第二話 常識を知る

「目、覚めた?」


 石の天井を見上げ、目を瞬かせる。数秒後、むくりと体を起き上がらせれば、助けを呼びに行ってくれた女性がいた。


「私はマーリン。昨日はありがとうね」

「あ、いえ……私は柊紫音です」


 名前を言って笑いかけてくれたマーリンに、紫音もつられて名を述べた。


「ヒイラギって、珍しい名前ね。どっかの領主様の子……かい?」

「紫音、の方が名前なんです。あ、いえ」


 首を傾げたマーリンに、こちらでは姓名が逆なことを知る。さらに、どうやら特定の人しか名字を持っていないようだ。

 次からは名前だけ名乗ろうと決めて曖昧に笑えば、マーリンは特に気にした風もなく笑い返してくれた。


「あの、私」


 ぼんやりとした頭で、今の状況をマーリンに問いかける。


「一日眠ってたんだよ。今の時間はお昼だね」

「……すみません。お世話になってしまって」


 あれからどうなったのかと問えば、今はもう次の日だと言われ焦る。無一文のため、払えるお金も何もないと言うと、世話になったのは私の方だとマーリンは再び笑った。


「さっきも言ったけど、助けてくれてありがとね。お礼には足らないかもだけど、これくらいはさせて」

「ありがとう、ございます」


 それじゃあご飯にしよう。とマーリンがベッド脇の椅子から立ち上がった。紫音はまだ寝てるように言われたが、どこも不調はないことを伝えてマーリンの後ろに続く。


「パンとスープで平気?」

「大丈夫です」


 湯気が立つ鍋から赤い液体を皿に入れているマーリンに頷き、フランスパンを切ったようなもの入った皿を渡された。

 皿を持ち、指示された席に着く。少し遅れて、マーリンも紫音の分のスープを持って席に座った。


「美味しそう……。いただきます」


 食欲をそそる匂いに、紫音はすぐさま手を合わせると木のスプーンを手に取った。


「いただきます?」


 トマトに似た酸味のあるスープを口に運んで入れば、紫音の前に座っていたマーリンが不思議そうに首を傾げている。


「私のところでは、食事を作ってくれた方や、食材に感謝を込めてそういうんです」

「へー? 私らのところでの祈りに似たようなもんかね?」


 食事の前には、恵を与えてくれたことを神に感謝する祈りを捧げるのが一般的だと言ったマーリンに頷く。感謝を捧げるという意味では大差ない。


「で、紫音はこれからどうするんだい? あ、かたっ苦しい話し方はしないどくれ」

「そう? じゃあ、そうさせてもらおう、かな。……実は身分証がまだないから、職業適性を調べてから作りに行く予定」


 砕けた話し方を希望したマーリンに合わせて会話をする。昨日門番の男性に聞いたことをいえば、納得したようにマーリンは頷いた。

 皿の底に残っていたスープを飲み干して、空になった皿を台所に持っていく。

 マーリンの皿も一緒に片付けてそのまま食器を洗い始めれば、背後からはお礼の言葉とカラカラと笑う声が響く。


「あんたなら、冒険者も問題なさそうだね」

「……ねぇマーリン」

「ん?」


 実は問題大有りな紫音は、ゴクリと息を飲み込み、意を決したようにマーリンを呼んだ。

 二人分と少なかったため、すぐに洗い終わった食器をカゴに置いて水道を止める。かけてあったタオルで手を拭って後ろを振り向くと、マーリンは水を飲みつつ「なんだい?」と先を促す。


「私、ここのこと何も知らないんだ」

「何もって、どのくらい知らないのさ」


 ぽかんと口を開けてから目を瞬かせたマーリンに、紫音は苦笑を返す。

 短期間ではあるがよくしてくれたマーリンがいい人だということはわかっていたが、別世界から来たことをうまく説明できる自信はない。

 本当のことを言えない心苦しさを感じつつ、紫音は作り話を口にする


「私、すごく田舎出身で……」


 田舎ゆえ、自給自足の生活でお金は使わず、必要なものは村人との物々交換で暮らしていた。

 近くに町がなかったことから、冒険者の存在や魔法使いの存在も知らずに育った。動物に襲われることはあったので、弟と二人で剣の腕は鍛えていた、と説明をする。


「ある程度の年齢になると出稼ぎに出ることになってるんだけど、地図をなくしてしまって……なんとか昨日この街にたどり着いたの」

「はー……苦労したんだねぇ」


 門番の男性が勝手にしてくれた勘違いを取り入れさせてもらった。

 出稼ぎに出る風習や、辺境の地にも村が存在している事実はあるようで、紫音の説明にマーリンは疑うことなく長い溜息をつく。

 ボロボロの服からも想像がついたのだろう。ただ、汚れていたはずの体は気を失ってた間にマーリンが拭いてくれたようで、多少綺麗になっていた。


 ぽんぽんとなだめるように肩を叩かれ、紫音は何度目かわからない苦笑を返す。


「じゃあ、私がわかる範囲で教えるかね」


 まずはお金からだね。と言ったマーリンが部屋の奥に行って、財布であろう布の中から丸い硬貨を四枚机に並べた。


「お金は全部で五種類だよ」


 左から I アイアンB ブロンズS シルバーGゴールド。マーリンが持っていたのは G ゴールドまでだったため、この他にプラチナがあると告げる。

 彼女の説明で、下から一円、十円、百円、一万円、十万円くらいの相場だと把握した。


「私らみたいな平民は S シルバーまでしか使わないね。それ以上に高い買い物はしないし」


 貯蓄のときに S シルバーまでだとかさばるため G ゴールドに変えるが、パンも 6 B ブロンズで買えるため G ゴールドを生活で使うことはない。

 G ゴールド以上のお金は貴族や、成功している冒険者や薬師、商人などが武具の購入や取引に使っているんだとマーリンは説明した。


「私らでも家の購入時には P プラチナくらい使うことになるけど、親から譲り受けたりすることが多いからねぇ」

「パンが 6 B ブロンズ……」


 パン一つが六十円と脳内で日本円に換算した紫音は、その安さに驚くと同時に、G ゴールド以上を使わないということも納得ができた。

 なにせパン一つ、普通にフランスパンサイズくらいあるのだ。種類によってはもっと安いというから驚きである。

 なお、調理に使うもので一番高いのは調味料だが、それも一瓶 1 S シルバーから 3 Sシルバー。ひと瓶は、一リットルサイズくらいある。

 たしかに、G ゴールドは出番がないだろう。


「ああそうだ。紫音の村には、人族以外の種族はいたかい?」

「いや、昨日初めてネズミ男を見たかな」


 首を左右に振った紫音に、マーリンが今度は元の世界でいうスマートフォンのようなものを持ってきた。

 画面には、地図が表示されている。


「これが、身分証なんだけど」

「え、これが?」


 驚くべきことに、スマートフォン型のそれがこの世界での身分証だと言う。画面は切り替えが可能で、最初の画面には名前と年齢、そして種族名と職業が英語で表示されていた。


「種族ってここにあるように、私たち人族以外にもいくつか種族があるんだよ」


 身分証の説明はギルドでしてもらってと言って、マーリンが種族の説明に戻る。

 種族の多い順に、人族、獣人族、魔人族、妖精族がいて、昨日出会ったネズミ男は獣人族だ。

 なお、世界全てが明らかになっているわけではないため、これだけではない可能性もあるとマーリンは説明した。


「妖精族はエルフとドワーフがいるんだ。種族としては少数だけど普通に王都とかでも生活してるから、すぐに会えると思うよ」


 大まかな地図で各種族が治めるの国の説明や、季節や曜日、時間に関することも聞いて、覚えなければいけない常識の多さに紫音の頭はパンク寸前だ。


「あとは、冒険者になるなら魔物とかについても知らなきゃいけないんだろうけど、それはギルドに聞いた方が早いね」

「覚えられる、かな」

「徐々にでいいさ」


 パンっと叩かれた肩。覚えることに対して言われたはずの言葉なのに、なんとなくこの世界に受け入れられた気がして、自然と紫音の口が弧を描く。


「そう、だよね」

「ああ、そうさ」


 朗らかにそう言ったマーリンに背中を押されるように、紫音はコップに入っていた水を一気に飲み干すと席を立った。


「よし、じゃあ早速行ってくる」


 太陽の位置はまだ高い。職業適性を調べ、身分証を作る時間は十分にあるだろう。


「あ、そうだ」

「ん? まだ何かあるのかい?」


 預かってくれていた木刀を受け取り、マーリンの家の玄関で紫音は声を出した。


「昨日、助けてくれた人にお礼を言いたいなって」

「ああ! 名前は忘れちまったけど、確か黒い狼の獣人だよ。まだ街にいるかはわからないが、冒険者ギルドで聞いてみるといい」


 狼の獣人。

 気を失う前に、犬だと思っていた紫音の言葉を訂正した力強い声を思い出す。


「ん、そうしてみる」

「それとこれ、大きさが合うかわからないけど、ないよりましだろ?」


 マーリンが持っているのは、茶色のグラディエーターサンダルのような見た目の靴。太めの帯が可愛らしいその靴は、ヒールも一センチほどしかなく歩きやすそうだ。


「え? これ……」

「履いて行きな」


 結婚してすでに家を出ている娘にプレゼントしたが、好みではないと断られたのだとマーリンが口を尖らせる。

 

「きっと、あんたにあげるためにうちにあったってことさ」

「ふふ、ありがと」


 不満そうな顔から一転、パチンとウィンクを送ってきたマーリン。受け取りづらくならないようにの配慮だとわかった紫音も、遠慮はせず笑顔で受け取る。


「この街にいる間はいつでも来なさいよ」

「じゃ、宿代わりにでもさせてもらおうかな」

「お金はしっかりとるからね」

「まずは稼がなきゃか……」


 数時間しか一緒にいなかったにも関わらず、古くからの友人のように言葉を交わす。そのまま話し続けてしまえば日が暮れてしまうので、また来る約束をしてマーリンの家を後にした。


これから向かうのは、領主の屋敷だ。

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