第9話 坑道にて

「くそっ、早く言えよ!」

 ルースの袖口から放たれたナイフは、一リースはある巨大な甲虫の皮膚に弾かれる。

「利かねえ!」

 半分我を失ったルースはわめく。

 甲虫は冷静に飛翔し、魔力を練り始めた。

「魔術も使えるのか……」

「馬鹿、感心してる場合か!」

「どこぞのチビとは大違いだ」

「うるせえお前から殺すぞ!」

 アクウォスは剣を納め、即座に魔術障壁を張る。直後、甲虫から燃えたぎる火球が投げつけられたが、ルースの眼前で消滅する。


 エンタウルスの神殿は原型をとどめているとは言い難いほど崩壊しており、教祖と戦った大広間にあがるのにも苦労した。どうにか大広間に登り、奥に配置された祭壇をアクウォスの剣で破壊すると、頑丈そうな鋼の扉が現れる。

「魔術で封じられている気配はないな」

「ここは圧式の封鎖空間だったからな、無理もない。開けられないだろう」

「んじゃ、簡単に開けられるな」

「ちょっと待ってルース!」

 フェムトが止める前にルースは扉を開き、ほぼ間を空けずに、奥から巨大な甲虫が数体、飛び出してきた。黒々とした外皮は鎧のように硬そうで、丸々と太った身体と、頭部に生えている大きな角が特徴的だ。

「血石の保管庫だとしたら、そこに巣くっている虫が魔獣化している可能性があるな」

 アクウォスは冷たく、そう言い放ち剣を抜いた。


「誰だよ開けろつったの!」

「お前だ」「ルースだよ」

 剣を構えながら冷静に相対するフェムトとアクウォスとは対照的に、ルースの顔はやや青ざめている。

「お前は虫が苦手だったな」

 魔力剣を構えながら震えるルースに、アクウォスはつぶやいた。

「ぐわっ!」

 とっさに切り込んで、一番小さい虫を斬ったフェムトは、その体液をまともに食らって倒れ込んだ。

「毒を持っているのか。さして強くなさそうだが厄介だな」

 ルースはナイフを投げるが、ナイフは外皮を貫通することなく弾かれる。

「あまり魔力を使いたくないが――」

 アクウォスはかぶりを振ると、青い魔力が彼の身体から噴出した。そして一気に虫に駆け寄る。

「機式魔術剣術奥義『星閃剣フレアスター』」

 剣身から光り輝く弾が無数に飛び出し、小さな爆発が乱舞する。甲虫たちは瞬時に焼け焦げ、粉々になった。

「お前、無駄遣いしすぎだろ」

「動かない奴に言われたくはない」

 アクウォスは冷静に、しかしどこか怒りを秘めたような顔をした。

「フェムトを起こしてやれ」

 ルースはフェムトの背中に手をかざし、自らの魔力を注入する。焼けただれたかれの表皮はみるみるうちに回復し、元通りの整った顔になった。

「ほんっと動けなくなるんだから」

「脚がたくさんあるやつはだめなんだよ」

「この先も、出てくるだろうな」

「……畜生」

 ルースは魔力剣を取り出して、魔力を注入した。緑がかった青い筋が現れる。

「行くぞ。どちらにせよ、帰りも通るからここで殲滅しなくてはならない」

 アクウォスは呆れた顔をして、剣を構えたまま先へ進んだ。


 地下へ進む階段を降りると、やはり魔獣化した虫たちの巣窟だった。ルースの顔がみるみるうちにひきつっていく。

「ルース、冷属性偏向の障壁を張れ。焼き尽くす」

「おい、さっき魔力使ったばっかだろお前、無理すんなよ」

「お前が役立たずだからだ! 早く張れ!」

 ルースは小さくため息をついて、フェムトの背中に魔力を注入した。フェムトはルースの目配せにうなずいて、小さく呪文を詠唱する。

 たちまち、霧がかかったような障壁が現れ、巨大な蠅が弾かれた。瞬時にアクウォスの両手に青い魔力が集中する。

「機式魔術炎式第四型、『蠍火ディープクリムゾン』!」

 両手から放たれたふた筋の光球は障壁を出た瞬間に荒れ狂う炎と化し、鋭く急速に坑内を突き進んで虫の群を容赦なく焼き払っていった。途中でいくらかの魔石が反応し、爆発が連鎖していく。凄まじい炎は遥か彼方まで広がり、細長い脚を持った蜘蛛や、硬い装甲を持った百足、慌てたように反対側の出口へ向かう蜂すらも、全て灰に帰させた。

「標高は向こう側が低いはずだが、念のため呼吸石を。灰素中毒になったら困るからな」

 アクウォスとルースは笛状の魔石を口に含む。彼らが口に呼吸石をはめたことを見届けると、フェムトは障壁を解除した。

 坑道はゆっくりと下っている。遠くに、わずかに光が見えた。

「山の中腹に穴を開けているようだな」

 アクウォスが魔力でふたりに語りかけた。口の呼吸石を外すことが出来ないためである。

「最短距離で神殿まで掘ってるってこと? 教団は最初からゴルタビアと組んでたんだね」

 一方フェムトは口から声を出している。かれは呼吸をしない。だから灰素中毒に陥ることもない。構成された偽りの肉体は、首の奥深くに埋められている血石ヘマダイトから供給されている魔力によって動いている。だからこそ、ひとには扱えないほどの巨大な剣をふるうことが出来るのだ。

 下りていく途中で、少しだけ広いところに出た。辺りを見回すと、完全に黒い灰が地面を覆い尽くしている中で、砕けた石の欠片があちこちに転がっている。

「血石だな」

 アクウォスは、そのひとつを手にとってかざす。その手から青い光が漏れ、緩やかに石がそれを吸い取っていく。

「もしかして、アレか?」

「ああ、――星石の出来損ないだろう。俺の炎による連結反応で、魔力は全放出してしまったようだが」

「もしかして、ここにあるの、全部?」

「恐らくはそうだろう。でなければ『蠍火ディープクリムゾン』ごときでここまでにはならない」

 それでも、あの状況でアクウォスが放てる最大限の魔力を放出した結果である。

 つまり、今の彼に使用できる魔力はほとんど残っていない。

「お前さ、かっこつけるのはいいけど、結局魔力使い果たしてねえか?」

「お前が動けなかったせいだ。ゴルタビアに入ったらきっちり働いてもらうからな」

「――ったく」

 ルースはフェムトの背中に手をかざした。

「うーん」

 フェムトは戸惑いながら、障壁を張る。

「何の真似だ」

「休憩だよ、休憩。どっちにしたって明るいうちに山の腹に出れるわけねえだろ。ゴルタビアなんだぞここは」

 黒い灰が消えた中で、ルースが座りこむ。フェムトの張った障壁は一時的に空気を清浄にした。アクウォスは諦めたようにため息をつく。

「急がなくてはならないと聞いていたのだがな」

「それにな、俺はお前に聞きたいことがあるんだ」


 ルースの瞳はほの暗い緑色だった。


「なあ、お前、姉貴を殺したんじゃなかったのか。なぜ、今更生きている痕跡が出る? お前のその剣は、姉貴のものを改造したんじゃなかったのかよ?」

 彼の目はがっしりとアクウォスを掴んでいた。しかし、アクウォスもまた、ルースをしっかりと見つめ返した。

「そうか、すっかり忘れていたな。あの時の話を――俺はしていなかったのか」

 していたものだと勝手に思っていた。

 アクウォスはあっけらかんとそう言った。

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