第7話 其は貴方を守る鈴なり

 傷を負った兵士が、目の前を通り過ぎる。一人、二人ではない。十人、二十人と視界に入るほとんどの者は誰もが傷を負っていた。


 きっかけは国をまたいで起きた災害と凶作だ。災害に巻き込まれ、凶作で飢えて死んだ者は少なくない。どの国でも多くの国民たちが無残に死んでいった。

 ハルステア王国でも、梅廉国でも、セレモンド王国でも、フェルトリタ大公国でも、ベイリーウス王国でも。国を問わずに人々は死に、世界の総人口は六割程度まで減ってしまったという。

 そして、人々は生きるため、国を守るため、国民を生かすため、少ない作物を奪い合い、武器を持ち、魔法と魔術を使い続け……世界の全てを巻き込む大戦を始めたのだ。


佳月かづき

「……お前か」

「そんなに強く握りしめていては、花鈴かりん嬢からもらった鈴を壊してしまうぞ」

「まだ言うか。私の握力程度でこれは壊れないよ」


 ここは梅廉国とフェルトリタ大公国の境界にある村。その先にある平原の向こう側に、フェルトリタ大公国軍が陣をしいていた。


「優男な風貌のわりに、力こそ正義のようなお前に言われてもなあ」

「お前も同じようなものだろう」

「いやいや、俺はどちらかと言えば情報こそ正義ってやつだ。ま、最終的には力押しで勝つけどな」

「それみろ、お前も私のことを言えないじゃないか」


 佳月と彼は梅廉国軍に所属する軍人だ。お互い、代々軍人を輩出する家系に生まれ育った幼馴染みでもある。

 世界大戦が始まり早十年。開戦直後は士官学校の学生であった二人もいくつか階級を上げ、日々部下たちと共に砂ぼこりに塗れていた。


「はあ……。休戦協定が結ばれるという情報は届いているが、こうも毎日のように負傷者が増える様子を見ると現実的とは思えないな」

「ああ。しかし休戦協定の情報が出てからは、どの戦場も比較的落ち着いている。俺たちが投入された十年前に比べれば、平和なものさ」

「確かにな。……どの国も災害の復興は遅れているが凶作は乗り越えている。十分な食料があり、飢えることがなければ俺たちが戦い続ける意味もないだろう」

「そうだな」


 災害によって農作物が被害を受け、同時に起きた数年に渡る凶作で世界中が恐慌に陥ることになるとは誰も思いはしなかっただろう。人々は襲い来る飢餓に耐えきれず、食料を求めて他国へと進軍し、十年もの間、世界中を巻き込んだ大戦が続けている。

 しかし、ここ最近各国の間で休戦協定が結ばれるとの情報が入り、佳月のいる戦場も比較的落ち着いて過ごせるようになった。このまま正式に休戦協定が結ばれれば――それでもしばらくは小競り合いが起きるかもしれないが、今より落ち着いて過ごせることになるだろう。


「帰ったら、花鈴嬢との結婚か」

「ああ。随分と待たせてしまった」

「あーあー、羨ましいねえ。俺の婚約者様は本部の情報部にいる忙しい身だから、俺が結婚するのはいつになることやら」

「ははっ、案外すぐ結婚することになるかもしれないぞ」

「そうだったらいいんだがなあ……」


 佳月は婚約者の花鈴からもらった鈴を見つめながら、ふわりと笑った。

 虹色の組みひもで飾られたこの鈴は、二年前に花鈴から心身の無事を祈るといって渡されたお守りだ。これがあるから佳月は辛い前線での生活も乗り切れた。凶弾によって命を落としかけたこともあるが、今際の際にこの鈴の音が聞こえ、導かれるように目を覚ましたこともある。きっと花鈴が守ってくれたのだろう、と佳月は彼に笑って言ったそうだ。


 ――それからしばらくして、休戦協定が結ばれた。

 いくつか片づける仕事はあったが、佳月と彼はお互い五体満足で実家に帰ることができたという。

 しかし……。


「店主殿、何を戯れたことを言っているのですか」

「戯れではないよぉ。花鈴嬢は死んだんだぁ」


 佳月に待っていたのは、絶望であった。

 実家に帰り、両親へ無事の報告を済ませるとすぐに花鈴の家へ向かおうとした佳月に、両親は先にルメイ堂へ寄るように告げたそうだ。佳月は花鈴に会うため、後回しにしてはいけないかと問うたのだが、花鈴もそこにいると言われてしまってはルメイ堂へ向かう他に選択肢はない。

 ――しかし、店内に花鈴の姿はなかった。

 カウンターの向こう側に立つ店主へ花鈴の居場所を問えば、すでに死したと佳月は告げられたのだ。


「しかし、父上も母上もここに花鈴がいると……」

「遺体はご実家の墓に埋葬されているよぉ。ここにいるのは、花鈴嬢の魂さぁ」

「たま、しい?」

「そう、魂ぃ。花鈴嬢はね、ここで息を引き取ったのさぁ」


 花鈴は二年前、罹れば数年のうちに命を落とすと言われている治療方法が見つかっていない病に罹ったという。それは徐々に花鈴の体を蝕み、ここ半年は身体の奥から何かに食い破られるかのような痛みに耐える生活を送っていたそうだ。


「あの子は、前線から帰れない君のことを随分と心配していたよぉ。魔術道具があるからといって、前線にいる君と通信するなんてなかなか難しいことだからねぇ。それでもずっと、君の無事を願っていたんだぁ」

「ええ、ええ……知っています。この十年間、両手で数えられる程度の回数しか彼女と顔を合わせて話すことはできませんでした。しかし、それでも……」

「二年前、病に罹ったあの子がやってきたのさぁ。前線にいる君のために、君が生きていることを確認するためのものを、一度だけ命を助けてくれるためのお守りを求めて……ねぇ」


 店主は佳月が握りしめた鈴に目をやり、そう言った。


「この鈴……が?」

「そうだよぉ。前線にいる君と連絡を取るのに数ヶ月から数年かかることもあったんだぁ。定期的に手紙が来ると言っても、戦況によってはその手紙が来ないことだってあるしぃ。だからあの子は、持っているだけで君が生きて無事でいることを知ることができるお守りを願ったんだぁ」

「……それじゃあ、あの鈴の音は」

「君が死の淵に立っていることに気づいたあの子が、対の鈴を鳴らした音だよぉ。君の持つソレと、あの子の持っていた鈴は君たち二人の縁でつながっていたんだぁ。だからこそ、君は現世に帰ってくることができたんだよぉ。その鈴と、あの子のおかげでねぇ」

「あ、ああああ、あっ」


 佳月は両手で顔を覆い、その場に泣き崩れた。


「あの子は君の無事をずっと祈っていたんだ、命が尽きるまでずっと、ねぇ。だから君は生きなければいけないよぉ。あの子が救った命なんだからぁ」

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