4-10 社長は死んでいたのにやってくる

「ふう……」

 意外と元気そうだったつばさくんも事務所に戻ってくるとそうでもないのがわかった。余所向けの態度だったということなのか。

「正直、疲れたな……」

 ソファに倒れかかって、今にも寝てしまいそうだった。

「翼くん、ゴメンね」

 そんな彼を見ていたら自然と謝罪の言葉が出て来た。

「ん?」

「私が葉桜はざくらくんの話なんかしなければ、こんなことにはならなかったでしょ」

「こんなこと?」

火村ひむらさんのこと」

「あの人とはいずれにせよ決着をつけないといけなかった。それが今日になったというだけだよ」

 それはきっとそうなんだろう。

 翼くんと火村さんはいつかまた出会って、今日みたいなことになった。そしてそれを翼くんは覚悟してた。

 でもそのことと、翼くんの気持ちは別のように思う。

 翼くんは強がってるのだ。それがわかるから私は悔しかった。そしてそれを自覚したら私は泣いていた。

 私は悲しかったのだ。

「翼くんは悲しくないの?」

 私は火村さんのことはろくに知らない。きっとそんなにいい人ではなかったとも思う。

 でも、でも。翼くんにとっては大事な人だったはず。それは多分、私にとっての翼くんのような、そんな人だったはず。

 なのに、その人から自分の記憶を消して、平気なんて、そんなの悲しい。

「悲しまないといけないか?」

「いけなくはないけど……そんな翼くんを見てると、悲しいよ」

「そうか。それは悪かったな」

 翼くんは上体を起こすと、私の方をしっかりと見た。

「悲しいよ。好きな人が俺のことを忘れちまったんだからな」

 そう言った翼くんには優しい笑みが浮かんでいた。

「だったら、なんでそういう態度をするわけ?」

「悲しいのは俺だけでいいからさ」

 その言葉は今、思いついた言葉ではないと感じた。翼くんが忘却社ぼうきゃくしゃの人間として生きていくうちにたどり着いた結論なのだろう。

 でも、納得はいかなかった。私の気持ちはクシャクシャしたままだ。

「どうして? どうして翼くんだけが背負って悲しまないといけないの?」

「正直言うと、俺にもわからないんだ」

 それは意外な言葉だった。

「ただ意地になってるだけかもしれない。大事な人にまた会いたいからと思ってはいるけど、その大事な人が誰かわからない。わからないから、それを諦めていいのかどうか判断もつかない。それだけかもしれない」

「じゃあ、この仕事をどれだけ続けても無駄ってこと?」

「それこそ、俺にわかるはずもない」

 翼くんはそう言いながらも少し明るい顔をした。

「ただ信じてるんだ。この仕事には俺にとっても意味があることなんだって」

「なんでそんなことを信じられるわけ? もし思い出せなかったら……翼くんが苦しいだけじゃない! そんなの……そんなのあんまりだよ」

 私は、それでも好きでやってることだと翼くんが言うんじゃないかと思っていた。でもそうじゃなかった。

「俺もちょっと前まではそうかなと思ってた」

「え?」

「でもお嬢ちゃんが俺のことを思い出してくれたからな」

「私が思い出したから?」

 なんのことだかわからなかった。でも悲しみが心の中から消えるのを感じた。

「お嬢ちゃんの存在が俺の希望なんだ。お嬢ちゃんの中で俺は死んだけど生き返った。それで俺は《固有世界》での死が絶対じゃないと知ったんだ」

 翼くんの言葉は嬉しかった。でもすぐに私は否定する言葉が浮かんでしまう。

「あれは……多分、火村さんが何かしただけで……」

「だとしてもだ。何か消した存在を生き返らせる方法があるってことだ」

「そうか……」

 希望。翼くんは私をそう言ったけど、私もその言葉に希望を感じた。だからもう涙はいらなかった。慌てて拭って、無理にでも笑う。

「すまなかったな、妙なことに巻き込んじまって」

 相手の強がりに心が痛むのは翼くんも一緒だったみたいだ。

「好きで巻き込まれてるだけだし。イヤなら事務所に来なければいいだけでしょ。それにこういう時は謝るんじゃなくて――」

 私が冗談半分でそれを指摘しようとした時、翼くんが先手を打ってきた。

「ありがとな、お嬢ちゃん」

「お、おう。そう、感謝すればいいのよ。普段からもっと感謝してくれてもいいのよ?」

「……覚えておくよ」

 それだけ言うと翼くんはソファにまた倒れ込んで寝始めてしまった。

「なんなのかな、この人。言いたいこと言って、自分だけ寝ちゃうとか……」

 私は口では悪態をつきながらも、ちょっと助かったかなとも思った。

 まだドキドキしていた。いきなり不意打ちで感謝するとか反則だと思う。

「それにしても」

 私は翼くんと自分の関係を改めて考える。さすがに恋人という感じではないし。

「お兄ちゃんってのがいたら、こんな感じなのかな……」

 いたら? 私は自分の言葉に違和感を覚えた。

「あれ? 私、お兄ちゃんいたよね? でも……なんでだろ、思い出せない……」

 この感じには覚えがあった。もしかして忘却させられている? でも誰が? なんで? 私は記憶の中に答えを求めたのだけど。

「お嬢様」

 やってきた盾無たてなしさんの言葉でそれは中断された。

「今日はそろそろお帰りになられた方が」

 盾無さんは翼くんが寝ているのに気付いて小声で伝えてきた。

「盾無さんは私のお兄ちゃんのこと聞いたことある?」

「いえ。そのような話は存じ上げませんが、旦那様に確認しておきましょうか?」

「ううん、大丈夫。私の思い違いみたいだから」

 むしろなんでお兄ちゃんがいるなんて思ったんだろう。私はそんな疑問を持ちながら忘却社を後にした。

 もっとも家に帰る頃にはそんなことすら忘れてしまったのだけど。

 


   ○


 私はビルの屋上にいた。なぜ、自分がここに来たのかはよくわからない。ただ、この場所にくるのが初めてではないことはわかる。

 好きな場所だったんだろう。それはわかる。だが理由がわからない。

 わからない、わからない、わからないことだらけだ。

「今日は髪は切らないんですか?」

 そこに誰かわからない男が現れた。少年のような、でも大人のような妙な雰囲気を纏った目の細い男だ。

「君は誰だい?」

 話しかけてきたことと言い、その内容といい彼の方は私を知っているらしい。

「僕のことまで忘れてしまうなんて! 火村さんの中の――は相当大きな存在だったみたいだねえ。これはさすがに、少し妬けてしまうね」

「……誰だって?」

 途中で男が誰かのことを言ったみたいだったけど、私には聞こえなかった。いや、聞こえはしたけど、わからなかったと言うべきか。とにかく届かなかった。

「うーん。これは思ったより重傷みたいですね」

 意地悪く男は笑うと手を振ってきた。どうやら別れのジェスチャーらしい。

「今の火村さんにはちょっと話が通じそうにないから、また今度ね」

 そして私の想像通りだったようで、その場から去って行く。

「なんだったんだ、あいつは」

 私はまた一人になった。それは普通に考えれば寂しいことなのだろうが、なぜかここではそうは思わなかった。

 だからきっと、私はここが好きなんだろう。そう改めて思った。

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