章終話 引き継がれる意志

「そうか。ご苦労だった」

 エリス・デアボルグ課長は、想像以上に淡泊に返事をした。

 あんたのかわいがってた弟子が死んだんだぞ。

 と言いたくて仕方がなかったが、これ以上何かを続けるような気力はない。そもそも、これでは死んだのかどうかすらわからない。ただ、事実としては、エンタウルスの神殿の奥にある坑道は完全に塞がってしまったことと、そこから何者かが生還した様子はないということだった。

「ルース、他の課員を呼んできて欲しい。補佐に手伝ってもらえ」

「……承知しました」

 やや投げやりに課長の私室の扉を閉めると、目の前に控えていたレイラ・エルバトス課長補佐と目が合う。

「グリムを呼んできてください。エイミーは、私が連れてきましょう」

 ツーカーにもほどがあるだろ。

 ルースは内心少し呆れながら、軍宿舎に向かった。

 早朝、ハリアーヴのほど近くまで吹き飛ばされたルースとフェムトは、アクウォスが遺した言葉の通り、アクウォスが死亡したものとして帰還する。転送間際、アクウォスは神殿側の坑道をも潰した。つまり、あの場で決着をつけ、仮に自分の命を差し出してでも、エルマを討とうと決心したのだった。エルマはルースとほぼ同じ体質で、風の魔術を苦手としているから、風の属性が多分に含まれる転送魔術はまともに扱えない。だからこその決断だった。

 坑道に誘い込んだのも、それが理由だったのだ。はじめから、アクウォスはここまで予想して、最善の手を尽くしていた。

 だが、そのアクウォスはもう、ルースの側にいることはない。

 ルースは宿舎の階段を駆け足で上る。義足を装着しているという理由で初めは一階の部屋をあてがわれていたのに、それでは義足の性能試験の効率が低くなると文句を言って最上階に変えてもらった、不愉快なほどに気位の高い新人に、ほんの少しだけ感謝したくなった。

 私室の扉を荒々しく開けると、五クロームを超える巨体はすでに立ち上がっており、ルースを威圧した。


 全員が課長の私室に入ると、課長は書き物をやめて立ち上がる。

「早朝、また非番の人間ばかりで申し訳ない。本課から――殉職者が出た」

 エイミーはどよめき、グリムはかぶりをふった。

「対策係長、アルベール・アクウォスは本日午前三時をもって殉職、階級を正尉から正佐に昇格し、殉職の掲示を行う」

 エリスの言葉は静寂を伴った。

「また、周知の通りであるが、ルーヴェル門で第十二空挺団とゴルタビア王国第三竜騎士団が全面衝突し、本国とゴルタビア王国は交戦状態となった」

「はあ? なんだそれ?」

 ルースはこの通達を聞いていない。それもそのはず、フルヴガスに入ってすぐにエリスに報告したばかりだったからだ。

「ブラヴィア主査は知らなかったか。そういうことになっている」

「いや、おい、おかしいだろ、なんで第十二空挺団が国境に出てたんだよ」

 今のルースは高ぶった感情を抑えることができなくなっていた。

 第十二空挺団は、それこそ帝国最強の空軍戦力であるし、それであるがゆえに皇帝に常につき従っているはずだった。

「ねぼけてんのか、先輩。そういうことだよ。――つかんでたんだよ、竜騎士団の威力偵察を」

「そんなことしたら、ベルカ地方が大変なことになるじゃねえか」

「そうだろうな。じきに戦略本部がハリアーヴに置かれることになる。我々もそこに向かうよう、陛下から密命をいただいた」

 エリスは無表情で告げる。

「戦略本部指揮官は、アレス・デアボルグ総将。我々は第七師団、そして私は師団長に内定した。――とはいえ、第七師団は我々だけだが」

「なんじゃそりゃ?」

 ルースの怒声だけが空虚に響いていく。

「ブラヴィア主査、全ては陛下の筋書きであった。――つまり、そういうことだ」

 消化しきれない怒りをかみしめながら、しかしルースは徐々に冷静になっていった。皇帝の並外れた戦力分析と戦術判断の結果、その通りに出来事が進んでいる。ただそれだけの話であるはずが、彼自身にとってはそうもいかない。しかし、現状では上につき従うしかないのが、彼らの置かれた状況であった。

「なお、本課対策係長の後任については、既に内々定をいただいている。近日中に内示があるので、それを確認すること」

「まさか、補佐じゃないだろうな」

「――ルース、深くは言えませんが、私ではありませんよ。ご安心なさい」

 レイラは作り笑いを浮かべた。

「その通り。他の課員については原則留任となる。――課長補佐は二係の係長兼務はできない。すなわち、少なくともレイラではないと断言できる」

 話は終わりだ、というようにエリスは自席に座った。

「戻っていいぞ。しばらくは召集もかからないだろう。好きなことをして休め。特にブラヴィア主査は、係長が内定するまで勤務しなくていい。私が許可する」

「おい、いいのかよ」

「今の貴殿は戦力としてあまりにも不安定すぎる。鋭気を養って出直すんだな」

 ちっ、と舌打ちをして、ルースは部屋をあとにする。彼を追うようにエイミーが、その後にグリムが部屋を出た。

「課長、よろしいのですか?」

「なにがだ」

「新しい係長のこと。ルースに伝えた方が」

「いや、いいだろう。まさか、キサラが上司になるなどとは思ってないだろうからな。あいつのことだ、伝えたら無駄な責任感ばかり背負って余計使い物にならなくなる。ただでさえ魔力が不安定で、フェムトもろくに操れない状態なのだからな。これ以上面倒を増やす必要もあるまい」

 エリスは冷徹に言うと、大きく伸びをして立ち上がった。

「どこかへ?」

「キサラを戦力にする方が先だ、と思っただけだ。お前もしばらく休め。私に付き添いすぎだ。寝てないだろう」

「あら、おわかりですか?」

「自慢の若返り術が解けかけているぞ」

 レイラは思わず肌を触る。いつも通りの弾力だった。

 エリスはにやりと笑った。

 レイラの頬が膨らむ。

「お嬢様!」

「その位のことで怒るな。早く寝ろ」

「もう! 意地悪!」

 レイラはさっと部屋の前からいなくなった。

 ひとりになったエリスの周りに漆黒の闇が広がり、彼女は融けて消えた。



 アルベール・アクウォス正佐

 機巧魔術捜査課対策係長としての職務に殉じ、ここに眠る


 石版に彫られたその文字は、寒々しくて、とてもルースに語りかけるような色はなかった。

「ついてこい、つったのお前じゃねえかよ」

 仕込み針のひとつを、ルースは墓前に突き立てる。

《わたしが裏切ったのは――この世界だけ》

 あの日、エルマ・ブラヴィアは確かにこう言った。自分たちを裏切ったわけではないとも。そして、彼女が自分に向けた刃は、明らかに精細を欠いていた。

「なんだってんだよ。それも全部俺に押しつけるってのかよ……ったく勝手に死にやがって」

「――アルは死んでないよ」

「うおぁ!」

 急に後ろから声をかけられ、ルースは飛び退いた。

 アルベールの妻、キサラ・アクウォスは、漆黒に塗り固められた喪礼服で真っ白に塗られた花束を持っていた。

 誰が見てもわかるほど、彼女は未亡人だったが、それでいて作業服や制服の彼女ばかり見ているルースにとって、その姿はひどく美しく見え、一瞬動きが止まった。

「アルは、死んでない」

「坑道は潰れている。生身の人間が、ましてあれだけ魔力を使っちまったあいつが出られるだけの力はない。――あんたがそう思いたいのは、わかるけどよ」

 ルースは力なく、キサラの肩を叩いた。

 キサラはその手を掴む。

「見て」

 ルースの手に握られたのは、紅く強い光を放つ、どこか濁った魔石。

「血石……あいつのなのか?」

 血石は、その名の通り、膨大な血を集めて精錬される。たいていは魔獣を狩り、その血を集めるのだが、当然人間からも血を集め続ければ精錬が可能だ。

「誰にも言わないで」

「言うわけねえだろ」

 ルースはその状態の血石を見たことがなかったが、これがどのような目的で創り出され、今これはどういう状態を示しているのかについては知識があった。魔力の中でも、とりわけ生命力の塊である血石は、込められた魔力が生きているものであれば光り輝く。これは、アクウォスの魔力が、まだ生きたものであることを示している。

「これじゃ、誰にも言えねえわな」

「そういうこと。アルは生きている。――エルマに、生かされている」

 結局「最悪の事態」じゃねえか、とルースは舌打ちした。

「――あたしね、あんたの上司になるから」

「は?」

 突然の告白に、ルースは目を丸くする。

「次の対策係長、あたしだって。エリス様が」

「正気かよ?」

 キサラは配属こそ帝国軍であるが、前線に派遣されたこともないくらいの研究専門職だった。つまり、これから戦略本部に配属されるには、あまりにも心許ない。

「エリス様が、鍛えてくれるらしいんだ」

「ああ、まあな……」

「そしたら、あんたをしばき倒してやるから」

「まだ何もしてねえだろ」

「フェムトちゃんを雑に扱ってるし」

「まだ扱ってねえ!」

「絶対雑に使うでしょ」

 キサラの泣き笑いのような表情を見ると、ルースの頭の中が締め付けられるような気持ちになって、なぜか言葉を返しにくくなった。

「あとね、あたし、エルマを倒さなきゃいけないの」

 強すぎる。

 ルースは、このキサラ・アクウォスの芯の強さをみくびっていたことに気づいた。

「【青龍】のじいさんは何か言わねえのか」

「言う訳ないでしょ。アルと結婚するときも、スクレンズを出るときもひとことも言わなかったし」

「まあ、そりゃそうか……」

 【青龍】の現代当主、サルディン・スクレンズは学術院の長を務めており、キサラの実の父親である。

「そいうわけで、よろしくね、ルース・ブラヴィア主査」

「……承知、キサラ・アクウォス准尉」

 キサラの顔に張りつめたものがなくなって、ルースはどこかほっとした。

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