第26話 来世を望む四つ葉の酒なり

「今日が、最後ですわね」

「そうだな」


 野登と野花は手を繋ぎ、空に浮かぶ三日月を見つめていた。

 二人の実家は宿敵同士とも言われる商家だ。梅廉国の商家と言えば――と問われれば常に名前が挙がる二大商家で、その家に生まれた二人は幼いころから父親同士の喧嘩を見て暮らしていた。母親同士は幼馴染みであり仲が良く、お腹の中にいたころから幼馴染みとして育ってきた野登と野花は父親同士の喧嘩が嫌いで、いつも母親たちと共に商家で働く人々の子どもたちを巻き込んで遊んでいたという。

 しかし二人が成長するにつれて野登は商家の後継ぎとなるための教育が始まり、野花は兄がいたため他家へ嫁ぐための花嫁修業が架され、二人が気軽に会うことはできなくなっていた。

 野登は野花のことが幼いころから好きだ。

 野花も野登のことが幼いころから好いている。

 だからこそ、二人は婚約者を選ぶことを忌避していた。母親たちは二人の気持ちを察しており、父親たちが無理矢理婚約を結ばせようものなら、離婚してやるとまで言って二人の心を守っていたという。

 しかし野登と野花はすでに成人を迎え、そろそろ本格的に婚約者を探さなくてはならない。幼いころから好き合っていたため、野登は野花と、野花は野登と結婚したいのだと父親に告げたのだが、父親たちは聞く耳持たず二人の知らぬ相手との婚約を勝手に決めてきたのだ。


「私たちが結婚したら、梅廉国一の大きな商家になったかもしれませんのに」

「父上たちは我こそが梅廉国一であると言ってはばからなかったからなあ」

「それに私たちを巻き込むなど、本当にダメなお父様たちですこと」

「商人としては素晴らしいのだけれど、頑固過ぎるのも問題だな」

「頑固といえば職人さんのような人たちだと思うのですが、それとはまた違った頑固さなのでしょうね」

「まあ、小さいころから実家でも学校でも競争相手として向き合っていたからこその現状だとは分かっているんだが……」

「私たちって母親には恵まれましたけど、父親には恵まれませんでしたのね」

「父上たちには悪いが、同意見だ」


 そんな父親たちに嫌気がさした二人はついにかけおちする道を選択した。

 かけおちさえすれば、二人で生きていける。宿敵同士とお言われる商家の人間としてではなく、ただの野登と野花として……。

 しかし幾日も経たず、野登と野花は父親たちに見つかることとなった。梅廉国の二大商家の子である二人の顔は国内に広く知れ渡っており、二人がどれだけ顔を隠しながら移動しようとも、宿や食堂などでのふとした油断から父親たちの派遣した騎士たちへ情報が集まり見つかってしまったのだ。


「残念でしたねえ」

「ああ。やはりルメイ堂から出るべきではなかったね」

「そうですね。あそこから出なければ、誰にも見つかることなく他の国へ逃げることもできましたのに」

「大将に会いに行ったら、呆れた顔を向けられそうだな」

「ふふっ、仕方ありませんね」

「ああ」


 野登と野花は五日前から三日間、首都の外れにあるルメイ堂で世話になっていた。近場に宿や飲食店がなかったことから、たまたま足を踏み入れたのだが、そこは二人にとって未知の場所であったという。

 二人よりも年下の、十五、六歳ほどの少年のような、少女のような白いヒト――大将は、二人を見えすぐに梅廉国の二大商家の子であると分かったそうだ。野登と野花は実家に連絡を入れられてしまうかもしれないと身構えたが「泊まるなら二人部屋でいいかいぃ?」という間延びした声で話しかけられると何故か頷くことしかできなかったという。

 それから三日間、野登と野花は不思議なモノであふれているルメイ堂という雑貨店で過ごし、外へ出た。「ここを出たらどこにも立ち寄らず、すぐに隣のフェルトリタ大公国へ向かうといいよぉ」と大将からの助言に従いフェルトリタ大公国へ向けて歩を進めたのだが、野花が足をくじいたため立ち寄った宿で二人はついに見つかってしまったのだ。そして騎士たちと共にやってきた父親たちに二人そろって怒鳴られ、日も暮れてきたことから翌日実家に帰ることとなっている。――それが今日の夕方の出来事だった。

 明日には二人ともそれぞれの父親と共に実家へと送られ、近いうちに婚約者と婚姻を結ぶことが決定しているという。梅廉国の二大商家の子である二人の短い逃避行についてはすでに国内全体に広がっているようで、その火消しとして会ったこともない婚約者との結婚が早まったのだ。


「夜が明けるまで二人で過ごさせてくれるだなんて、父上が許すとは思わなかったなあ」

「ええ、そうですね。私もですわ。まさかお父様が野登と一緒に夜を過ごすことを許してくださるだなんて……」

「不思議なものだな」

「ええ、怖いくらいに」


 野登と野花は幼馴染みである。それはこれまでも、これからも変わらない。

 そして好き合っていたからこそ、お互いの考えることはよく分かっていた。


「まさかこれを使うことになるとは思いもしなかったよ」

「私も。ですが野登。いつの間にそのようなモノを買っていたのですか?」

「野花が奥でお姉様方に料理を習っている時間帯だね。大将の手伝いが終わったあとに、共に心中できる薬はないかと尋ねたらタダでくれたんだ」

「あらまあ、タダでくれるだなんて。商家の娘としては許しがたいことですわね」

「ははっ。俺もそう言ったんだが、黙って持って行きなって言われたよ。俺と野花のために、特別に用意した酒だから必要な時に飲みなって言葉と共に、ね」

「ふふっ、もしかしたらこうなることを知っていたのかもしれませんわね」

「あのヒトのことだからなあ」


 二人は顔を見合わせて笑う、笑う、笑い続ける。

 繋いだままの手は離さず、天から降り注ぐ三日月の光を受けて。

 そして二人は、野登が取り出したトロリとした液体のようなモノが入ったガラス細工の瓶の蓋を開けて、その中へ交互にナイフで小さく切りつけた親指から血を垂らした。

 これは野登がルメイ堂で世話になった際に大将からタダでもらったシロツメクサの酒だ。何も手を加えなければトロリとした見た目とは裏腹にすっきりとした飲み口のなんの変哲もない酒だが、二人のように血を垂らすことで毒薬に変化するという危険なシロモノである。毒薬と言ってもただの毒薬ではなく、解毒剤が存在しない劇毒で、そんな危険なモノを大将は野登に渡していた。


「一緒に飲めば、共に逝けますのね」

「ああ。俺たち二人の血を垂らし、共に飲むことでそろってあの世へ逝くことができると言っていた」

「そうですか。私が足をくじくことなく、フェルトリタ大公国まで行くことができていたならば、こんなに早く飲むことにはなりませんでしたのに……」

「仕方ないさ。俺も野花に無理をさせたくなかったからね。それに、これを飲まずに離ればなれになるよりは、飲んで共に逝く方が幸せだ」

「ええ、ええ。そうですわね」


 野花の手によって二つの杯にトロリとした酒を注がれる。一つを野登が、一つを野花が手に取り杯を交わす。


「結婚できなかったのは残念だけど、俺は充分幸せだったよ」

「私も同じ気持ちいですわ」

「また、来世で」

「ええ。またお会いしましたら、次こそは婚姻を結びましょうね」

「ああ」


 翌日、野登と野花の父親たちの目には、壁にもたれ、手を繋ぎながら眠りように死した二人の姿であった。

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