第6話 其は茨を喰らう炎なり

「ここが、あの人が眠っている場所か」


 茨に覆われた城の前に、オリヴィアは立っていた。

 ――手が震えている。

 ここに来てやっと緊張しているのだろう。オリヴィアは震える手を強く握りしめ、目の前に建つ城を睨みつけた。


「大丈夫。これがあれば、きっとあの人を助けることができるさ」


 茨の中へと歩を進めるオリヴィアの胸元には、薔薇を模したペンダントが揺れていた。


 この城には、十三年前からセレモンド王国の第三王子オリビエが囚われている。

 オリビエという王子は美しい顔立ちの少年で、幼い頃から将来は傾国の美貌となるであろうと言われていた。オリビエの両親や兄弟たちも美しい顔立ちではあったのだが、オリビエの美しさはその中でも特に際立っていたことから、よくない考えを持つ輩に日夜狙われていたという。

 大臣や騎士、貴族や商人に誘拐や監禁されたことは数知れず。その大半は未遂で終わったものの、オリビエを狙う者が減ることはなかった。むしろ、年々増加していったというほうが正しいだろう。

 そして十三年前、オリビエは茨の魔女にその美貌を気に入られ、攫われてしまったのだ。


「うつくしい うつくしい オリビエ。なんて うつくしいのだろう。オリビエ わたしの オリビエ。これで あなたは わたしの もの。うつくしい オリビエ いとしい オリビエ。この いばらの しろで ずっと いっしょに すごしましょう」

「オリビエ オリビエ。あなたは わたしの うつくしい オリビエ。だれにも わたさない。ずっと わたしの もの」

「いばらよ いばら。かわいらしい いばら おそろしい いばら すてきな いばら。わたしの いばらたち。オリビエの もとに だれも よせつけないように。むしも ねずみも とりも ひとも すべて すべて」

「ああ わたしの オリビエ」


 その日はオリビエの兄、第一王子と婚約者の令嬢が主催した舞踏会が開かれていたという。

 多くの招待客があふれかえる宮廷――その中にとある公爵家の令嬢に擬態した茨の魔女は紛れ込んでいたそうだ。


「はじめまして オリビエ」


 公爵家の令嬢が近寄り気安く話しかけることはありえないだろう。まして、敬称もつけず呼び捨てなど……。しかし、なぜがその時は誰も伯爵家の令嬢から第三王子に話しかけたことを疑問に思う者はいなかった。

 友人たちと談笑していたオリビエも、その護衛の騎士も、オリビエの友人たちも、周囲にいた者たちの誰一人として。


「あなたに あえて うれしいわ」


 公爵家の令嬢に擬態した茨の魔女がオリビエに触れると、どこからともなく現れた茨に二人は包み込まれ……。音もなくその場から消え去ったという。護衛の騎士が茨を斬りつける前に、魔法使いと魔術師が茨を炎で焼く前に、オリビエと茨の魔女はまるで最初からこの空間に存在していなかったとでも言うようにいなくなったのだ。

 そして、セレモンド王国内にある、老朽化により打ち捨てられた城の一つが一晩のうちに茨で覆われた。

 あれから十三年。国内外の騎士や魔法使い、魔術師に傭兵、度胸試しにやってきた旅人などがオリビエを救出するため茨に挑んでは返り討ちにあい、いまだオリビエのもとにたどり着いた者はいないと言われている。


 ズルズルと音を立てながら茨が退いて行く。

 ザワザワと音を立てながら茨が蠢いている。

 これらの茨は全て茨の魔女の目となり耳となり、手足となってこれまでオリビエの救出にやってきた者たちを蹴散らしたモノだ。オリビエを助けるために乗り越えなければならないが、セレモンド王国一の魔法使いや魔術師でさえ、この茨を排除することはできなかったという。

 ――しかし、どうだろう。

 オリヴィアが一歩進むたび茨が退き、五歩進むたびオリヴィアの背後が茨に覆われていく。


「ふむ。やはり店主の製作した茨除けはそこらの魔法使いや魔術師の手では作れない代物だな」


 かすかな光が茨の隙間から射しているものの、左手に持つランプがなければ歩みを進めるのも一苦労であっただろう。それだけ厚く茨に覆われた場所をオリヴィアは歩いていた。

 茨にその身を一切傷つけられることもなく……。

 そしてしばらく進んだところで、城の入り口を見つけることができた。その扉も茨で覆われていたが、オリヴィアが手を伸ばすとスルスルと音を立てながら退き、ついでとばかりに扉を開く。「便利なものだな」とつぶやきながらオリヴィアが城内へ足を踏み入れると、そこはまるで幾重にも張り巡らされた蜘蛛の巣のように茨で埋めつくされていた。


「いいかいぃ? あの茨の魔女ならば、王子様の眠る寝室以外、全てを茨で覆っているだろうぅ。まあ、その程度しか能がないんだけどねぇ……」


 店主はため息をつきながら、オリヴィアの前に置かれたペンダントを指さす。


「さて、そこで重要なのがそのペンダントさぁ。それには茨除けの魔術式が刻み込まれ、中には茨を養分に育つ炎の魔法を含んだ液体が入っていると説明したねぇ?」

「ああ、聞いていたぞ。城は外も中も茨に覆いつくされているというから、それら全てに液体をかければいいのだろう?」

「いやいやいや、それは得策ではないよぉ。城の外を覆う茨と、城の中を埋めつくす茨なら、茨の魔女の近くに存在している城の中の茨のほうが凶悪なんだぁ。だから、城の中に入るまで、その液体は使わないほうがいいよぉ」

「そうか……。ああ、それならば液体は一度に全て使ってしまってもいいのか?」

「城の中の茨を燃やすなら、半分もいらないよぉ。数滴足らすだけで十分さぁ。もし使い切りたいっていうのなら、道中に燃やしきれず残ってしまった茨や、茨を燃やされたことで弱体化した茨の魔女にかければいいんじゃないかねぇ」

「……茨の魔女も燃やすことができるのか?」

「ああ、勿論さぁ。茨の魔女は炎に強い性質を持っているけど、その液体はさっき言った通り茨を養分に育つ炎の魔法が含まれているんだぁ。炎に強かろうと、自分の体を貪られたらどうしようもないと思うよぉ」


 オリヴィアはペンダントを外し、上部の蓋をひねって開けると――中の液体を数滴足元へ落とした。

 すると、液体はゆらりと蠢きながら広がり、茨に火をつけたかと思えば一瞬にしてそれらを大きな赤い炎で包み込んでいく。燃え盛る炎はすくすくと成長していき、城の中隅々まで赤く染めていくが、不思議とオリヴィアが熱さを感じることはなかった。

 そして、遠くから女性の甲高い叫び声が……。


「ああ、茨の魔女のもとまで炎が届いたのか。思った以上に勢いのある炎だったな」


 女性は、いまだに叫び続けている。女性の声以外は聞こえてこないため、オリビエは炎に包まれることもなく無事なのだろう。店主はオリビエの安否について何も言わなかったが、きっと液体にはオリビエを守る魔法か魔術式も含まれているのだろうと思いながら、オリヴィアは歩き出した。


「さあ、早くオリビエ様を助けなければいけないな。帰ったらすぐに婚約の申し込みをしなければ」


 ハルステア王国第二王女オリヴィアは、笑みを浮かべながらそう言った。

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