第三話 聖女誕生

 マーリンに書いてもらった地図を頼りに道を進む。

 石畳の道に、もらったばかりのサンダル。昨日と比べて格段に歩くきやすくなったことで、紫音は非常に上機嫌だ。


 太陽の位置から、昼を少し過ぎた程度の時間であろう今。季節は夏。こちらでは緑(りょく)ということをマーリンに習った。

 人通りの多い商店街のような場所を通り抜け、徐々に近づいてくるのは街の中央にそびえ立つ城のような建物。領主が住む場所だと聞いてはいたが、紫音は思わず口を開けたまま見上げてしまった。

 

「お邪魔します」

「ケトゥス領主の屋敷にようこそ。本日のご用件はなんでしょうか」


 開かれている門から中に入り、整備された庭を二十メートルほど進むと、ようやく玄関にたどり着く。開かれている扉から中に入れば、すぐ脇にいた女性が紫音の声に反応して近づいてきた。

 ひざ下までの黒いタイトスカートに、同じく黒いトッパーコートのようなものを羽織っている。


「職業適性を調べたいんですけど、今からできますか?」

「はい大丈夫ですよ。では、こちらへどうぞ」


 目的を告げれば、微笑しながら軽く会釈をした女性は紫音について来るようにと告げて、屋敷の奥へと足を進める。

 領主が住んでいる家に入るには別の入り口があるようで、外から見えた大きさの割に扉の数は少なかった。


「身分証はもう持っていらっしゃいますか?」

「いえ。このあと冒険者ギルドで作ろうと思っています」


 受付と思われる扉以外に、左右と一番奥にある扉のうち右の扉へと通される。


「冒険者希望なんですね」

「はい。武術には少しだけ心得があるので」

「まあ、頼もしいですわ。申し遅れましたが、私は今回検査の担当をさせていただくホリーと申します。よろしくお願いしますね」


 口元に手を当てて上品に微笑んだホリーが、部屋の中央に置いてある机の前に紫音を誘導する。机の上には、透明な丸い水晶が置かれていた。


「では、そこの椅子に座ってお待ちください」


 指示通り紫音が椅子に座ると、ホリーは一旦部屋の奥の方へ消えて、紙と羽ペンのようなものを持って戻ってきた。

 

「身分証がないとのことでしたので、情報を管理するためにこちらに記入をお願いします」


 差し出された用紙には、門番のところでも書いたような内容にプラスして年齢、誕生日を書く欄があった。

 月は、一月を一ノ月、二月を二ノ月と書くことを昨日習ったので、二ノ月十六日と書く。

 なお、七日間で一ノ週(一週間)となり、四ノ週で一月。これが十二ヶ月つつくので、一年は三三六日と地球より少し短いことを紫音は昨日知った。


 最後の年齢も偽る必要はないので十七と記入して、ホリーへと渡した。


「それでは、職業適性検査に移ります。」


 内容をチェックし終わったホリーは頷いて、用紙を持ったまま紫音を見つめた。


「目の前のクリスタルに手を置いて、魔力を流し込んでください」

「魔力、を……流し込む」


 言われた内容に紫音は思わず口ごもる。魔法に関することをほとんどマーリンから教わっていなかったのだ。

 魔力を出ろと念じてみても、それだけで魔力が出てくれるはずもなく。そもそも魔力があるのか紫音が疑問に思っていたとき、ホリーのおっとりとした声がかかった。


「魔力を使うのは初めて、ですか?」

「あ、はい。すみません」


 嫌味ではなく、普通の問いかけに安心して答えると、にっこりと笑顔を浮かべたホリーが使い方の説明をしてくれた。


「魔力は、量に関係なく必ず宿っています。心臓の付近に意識を集中すると、体が暖かくなって来ませんか?」


 言われた通り、心臓の場所に意識を集中してみる。これが魔力なのかはわからないが、確かに紫音の胸が少し暖かくなった気がした。

 できたと頷きを返せば、満足そうに微笑んでからホリーが再び口を開く。


「その力が身体中をめぐるイメージをすると、暖かいものに包まれると思います」

「あ……」


 重さを感じない、けれどもふわふわの羽毛に包まれたような感覚が紫音を襲った。自分の手に視線を落としてみても何も変化はないのに、ほのかにその場所は暖かい。

 感じたことのない感覚に不安から顔を上げれば、安心させるように大丈夫だとホリーが言った。


「それが、魔力です」

「これが、魔力」


 今まで感じることのなかった未知のもの。体もこの世界に対応しているようで、不安と安心が入り混じる。


「手から魔力を放出するイメージをして、その手をクリスタルに添えてみてください」


 言われた通りにすれば、クリスタルを包む白い靄。これが魔力なのかと紫音がぼんやり見つめていれば、その靄はクリスタルに吸収されていった。


「紫音さんは、光魔法が得意かもしれませんね」

「そう、なんですか?」


 クリスタルを覆っていた白い靄は、普段は可視することのできない魔力で、魔力の色で得意属性がわかることが多いという。


「白い色は光属性使いによく……え、これ」

「どうかしました?」


 検査が終わったのか、輝きだしたクリスタル。

 その色を見て、朗らかに説明していたはずのホリーが硬直した。目を見開き、口に手を添えて、虹色に輝くクリスタルを凝視している。


「大変だわ……少し、ここで待っていてください」


 紫音が記入した書類をもったまま、慌ただしくホリーは部屋を後にした。

 何かまずい結果だったのだろうかと、紫音は不安で顔を歪める。この世界の人間ではないのだから、結果が人と違うことも考えられる。

 魔力があったことで、不安と共に少しだけ感じた安心も、今となっては全て不安に押しつぶされてしまいそうだと、紫音は膝に乗せた拳をぎゅっと握りしめた。


「オーランド様、こちらです」


 聞こえてきた声に、紫音は立ち上がった。

 様付けをされていることから、位の高い人物がきたことを悟ったからだ。

 扉の方を向けば、ホリーとともに入ってきた男性。綺麗な茶色の髪をオールバックにして、髪と同じ色の整えられたカイゼル髭。身にまとっているスーツもそうだが、漂う空気全てがその男性の品の良さをうかがわせる。


「初めまして、私はオーランド・ケトゥス。この地の領主をしています」

「紫音といいます」


 合わせるように自己紹介をして、オーランドがホリーの持ってきた椅子に座ったのを確認してから席に着く。領主にも関わらず、オーランドの丁寧すぎる話し方に紫音は違和感を覚えた。


 オーランドの椅子は、クリスタルが置いてあった机の向かいに置かれている。クリスタルはすでに片付けられているため、机には何もない。

 紫音とオーランドは、机を挟んで向かい合っている状態だ。


「さっそく本題に入らせていただきます」

「……はい」


 ホリーにより運ばれてきたティーカップ。

 中の紅茶が湯気を立てているのを見つめながら、紫音は小さく返事を返す。


「職業適性クリスタルが虹色に輝いたと聞きました。この色に対応した職業を、紫音さんはご存知ですか?」

「いえ……クリスタルすら知らない田舎から来たもので」


 何も知らないのだと、申し訳なさから顔を下に向けると、オーランドは優しく顔を上げるように促した。


「虹色を目にする機会などない人の方が多い。私も、初めてですから気にする必要はないですよ」


 ティーカップに口をつけ、紅茶を一口飲んだオーランドは、一度だけ思案するように視線を紅茶に落としてから、まっすぐと紫音を見つめた。


「虹色が表す適性職業は聖女。いえ、聖女と勇者に限っては……必然的にそれらが、職業となります」

「せい……じょ?」


 仰々しいその職業名。他の職業を選ぶことはできないという事実に、掠れた声が紫音の唇から漏れた。


「聖女と勇者、彼らは同じ年代に複数現れることはありません。そして今現在、それぞれに選ばれたものはいない」

「それ、って」

「そう、あなたが……紫音様が次の聖女に選ばれました」


 ひどく泣きたくなった。


 知らない世界に飛ばされて、常識も何もわからず、帰り道すら探せていない今。この世界の何かを背負わなければならないであろうその職業に、紫音の目頭が熱くなる。

 唐突に「様」をつけられたことでも一気に現実味がまして、丁寧に対応されていた理由にも納得できてしまった紫音は、唇を引き結んで涙を堪える。


「突然のことで困惑されていることでしょう……。ですが拒否されることはできません」


 紫音の様子に気付きながらも、オーランドは申し訳なさそうに言うことはしなかった。まっすぐと紫音を見つめて、はっきりとした口調で言われたその内容。


「わかり、ました」


 逃げられない。その事実をしっかり、そしてはっきりと突きつけられたことで、少しだけ覚悟ができたと顔を上げる。


「……ありがとうございます」


 重く響く言葉。本当に気持ちを込めて言われたその一言から、聖女というものがこの世界で重要な役割を担っていることがよくわかる。


「聖女様のお役目は、王より直接説明がなされます」

「おう、さま?」


 何度頭を悩ませたらいいのかと、紫音は逆に笑ってしまいそうになった。

 けれど、聖女という特別な職業でも、もらえたことは確かに嬉しくて、驚きのあと唇をゆるく歪める。


「王様のところへ行けばいいんですね」

「はい。紫音様は人族のため、ウィンディルの王都であるアクアリウスへ向かってもらうこととなります」


 地図を広げたオーランドは、アクアリウスへの行き方を説明していく。

 アクアリウスに向かうには、現在いるケトゥス領からだと二つの領を経由する必要がある。


「クライティアを右に見てまっすぐ進んでピスキス領に入り、その後、クライティアを目指して歩くとドラド領に入ります。そこからさらに進めば、王都アクアリウスです」


 クライティアとは、昼夜動かず同じ位置にある星のことで、エルフ族の国と魔人族の国よりはるか奥の空に浮かんでいる。

 そのため、地図を手にしてその星を基準に旅をすれば迷うことはない。


「ここはまっすぐ進めないんですか?」


 紫音は地図を見つめながら、ケトゥス領の真上にあるアクアリウスを指でたどる。地図上の距離で言えば二センチにも満たないその距離から、まっすぐ進めればすぐに辿り着けると思ったのだ。


「このケトゥス領とアクアリウスの間には、深い森があるのです」

「森?」

「はい。横はドラド領まで伸びているその森は、魔物の量も多く、Cランク以上の冒険者でないと通り抜けるのは難しいですね」


 紫音は頷き、再び地図とのにらめっこに戻る。

 紫音としては、早く聖女の仕事とやらをこなしながら帰る方法を探したいのだ。

 なのでできるだけ、王都までの日数は短縮したい。


「どちらにせよ、Cランク以上の冒険者を護衛に雇うつもりでいます。彼らなら道案内も可能でしょう」

「ひとつ質問をしても?」

「どうぞ」


 地図に向けていた顔を紫音に戻したオーランドは、先を促すように口を閉じた。


「どれくらいの力があれば、この森を抜けられますか?」

「……先を急ぐ理由が?」


 途端に視線を鋭くしたオーランドに、紫音は真剣な顔で頷いた。紫音が折れないと感じ取ったオーランドは、浅い息を吐いてから口を開く。


「身分証の作成がまだだと伺っています」

「このあと、作る予定でした」

「その身分証の作成時、各能力の検査を行います」

「能力?」


 また出て来た知らない事柄に、紫音は首を傾げた。オーランドは特に気にした風もなく、指をひとつずつ立てていく。


「力、体力、魔力、魔力耐性の能力検査です」


 あげられた四つの項目。各項目の正式な数値を知ることはできないが、その能力値の高さを色で判断することができるとオーランドは説明した。


「見かけは、先ほどのクリスタルと同じようなものです」

「なるほど」

「七段階ある中の五段目、全て金以上であれば危険は少ないでしょうね」


 初めての測定の場合、平均は二段目の青色だと述べたオーランドに、まずは能力測定をしてからだなと紫音は席を立つ。


「まさか、本当に抜けていく気ですか?」

「冒険者希望なので、金色以上だったならそうしようと思っています」


 合わせて立ち上がったオーランドは、顔を驚愕の色に染めて少しだけ語気を荒げた。失礼しましたと頭を下げたオーランドを止めて、紫音は薄く笑みを作る。


「敬語も、様付もやめてください」

「しかし……」

「この通り、私はどちらかと言うと猪突猛進なわがまま娘なので」


 聖女なんて柄じゃないと言った紫音に、オーランドが初めて心から微笑んだ。


「本当に、困った方だ」

「もう一つ、わがままを言っても?」

「これ以上は聞きたくないのが本音だが、言ってみなさい」


 敬語を取ったオーランドは、どこか父のような懐の大きさを感じる人だった。

 呆れたように笑いながらも、拒絶を示さないその姿勢に好感が持てた紫音は、昨日出会った狼の獣人のことを告げる。


「黒い狼の冒険者がいたら、彼を護衛にして欲しいんです」

「それくらいなら……。ランクにもよるが、探しておこう」


 お礼を言って、オーランドに見送られながら屋敷を出た。結構長居をしたため、すでに日は傾きかけている。


「よし、行こう」


 悩むことはまだあれど、立ち止まってる暇はない。紫音はあえて声を出して自分に喝を入れると、冒険者ギルドへと向かったのだった。


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