吸血鬼は嘔吐しない

 いったい、どこで間違ってしまったのだろう。


 ヴァンパイアハンターに捕まる刹那、わたしは何度も煩悶した。取り押さえられた状態でもがき、あがきながら、何度も何度も。しかし、いまさら己の愚かさを呪ったところで遅い。ヴァンパイアハンターはヴァンパイアを殺すのにうってつけの武器を持っている。杭だ。それを心臓に打ち込まれたが最後、ヴァンパイアはその生命活動を停止する。小娘がいくらあがいたところで、彼らは頓着しない。わたしは間もなくして簡単に仰向けにさせられ、左胸に杭をあてがわれた。そして、ハンターの一人が金槌を振りかざすのが見え……


 おしまいだ。


  ††† †††


 はじまりは高校二年生に進級して間もない頃のことだった。


「ねえ、知ってる? 絶対に痩せるダイエット法があるんだって」


 教室で同級生たちが話しているのを聞いた。


「嘘。そんな方法あるの」


「それがあるんだって。三年の間でめっちゃ流行ってるらしいんだから」


「何それ。変な薬とかじゃないよね」


「違う違う。なんでも精神的なものらしいよ。自己暗示とか催眠術的な? とにかく、そういうのがうまい人がこの街に住んでるんだって」


「で? その人に催眠術をかけられたらダイエットが成功するの?」


「そうらしいよ」


「胡散臭いなあ」


「ホントだって。ほら、商店街のはずれに小高い丘があるでしょ。そこの洋館に住んでるんだって」


「なら、あんたが行けばいいのに。そしたら信じるよ」


「わたし? ダイエットが必要に見える?」


「むかー」


 取るに足らない噂話かもしれない。だけど、わたしには気になった。


 きっかけはその二年前、中学三年生の身体測定の日だった。身長は変わってないのに、体重だけが増えていた。いま思えば、なんてことのない数値。平均の範囲内だろう。だけど、わたしは気になった。気になってしまった。痩せなきゃ。そう思ったわたしはダイエットをはじめた。朝と昼の食事を抜かし、夕食もカロリーの低いものしか食べなくなった。


 体重がみるみる落ちていく。それが快感だった。いま思えば、それは拒食症のはじまりに他ならなかった。しかし、当時のわたしはそんなことなど気にもかけなかった。痩せれば何でもよかったのだ。


 転機が訪れたのは、突然のことだった。ある日、家を出たところで不意に目の前が暗くなるような感覚を覚えたのだ。学校に行く気力がなくなり、わたしは電池が切れたおもちゃのようにその場に立ちすくんだ。


 そのとき目についたのがコンビニだった。わたしは何かに誘われるようにして、ふらふらとコンビニのドアをくぐった。気が付けば両手いっぱいに菓子パンを抱えている。わたしはそれをレジに持って行き、公園で一気に食べた。抑圧されていた食欲が解放された瞬間だった。


 それからはスイッチが切り替わるようにして過食に転じた。お小遣いの許す範囲でお菓子やパンを買い、それらを食べてはトイレで口に指を突っ込んで吐いた。食べては吐き、吐いては食べた。そのときになって初めて無茶なダイエットを後悔した。でも、いまさらどうしようもない。そのときのわたしには食べることしか頭になく、また、太るのも嫌だった。そんな折、ダイエットの噂を聞いたのだ。


 催眠術でダイエットが成功するなら、同じようにして過食症も治るかもしれない。そう思った。


 そしてわたしは、噂の洋館を訪れた。もちろん、そのときはまだ知らない。まさか、そこに住んでいるのが、催眠術師などではなく、血に飢えたヴァンパイアであることなど。


   ††† †††


 こうしてわたしはあの美しいヴァンパイアに出会い、同じくヴァンパイアになった。永遠に老いることがなく太ることもない体を手に入れた。固形物への欲求が消え、人間の生き血だけを求めるようになった。わたしは夜な夜な街に繰り出しては、若い女性の血を吸った。血ならいくら吸っても嘔吐する必要はなかった。わたしはそこで初めて食べることの罪悪感から解放されたのだった。しかし、それで調子に乗りすぎたのだろう。毎夜のように血を求めた結果、わたしは間もなくしてヴァンパイアハンターに目をつけられることとなった。


   ††† †††


 金槌が振り下ろされる。


 最後の瞬間まで、わたしは問いかけ続けていた。


 いったい、どこで間違ってしまったんだろう、と。

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