第7話 山の向こう側
帝都フルヴガスの門をくぐり、巨大な橋を渡ってフルヴ川の西岸へ行き、准三級魔術士の徽章を下げた上級兵の審査をくぐると、帝都の外縁都市フルヴガス・レミドが姿を表した。
ここをくぐる時は、何かを殺すとき。
アルベール・アクウォスもルース・ブラヴィアも、その想いは共通している。
「ああ、ようやく身体がなじんだ」
珍しく帝国軍一般兵服を着て、無邪気に笑うフェムトとは対照的に、ふたりの表情は硬い。
「おまえの修理にまさか一週間かかるとは思わなかったよ」
ルースは相棒を見上げた。
「ごめんごめん、キサラさんが離してくれなくて」
フェムトは苦笑いしかできない。
「キサラの言うことだから仕方がないだろう。お前が雑に扱いすぎるからだ」
「うるせえな。あいつは造ってもいねえのに口を出し過ぎなんだよ」
ルースは道ばたの石を蹴った。
「自分で造ってないからだろう。フェムトが心配だからだ」
「まったく母親かっつうの」
確かに母親のつもりなのだろうな、とアクウォスは密かに思ったが、流石に口にはしなかった。
「まあ、おかげでばっちりだからさ、いくらでも動けるよ」
フェムトは腕をぶんぶんと振ってみせる。
「そうじゃなきゃ困るぜ。ま、心配してねえけどよ」
駅舎が近づいてきたので、ルースは切符を取り出した。帝国随一の中枢駅であるフルヴガス・レミド駅から長距離列車に乗り、アクウォスの実家がある城塞都市ハリアーヴ――ベルカ地方の中心地だ――まで向かい、そこから地方鉄道でさらに北へ向かう。旧【玄武】国の鉄道を中心とした交通網は、他国のそれより発達しており、旧四国連合の中で最も栄えていた国だった面影が伺える。
漆黒に塗り固められた鋼鉄の厳めしい魔術機関車は、いつ見ても兵機のようだ。
「自家用の飛空挺があるのになんだってこんな貧乏旅行なんだよ」
「しょうがないだろう。旅費の補償はないし、極秘任務だ、それこそ第十二空挺団に見つかったら面倒になるからな」
「根回しくらいしときゃいいのに」
「できないから極秘なのだろう」
濃い緑色の魔石顔料で塗り固めた客車に乗り込み、入り口すぐ近くの席に陣取った。
半日乗り続ける特急列車の席は硬い。
ハリアーヴにたどり着いた頃には、日が沈みかけ、橙色から藍色へと空が変わる頃だった。ここからさらに乗り換え、帝国の北端、ルーヴェル山麓まで移動する。
鉄道の末端となった町についた頃には、円い月が高く上るような時間になっていた。
「つい何日か前だとは思えないな」
エンタウルスという新興教団を殲滅した時に通った道をなぞりながら、ルースは夜の山道を踏みしめた。
「なんで俺たちだけなんだ。あのときはグリムもエイミーも出たじゃねえか」
「この作戦が、あくまでエルマを討つためだけだから、ということだろうな。本当は俺たちだけでも過剰な戦力だと思ってるだろう」
「あいつらひとの姉貴を何だと思ってやがる」
「――不本意ながらお前と同意見だ」
エルマ・ブラヴィアがゴルタビア王国領内にいることが明らかになったため、ルースたちは王国領内に侵入してエルマを討つことになる。帝国軍人として行動すれば明らかな戦争行為に該当するので、彼らは少なくとも私人として行動する必要があった。
「さて、この辺だな」
街道のすぐ近くに小さな川が流れている。幅は十リースもないほどで、川底もしっかり見えるほどに浅い。
「野営しつつ、着替えるぞ」
当然、帝国軍の制服は見つかれば厄介だ。帝国領内では必要不可欠な軍服は、国境付近で脱ぎ捨てる必要があった。
「キサラから石版を預かってきた」
きらきらと光るちいさな石版は、一フィン四方程度の大きさで、アクウォスの手のひらにすっぽりと収まっている。
「これにしまうんだね」
フェムトが久々に着た制服を脱ぐのにわたわたとしながらそう言った。
「何やってんだ」
「あのねルース、ボクは普段服を脱ぎ着しないんだよ。一張羅を着たままだからね」
フェムトは人間ではないので、汗をかいたり垢が出たりしない。だから、魔石を細かく糸状にした特殊な繊維を織った特注の服を着させられていた。
それに、かれの身体は人間の身体より制約が少ない。人間では曲がらない方向に関節が曲がるし、骨もあってないようなもので、切ろうが砕けようがすぐに再生できる。しかしそれは、フェムトにすれば人間としての動かし方を覚えるのに一苦労するのだ。
「その服だと目立つから、キサラが着せてやったようだ」
「余計なことしやがって……」
「でも、そのおかげで軍人割引が使えたし、いつもみたいに変にじろじろ見られなかったからね」
フェムトはからりと笑う。
アクウォスはつきあってられないとばかりにかぶりを振ると、フェムトとルース、そして自分の制服を石版に収納した。ふたりは別々に、旅行者風の私服に着替える。
「そんなだぼついた服を着る奴がいるか」
ルースの服があまりにも身体に比べてゆとりがありすぎるからだろう、アクウォスは眉をしかめた。
「うるせえな、仕方ねえだろ、魔術が使えない分飛び道具でどうにかしなくちゃいけねえんだよ」
ルースは右袖をひらく。ぽっかりとあいた袖口に、無数の仕込み針が刺さっているのが見えた。
「武器を隠すのはいいが、最初から武器を隠していることが丸わかりだろう」
「いいんだよ、本当の隠し武器は別にあるんだから」
ルースは何もない――ように見せかけているだけで実は魔力剣が収納されている――腰を叩いた。
「――まあ、お前は死ななきゃいい」
アクウォスは中指で眼鏡を押し上げる。その表情がひどく冷えていて、フェムトの顔が少しこわばった。
紙切れを燃やし、落ちている枝を集めて火を起こすと、アクウォスは座り込んだ。
「夜明け前になったら、旧エンタウルスの神殿に向かう。あの下に、ゴルタビアへの坑道があるそうだ」
「そこまで組んでたってわけか」
「どうりで教祖が強気だったわけだね」
「まあ、所詮末端でしかなかったが」
拳大の血石は、大きさだけで言えば星石と遜色がなかった。あれがもし、エルマの失敗作だったとしたら。そして、彼女が帝国を攻撃するためだけにゴルタビアを動かしているのだとすれば。
アクウォスの脳裏に彼女の甘い笑い声が響いた。
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