第11話 矜持と宿命
アクウォスは胸の隠しに触れようとして、ここが障壁の中だと気付きやめた。
「今更だけど、お前は姉貴を愛していなかったのか?」
ルースはあくまで無神経を装って、アクウォスに問いかけた。しかし、そこに冗談めいた空気は存在しない。
「俺はエルマに『サジタリウス』を埋め込まれ、軍人としての立ち位置を盤石にするために結婚を迫られた。だが――彼女の持つ軍人としての才覚、秘められた意志、そして――ーあらゆるものをものともしない実力のどこにも偽りはない。俺はそんなエルマが好きだった。――もっとも、魅了されてしまったといわれれば否定はできないが」
アクウォスの表情は硬い。
「お前は、俺にエルマを討つ気があるのかを問いたいようだな」
ルースがなぜ今、それを問うているのかをアクウォスは正確に察した。
「お前が軍に入るときに確認したはずだ。俺たちの前に立ちふさがるものは――総て、敵だ、と」
アクウォスは立ち上がる。
「俺は、俺の前に立ちふさがるものを総て斬ってきた。肉親であろうと、友人であろうと、だ。今更相手がエルマであろうと同じことだ。彼女は俺の前に立ちふさがった。だから、斬るだけだ。それがエリス様だろうが、お前だろうが同じことだろう。――違うか」
アクウォスの眸に曇りは一切なく、その眼光がルースを射抜く。
「それに、エルマは帝国を背にし、俺たちは帝国の旗のもとにいる。刃を交えるのは至極当然だろう。帝国の刃となるよう生かされた俺たちは、当然に帝国の刃として生きるしかない」
「わかってるよ。……怖いんだ」
姉を討つことになるのが怖いのか、姉に討たれるのが怖いのか、アクウォスにも、当然フェムトにもわからない。
「ルース。最悪の事態を考えよう」
「何だよ急に」
「エルマと対峙した時、俺が絶命する。おそらく、これが最悪の事態だ」
「……俺じゃ姉貴と戦えないってのか」
ルースはやや不服そうにアクウォスを見上げた。
「そういう意味ではない。忘れたか。エルマは生きている人間すら血石を仕込んだ暗器で操ることができる。死者ならなおさらだろう」
「死んだお前と姉貴、その両方を俺とフェムトで相手しないとならない、ってことか」
「ああ。こうなってしまえば全滅は避けられない。任務失敗どころか、課に大穴をあけ、さらには帝国軍全体の戦力を大幅に殺ぐことになる」
「――じゃあ、どうしろっていうんだ」
ルースの投げかけに、アクウォスはすっと息を吸い込んだ。
「そうなりそうになったら、俺はお前を逃がす。お前は黙って従う。少なくとも、俺たちの任務が失敗したことと、エルマと交戦したという事実はフルヴガスに持ち帰らなくてはならない」
なるほど、とルースは口だけで返事を返す。納得するはずがない。そう話す口は、先ほどまでルースを戦わせようとしていたではないか。
だが、頭ではアクウォスの言いたいことはわかっていた。今まで彼は自らが負ける話をしたことがない。つまり、その彼が負ける可能性があるのが、エルマ・ブラヴィアという存在で、今まさにその敵とあいまみえようとしているのである。
「目の前で見てきたのだろう、お前は。エルマ・ブラヴィアという女を」
村、学校、その記録という記録をほぼすべて塗り替えてきた、異能にほど近い存在。神童と呼ぶことすらおこがましいほどの、絶対的な天才少女。その弟として彼は生まれ、育っている。彼の目の前には、姉の残した記録と、応えようもない期待ばかりが積み重なった。両親を事故で亡くしてから、その傾向はより強まった。剣を握らせれば村人はおろか、ベルカ中等魔術学校じゅうの人間を斬り伏せられ、齢十七にして飛び級で中等魔術学校を卒業、同じ年に正三級魔術士昇格の最年少記録を塗り替え、帝国軍に入職後も異例の昇進を重ね続ける。
それが、ルースの姉であり、アルベール・アクウォスと出会うことになるエルマ・ブラヴィアであった。
「『オフィユカス』を手にしたエルマは、既に生身の人間からほど遠い存在だった。もっとも、俺たちだって星石の加護を受けているから生身ではあり得ないが――その次元にはないほど、あの星石は何かが違う」
気がつけば、外の光はかなり薄く、赤くなっていた。
「行くぞ。エルマは、この先にある集落に潜伏し、帝国に攻撃を仕掛ける機会を見計らっているらしい」
アクウォスは口に呼吸石をはめる。
フェムトは障壁を解いた。
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