第4話 其は雪うさぎの振り袖なり

「やあ、店主! 注文したモノはできているかな?」


 ガラゴロンといつもとは違う音を立てて店の扉が開いた。

 このように店の扉を乱暴に開ける客はそういないので、店主は客の声を聞かずとも誰が来たのかすぐに分かった。まあ、扉を開ける音が聞こえない客もいるし、中には扉を破壊する客。そもそも扉から入ってこない客もいるので千差万別である。


「おやぁ、ウィリアム様じゃないかぁ。いらっしゃいませぇ」

「相変わらずのんびりした話し方だね、店主」

「んふふっ、ウィリアム様も相変わらずマイペースだねぇ。そうそう、注文の品はできているよぉ。用意するから、椅子に座って待っていなよぉ」


 現れたのはセレモンド王国のオルドー子爵ウィリアム。三十路も近いというのに、落ち着きがないように見える常連客の一人だ。仕事の時は人が変わると言われているようだが、ここは仕事場ではなくプライベートで訪れる場所なので店主はウィリアムの別の顔と言うものを見たことはなかった。


「ああ、今日は君以外のお客様もいるから気をつけてねぇ」

「分かっているよ」


 店主がカウンターの奥にある扉の向こうに消えると、ウィリアムはカウンター席に座り、いつものように店内を見回した。

 店内にはウィリアムの他に一人の男性がいるようだ。顔立ちや身に着けているものから、彼が梅廉国の人間であることが分かる。もしかしたら、梅廉国の服を身に着けたフェルトリタ大公国の人間かもしれないが、ルメイ堂が拠点を置くこの地は梅廉国なので、ウィリアムは彼が梅廉国の人間であると予想した。

 彼はトロリとした液体のようなモノが入ったガラス細工の瓶を大切そうに抱えている。きっと、彼がそれを贈る相手は瓶の中に入った液体を好む人なのだろう。そしてその相手は、――彼の恋人だ。そうでなければ、頬を桃色に染め、半開きの口から熱のこもった吐息を吐くことはない。――そのようなことを考えながら、ウィリアムは楽しそうに彼の様子を観察していた。


「やあやあ、お待たせぇ。これがウィリアム様の注文した着物だよぉ」


 いつの間に奥の部屋から戻ってきたのか、店主がそう言いながらウィリアムの前――カウンターに触り心地の良い紙で包まれた長方形のモノを置いた。「さあ、開けてみなよぉ」と店主に促され、その紙を丁寧に開いていくと、中から鮮やかな青色の着物が現れる。

 それは、梅廉国で露草色と呼ばれている鮮やかな青色地の布に、雪の結晶や雪うさぎが刺繍された振り袖だった。


「うん、いいね。期待通りだよ店主。これなら、うさぎも喜んでくれそうだ」


 ウィリアムは振り袖を広げ、近くにあったトルソーに着せると満足そうに笑みを浮かべる。それを見て、店主は目を丸くしながらため息をついた。


「やると思ったけどさぁ……。君、着物のたたみ方なんて知らないだろぅ?」

「そりゃあ、もちろん。僕が知るわけないだろう?」

「わぁ、ウィリアム様ったら素直ぉ。まあ、いいけどねぇ。それのたたみ方は君の想い人が知っているだろうさぁ。後、形態記憶の魔術式も組み込んでるから、最悪魔法でパパッとたたんでねぇ」

「おや、それなら僕でも綺麗にたたむことができそうだね。まあ、うさぎにあげたら簡単に触れられるものじゃないから僕がたたむことはないんだろうけどさ」


 振り袖にきざまれた雪うさぎの刺繍を指でなぞりながら、ウィリアムは呟く。

 うさぎ、と言うのはウィリアムの屋敷で働くメイドのことだ。梅廉国の出身で、男爵家の令嬢らしい。しかし、男爵家と言っても父親が事業に失敗した結果、幼い頃から貧乏な生活をしていたようだ。それ故に家族の生活を助けるため、仕事を求めてセレモンド王国へとやってきたと言う。


「いやあ、うさぎが僕のことを嫌ってはないことは知っているんだけれど、僕としては雇い主としてじゃなくて恋人として好きって思われたいんだよねー」

「そもそも、君たち恋人じゃないだろぉ?」

「うん、まあ、そうだね。今は恋人じゃないね」

「今は、ねぇ……」


 屋敷の主であるウィリアムがうさぎに惚れたのは、うさぎがメイドとして働き始めてすぐのことだ。

 名ばかりの男爵令嬢であるうさぎは、使用人を雇う余裕のない実家で、兄弟姉妹とともに数少ない使用人から料理の作り方や食器の洗い方、掃除や洗濯の仕方など様々なことを習っていた。そのおかげか、同時期に雇われたメイドたちよりも早く一人前のメイドとして仕事を任せられるようになったらしい。

 そのことに嫉妬した同時期に雇われたメイドたちが、うさぎに嫌がらせをするように自分たちの仕事を押し付けるようになったのは言うまでもない。結局、それは一人で誰よりも多くの仕事に追われるうさぎの姿を見かけたウィリアムによって解消されるのだが……。うさぎに嫉妬した者たちの姿は、それ以来屋敷の中で見かけることはなかったと言う。


「うさぎは努力家で頑張り屋さんだから、きっと僕と結婚したら良い子爵夫人になると思うんだよね。名ばかりの貧乏男爵令嬢とは言え、貴族の令嬢としての教養は最低限受けているようだし……。僕の婚約者になったら、家庭教師を雇って足りない分の必要な教育を受けさせたら何も問題はないだろう?」

「はぁ……。まず、彼女が子爵夫人になるという選択肢を持っていると思うのかいぃ?」

「うん? 僕と恋人になれば自然と選択肢が現れるはずさ」

「いやいやいやぁ。それは違うよ、ウィリアム様ぁ。その選択肢を持たない状態で君の恋人になるなんて、それは最終的に捨てられるという選択肢を持っているからだろぉ?」

「え?」


 ウィリアムは店主の言葉が理解できない。と言うよりも、理解する気はないというような輝かしい笑みを浮かべて見せる。それを見た店主は、ウィリアムにこれ以上、彼女の気持ちを無視するなと言っても聞く耳を持たないだろうと考えて、贈り物の説明をすることにした。


「はぁ……。とりあえず、これの説明をするねぇ」

「うん、頼んだよ」

「はいよぉ。この振り袖は、君が望んだ通り、身に着けた人が振り袖を贈った人に対して恋心を持つようになるモノだよぉ。この場合、身に着ける人がうさぎ、振り袖を贈った人が君ねぇ」

「そうだね」

「恋心を持つといっても、身に着けた瞬間、君に恋をするわけじゃなくてぇ……。簡単に言えば、身に着けている間、君のことを目にするとつい目で追いかけてしまったり、胸がドキドキしちゃうのさぁ。それが続くと、気づけばこれを身に着けていない時も君のことが気になるようになるって感じの魔術式を織り込んでいるよぉ」

「うん、うん。なかなか良いモノだね。でも、うさぎが僕に一定以上の好意を持っていないと着せても意味がないんだよね」

「そうだよぉ。だって、これを贈った人に対して嫌悪感を持っていれば、織り込まれた魔術式と身に着けた人の感情がに反発してしまうからねぇ。まあ、まずはうさぎが君のことを嫌いならこれを受け取らないだろうし、受け取ったとしても身に着けることなく捨てるか封印するだろうさぁ」

「やだなあ、店主。うさぎが僕のことを嫌いだなんて、ありえないだろう?」

「……前向きだねぇ。まあ、後は君の頑張り次第さ。精々、気長に待つんだねぇ」


 店主の言葉にウィリアムは「もちろん」と返しながら、うさぎへ贈る振り袖をトルソーごと抱きしめた。

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