第6話 アルベール・アクウォスの手記

 エルマ・ブラヴィアと出会ったのは、ルーヴェル師団に配属された、帝歴一三三年のことだった。当時から、前例のないほどの早さで昇進している彼女には様々な噂があったが、中でも当時、俺がもっとも興味を引いたのは、「《壊滅女王クイーンズ・トラジディ》と肩を並べるほどの剣の達人」だというものだった。自分の師と同じだけの剣を扱える者が、帝国にそうそういるはずがない。俺は最初からそう決めつけていた。それほどまでにエリス・デアボルグは俺の中で絶対的な存在だった。そして、それを唯一覆すことになるのが、このエルマ・ブラヴィアだった。

 軍服からでもわかるくらい豊満な身体つきと自信に満ちた姿勢は、飛び級を重ねたが故に異様な若さをもって士官に登用されたことを嫌でも示している。彼女の周りには極めて女好きのする身体つきの男性軍人が絶えずいて、当時極めて不快に思ったことを今でもよく覚えている。彼らが一様に媚びへつらうような笑みを浮かべていたのも気に入らなかった理由だろうか。その辺りは、もうよくわからない。

 師団の中でもルーヴェル山脈の裾野で、ゴルタビアとにらみ合うような過酷な国境警備が任務だと知ったとき、自分の力を見せつける機会が来たを悟った。当時から、ゴルタビアは南下を目論み、獰猛な竜騎士団を国境に配備し我々を威圧していた。当然、幾度となく小競り合いがあるし、正規の竜騎士団などではない者たち――当然、雇い主は彼らだろうが――とも頻繁に交戦する、緊迫した空間だった。

 エルマは軍服のあらゆる部分に自らの血から抽出した、微小の血石ヘマダイトを組み込んだ短剣を仕込んでおり、それを任意の生物に投げて突き刺すことで、かれを意のままに操るという魔術を有していた。その術式を見て、程なくして俺は気づいた。彼女を取り囲んでいる男性軍人は、いざというときに彼女が操るために必要な人柱なのだと。その残忍極まりない術式は、確かに、どことなくエリス・デアボルグのそれ――対外的には「出口のない闇インフィニット・ケイヴ」と呼ばれる――を彷彿とさせていた。

 あの中に入れれば、俺もその狂気を覗けるかもしれない。そんな囁きがなかったかといえば嘘になる。気がつけば、俺は前線に立ち、小競り合いを制圧して主査に昇格し、彼女の囲いの末席にいるようになった。

 元々、魔力容量は常人並でしかないものの、出力率と変換率では他の帝国軍人、並びに魔術士の中でも抜きんでて優れている自覚はあった。だから、よく言えば良家の粒揃い、悪く言えば同年代の団子の集団の中では、ほんの少し腕を振るうだけで簡単に頭角を現すことができる。エルマと同い年であったことも、目立つきっかけになった。


 そして、ある日それは突然起こった。


 忘れもしない、北部のからりとした風が吹き下ろす、暑い夏の夜だった。戦時でしか鳴るはずのない共鳴石が震え、俺はエルマの私室に呼び出された。

 明日の打ち合わせがしたい。

 それが何を示すのか、囲いたちの話から想像はついた。しかし、ただ彼女の思いのままになるわけにはいかない。俺の身体には師が抱えた闇が深く深く突き刺さり、眠ったまま起きる気配もなかった。エルマは残忍だったが、同時に冷酷で有能でもあった。そのすべてが、黒い豹のような師を思い起こしたが、かといって俺はエルマに忠誠を誓ったわけでも、また誓おうとも思わなかった。だから、直接会って断りたかった。そうすれば、二度と彼女は俺を呼ばないだろう。そう思っていた。

 扉を開ける瞬間、殺気を感じた。俺は瞬時に魔力を引き寄せ、全力で周囲に張った。相手は准一級魔術士とはいえ、この強さで張ればそう簡単には崩せない。師が相手でも、こちらが逃げられるほどの時間は稼げる。まさか、殺す気で来るはずがない。

 そう思っていた俺の希望は、扉を開けた瞬間にすべて打ち崩された。

 圧倒的な紅い奔流が、俺の青い魔力を一撃で粉砕すると、それは毒蛇のようにぬるり、と身体に巻き付き、部屋の中に引き込んだ。

「馬鹿ね。来なきゃいいのに」

 エルマの妖艶な笑みが、たっぷりとした唇から漏れた。身体はたちまち彼女の腕の中に収められ、次の瞬間には唇を奪われていた。

 暴力的に開かれた扉は同じく暴力的に閉ざされ、錠の音が、がちゃり、と響いた。


――古より歴然と受け継がれし奔流よ、その姿、我が宿命に呼応せよ。願わくば射手の因果をその瞳に背負わん。

――星石「サジタリウス」、顕現せよ!


 エルマによって発動したそれは、傷口の血液を吸い、強烈な光を放った。

「気に入った。あなたを選ぶわ。これでわたしと一蓮托生。一生、逃れられない理でつなぎ止められる」

 エルマの恍惚とした表情がぼやけ、視界が破壊された。徐々に意識も遠くなっていく。

 気がつくと、明らかにこの世とは異なる空間に放り出されており、目の前には黒い頭巾を目深にかぶった、暗殺者のような風体の男が立っている。しかし、かれの身体は俺の二倍――明らかに二リース以上はあった――を超える大きさで、その左腕には大弓が握られていた。


 何を話したのかは覚えていない。とにかく、俺は今までにはない強大な魔力と、それの対価としての宿命を背負わされたことだけは確かである。だから今の俺はひとであって、ひとでない。それは、ルース・ブラヴィアも同じだ。ひとでないふたりが、ひとでなくなったエルマを討てるかどうか、俺にはわからない。けれど、帝国軍部としては合理的で妥当な選択だろうし、事実そうだから課長はそう指示したのだ。保険として、暗命にとどめたに過ぎない。

 アプラ事件は、俺たちの宿命を大きく変えたものだが、俺に宿命づけられたものは、結局のところ変わっていない。俺は、エルマ・ブラヴィアを討つ宿命なのだ。

 星石サジタリウスが持つ、宿命。

 俺が描かされた、宿命。

 それが今、ぴったりと重なり合ってしまった。

 ありがとう、キサラ。

 お前だけは、唯一、本当の意味で愛せた。


 アルベール・アクウォスの手記は、ここで終わっている。

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