき場所はあっちだ」

「嫌ですわ! アリスはカムイ兄さまと一緒にここを出ますわ!」

「良い加減にしろよ……あっちだって言ってんだろ! 俺に構うんじゃねーよ!」


 かなり大きな声で怒鳴ってしまった。

 アリスはキョトンと固まり、『アントリア』の連中も呆然としている。

 

 それでも、言わなきゃだめだ。ちゃんと言って、分かって貰わないと。諦めて貰わないと。


「アリス。お前さ、まじで迷惑なんだよ。……おい『アントリア』。早くこいつを連れて行ってくれ」

「えっ……」


 アリスは掠れた、弱々しい声を出した。これがまた俺の心をズキっと蝕む。

 

 辛い。辛い辛い辛い。辛い。

 

 思ってもないことを言って、相手を傷つけることはこんなにも辛いのか。


「……あ、ああ。行くぞ、アリス姉」


 ジェンヌが少し間があった後に返答した。

 カムイという雄アリは誰にでも優しく、妹たちから慕われている。

 そんなカムイが、怒鳴ったのだ。カムイが特に手をかけていたというアリスに。


「……い、嫌……ですわ……」

「メリィ、ボンネット、クラリネット。手伝ってくれ。強引にここから連れ出す。私一人で十分だが……分からない。念には念を、だ」

「「「……了解」」」


 メリィ、ボンネット、クラリネットの三匹は返事をすると、ぞろぞろと牢屋へ向かう。


「ごめんよ、アリス姉さん」


 三匹が牢屋の目の前まで来ると、ボンネットが〈速減算ファストダウン〉とアリスに向かって言った。

 アリスからシューンとテンション低めな効果音が鳴る。


「や、め……ぅ」


 アリスの様子がおかしい。錆びたロボットのように動きがぎこちない。何か言葉を発しようとしているようだが、それすらも出来ないようだ。

 その状態のアリスを、メリィが後方、ボンネットとクラリネットが左右を、そして、ジェンヌが前方を担いだ。まるで胴上げをしているかのようだった。


「それじゃ行くわクソ兄。処刑は明日の明朝だからな。……しっかり休めよ」

「おう。お気遣いありがとな」


 しっかり休めって言われてもその休んだ分が死をもってチャラになるんですけどね。ま、ジェンヌの優しさと気遣いということにして素直にその言葉を受け取ろう。


 アリスを担ぎながら、クラリネットが何か言いたげに俺の方を見つめてきた。


「どうした、クラリネット。また決闘でもしたいのか?」

「……うっ、うるさいの……」


 そう言うとクラリネットは前を向いた。

 ボンネットとメリィは依然として前を向いている。本当にカムイに関心がないんだな。


「アリスのこと、落っことすなよ」

「……当たり前だクソ兄」


 アリスを担いだ『アントリア』御一行はトンネルの影へと消えて行った。

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