第25話 其は絆を紡ぐ楽器なり

 ルメイ堂の店内にシタールの音が鳴り響く。

 その音は窓際から聞こえてくるもので、マスターが視線を向けた先には一人の青年がソファに座りながらシタールをかき鳴らしていた。


「それで、音色ぉ。今日はいったいどうしたんだねぇ?」

「……マスター」

「うん、なんだいぃ?」

「ついに音々が後継ぎに決まって、家から出て行けと言われたんだよ」

「おや、それは災難だったねぇ」


 マスターが話しかけると、音色はシタールから手を離してソファの背にもたれそう言った。

 音色はフェルトリタ大公国のとある音楽一家に生まれた青年だ。その一家は元々宮廷で音楽を披露していた実績をもち、いまだフェルトリタ大公国で行われる式典の際に呼ばれることも多い。

 一家に生まれた者は生後数ヶ月のころから様々な楽器に触れて育つ。現当主の長男として生まれた音色も同様だ。そして、その妹として生まれた音々も……。

 しかしながら、この一家で生まれ育った人間は全ての楽器を奏でることができると言われる中で、音色はシタール以外の楽器をうまく奏でることができなかった。そういうわけで現当主の長男でありながら、音色を幼いうちに後継ぎの資格を失ったのだ。

 もちろん中には今後の成長次第で他の楽器も奏でられるようになるのではないかと言う者もいた。しかし現当主は妹の音々ができていることをできない音色をすでに見限っていたため、そのような相談を持ちかけられても一切応じなかったという。

 そして、音色の妹である音々が一家の次期当主――後継ぎ候補になったのだ。候補というのは音々の弟や妹、そのイトコたちも含まれているため、つい昨日まで音々は後継ぎ候補の一人として数えられていた。


「君の家は無駄に後継ぎ候補がいるからねぇ」

「そうなんだよなー! 俺は候補に挙がる前に外されたけど、音々は後継ぎ候補筆頭だったから無駄にストレス感じてたんじゃねえの?」

「君、いつから情緒不安定になったんだいぃ? さっきからテンション変わりすぎぃ」

「いやだって、ほら。後継ぎの話は関係ないし?」

「そうなんだけどねぇ」

「それに、別にここがあるから根なし草にはならねえじゃん。俺」


 先程までしょんぼりと暗い影を背負っていた音色は、一瞬で影を晴らして笑顔でそう言った。

 マスターはその様子を見ながら、相変わらず変な子だとため息をつく。

 音色は後継ぎ候補ではなかった。そして、妹の音々が正式な後継ぎとして決まったため、現当主の長男である音色は音々の障害にはならないだろうが、これからの人生の邪魔にならないようにと放逐されることになったのだ。元々現当主の長男とは思えないほど、恵まれた生活というものをしてこなかった音色は放逐されたとしても今まで通りの生活が続くだけだと思い、なかなか楽観的に考えていた。


「わざわざ自室の隠し扉を奥のダンジョンにつなげて毎日のように行き来してたくらいだものねぇ」

「学校は通わせてくれたけど、楽器の練習は自分でやれって言われてたし、食事も家族そろってってやつに誘われなかったからなー。いやあ、たまたまマスターと出会えた良かったぜ」

「はいはい、そうだねぇ。ついでに最上級のシタールを手に入れられて良かったねぇ」

「おう!」

「……君の性格がよく分からなくて疲れてきたよぉ」

「それについてはすまないと思っている」


 音色とマスターが出会ったのは、音色が八歳のころだった。相変わらずシタール以外の楽器を奏でられず、師匠である叔父にも呆れられていたあの日――音色はたまたま一家の屋敷に訪れていたマスターに出会ったのだ。

 マスターはその日、音色の曾祖母が愛用する木琴の修理に訪れたという。その木琴は音色の曾祖母の父がルメイ堂で買ったモノであり、マスターでなければ修理することができない一品だった。廊下で出会ったマスターを曾祖母のもとへ案内するという役割をもらった音色は、十五、六歳ほどの見た目をしたマスターが本当に楽器の修理を行えるのかと訝しんだが、実際にその様子を見て考えを改めたという。

 それから音色は曾祖母の紹介もあり、マスターの経営する雑貨店――ルメイ堂へと自由に出入りする権利を手に入れたのだ。


「さて、ここに住むというならば、やるべきことは分かっているねぇ?」

「おう。ダンジョンに住んでる音楽が好きな魔物とか植物にシタールを弾いて聞かせればいいんだよな?」

「まあそうだねぇ。基本的にはこれまでとやることは変わらないよぉ。勤務時間は延びるけど、その分給料は割り増しになるねぇ」

「やった!」


 マスターからの言葉に音色は喜びを見せた。これまでは一日のうち、数時間程度しかルメイ堂で働くことができなかった。しかし、実家から放逐されたとなれば今後の時間は自由に使うことができる。しばらくのうちはたくさん働き、そして……。


「金が貯まったらあの龍笛を売ってやるよぉ」

「……なんだ、バレてたのか」

「そりゃあねぇ。君のシタールに必要だった代金の一部は音々から贈られたものだぁ。後継ぎ問題に巻き込まれる原因となった君に対して文句一つ言わず優しい妹の音々を大好きな君が、彼女に対して何か贈り物をしたいと思うのは自然なことだろぉ?」

「うー、あー。うん、そうだな」


 音色が愛用しているシタールは、ある時ルメイ堂にやってきた当代一と呼ばれるシタール職人が誰かへの贈り物の代金として置いていったモノだった。その後は何十年もルメイ堂の楽器庫に仕舞われていたのだが、定期的な掃除にかり出された音色がそれを見つけ、譲って欲しいと願ったという。しかし当代一と呼ばれるシタール職人が作ったそれは年月を重ねたことで、市場での値段が上がっていた。

 シタールの値段など知らなかったマスターは市場での値段を確認し、音色にそれを提示したという。結局それは音色にとって払いきれる値段ではなく、諦めようと思ったらしい。しかし、その後音色の誕生日を家族の中で唯一祝ってくれた音々と曾祖母から贈られたお金でシタールを手に入れることができたという背景がある。

 どれだけ両親や祖父母、弟や妹にイトコを含めて親族連中に幼いころから馬鹿にされ続けてもシタールを奏で続けたのは、ひとえに音々と曾祖母の存在があったからだ。彼女たちのためならば、音色はどんなにキツい仕事でもやり通し、自身が贈られたように最高級の楽器を贈ろうと考えていた。


「音澄に贈る木琴の候補はすでにあるから、君は龍笛と木琴を買うためのお金を貯めるだけだぁ。簡単なことだろぉ?」

「ああ、分かりやすくていいな。でも、簡単じゃないだろ……」

「生活費なんかはこっちが出すんだから、細かいことは気にするなよぉ」

「それもそうだけどさあ」

「はいはい、この話はここで終わりだよぉ。それじゃあ、早速だけど仕事に取りかかってもらうよぉ」

「早くないか? 引っ越しは終わったけどさ」

「あの龍笛と木琴の値段を見て言えたら褒めてやろうじゃないかぁ」

「あっ、はい。働きます。心をこめて、精一杯シタールを奏でさせていただきまっす」

「よろしいぃ」


 一年後、とある音楽一家の後継ぎのもとに龍笛が。その曾祖母のもとに木琴が贈られてきたという。

 曾祖母ご贔屓の白い楽器職人から手渡されたその楽器と共に贈られた手紙に宛名はなく、癖のある字で”音”の一文字が中央に大きく書かれていた。

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