第1話 【白虎】

 機体のほぼすべてを軽魔導鋼で構成された、ギルハンス帝国の機巧魔術を全て注ぎこまれた空中戦艦「パイシーズ」の内部は、ほとんど無塗装でやや緑がかった銀色の地金が占めていたが、床にはふかふかとした吸魔性の絨毯が敷かれていて、その回廊が直線的に続いている。角に必ず全長三クロームほどの汎用物理銃を携えた兵士がいるのと、延々と長大な直線を多用する、要塞という役割を排除した内部構造は矛盾しない。

 レイラの後ろを歩くルースとアクウォスは、回廊のはるか先から人影を見つけた。

 グリムとエイミー、そして、それを先導しているのは。

「ジル!」

 ルースが先に声をあげた。

「やっほーこんちわ、ルース、それにアクウォス先生も」

 ジル・カロンはルースよりさらに小さい身体をちょこちょこと小刻みに動かし、彼らに手を振った。

 ルースとジルは、ベルカ中等魔術学校の同級生であり、そこの教師をしていたアクウォスも、当然にジルを教え子として知っていた。

「お前、第十二空挺団に異動になったのかよ?」

「ちがうよー、諜報課第五係」

「諜報課?」

 どうりで異動の内示がなかったわけだ、と内心アクウォスは思った。

 その後ろで、驚いたように肩をすくめるグリムを見て、

「なんだよグリム。文句でもあんのか?」

 ルースはその巨体を睨みつけた。

「そうそう、グリム君ね、私の後輩なんだ」

「あれ、ジルって機巧科だっけ」

「そうだよ。研究分野も研究室も同じ、というかグリム君の卒業論文はあたしの研究の続きだから」

「そういうことですよ、ルース先輩」

 グリムはどこか小馬鹿にしたようにルースを見つめる。

 畜生、後でシメてやる、と常々思うルースであったが、そんなことをしている暇は当然ない。それに、そんな体力も残っていない。

「さて、皆さん揃いましたところで、今回の顛末をご説明させていただきます」

 全員を軽く諫めるように、レイラ・エルバトス機巧魔術捜査課長補佐は平時よりも少し低めの声を出した。

「エンタウルスの民に対し最終通告および代執行の指令があった後、課長の元に報告が届きました。諜報課第五係のカロン主査、その内容をここにいる皆様にもお伝えください」

 なるほど、それでここにいるのか。

 ルースとアクウォスはわずかに目線だけ交差させた。

「ゴルダビアが国境付近に竜騎士部隊を集結させており、攻撃の機会を伺っているという情報を入手しました。このことは、アレス・デアボルグ総将にも報告済みであり、総称の指示により、機巧魔術捜査課にお伝えする次第です」

 ジルは直立不動のまま報告を終えると、敬礼をした。

 何故だ。何故、姉とはいえ全く無関係の部署に報告をさせる。

 アクウォスは何とか事態の「裏」を探ろうと必死で、怪訝な顔をした。

「というわけで、国境付近の作戦を行っているため、課長が総将にあなた方の回収を依頼した次第なのです」

「嘘つけよ、そんなんで第十二空挺団が動くわけねえだろ」

 ルースは不満そうに小さくつぶやいた。

「もちろんです。それは建前に過ぎません。――さて、今のは聴かなかったことにしてくださいね、特にブラヴィア主査?」

 レイラはひやりと薄氷のような笑みを浮かべた。

「なんで俺だけ名指しなんだよ! そんくらいわかってますって!」

 ルースは前のめり気味にそう答えた。

「――さて、皆さん。アレス・デアボルグ総将から直々にお話があるそうです。ですので、私とカロン主査で、皆さんを迅速に回収した次第です」

 場に、不穏な空気が流れる。その空気の源は、アクウォスとルースの無表情によるものだろう。

「補佐、フェムトの調整はいかがいたしましょうか?」

「ああ、ブラヴィア主査の治療に専念していて忘れておりました。アクウォス正尉、お気づき感謝いたします」

 レイラはそう言ってフェムトに触れる。

 ぴかっ、と真っ白な閃光がフェムトに降り注ぐと、今まで文字通り生ける屍と化していたフェムトの身体に活力が生まれた。

「ふあー、ありがとうレイラさん」

「礼には及びません。話は聞いていましたね?」

「ええ、総将閣下ですね」

「そうです」

 二人は手短に会話を済ませる。直後、アクウォスの全身から青色の魔力が漲り、柔らかく身体を包んだ。

「おい、エイミー」

「は、はい?」

 いきなり声をかけられたエイミーは、ルースの方を向いて緊張した表情を見せる。

「いつでも抜けるようにしとけ」

 彼女の足下に下げられた拳銃を軽く叩いて、先へ進む。その顔は、これから敵と対峙するかのような凄みがあった。

「まるで戦争でも始めるみたいじゃないですか、皆さん? 相手は我が軍の実質的な最高指揮官ですよ?」

 グリムが疑いを隠さない口調でそう言い放った。

「戦争、ですか。――言い得て妙ですね」

 そう言ったレイラの表情は、微笑みに武装されていて真意が読めないとグリムは思った。

 監視している兵士に気取られないよう、徐々に武装を進めていくアクウォスとルースを後目に、レイラ・エルバトス正佐は全くその気配すら感じられない。

 一体何が始まるんだ。

 グリムは怪訝そうな表情を隠すことが出来なかった。

「グリム、どこから何が来ても、すぐに避けられるように。新人の君はそれさえ出来れば上出来だ」

「はあ?」

 アクウォスの言葉の意味がはかりかねず、グリムは思わず素っ頓狂な返事をした。

「頼むぜグリム。今回ばかりは、俺たち誰も助けられねえだろうからよ」

 普段は嫌みと軽口しか言わない先輩ですら、こんなことを言ってくる。

「では、行きますよ」

 気がつくと、目の前にひときわ大きく、頑丈そうな扉があった。今まで気がつかなかったのは、魔力迷彩がかかっていたせいだとグリムは気づいた。

「カロン主査、ご苦労さまでした。後は元の指示に従っていただいて結構です」

「了解いたしました、エルバトス正佐!」

 じゃ! とジルは素早く敬礼をして、一瞬で姿を消した。

 この絨毯の上でか。

 絨毯は吸魔性で、魔術を行うのに通常より多く魔力を消費する。レイラの治癒術はもとより、ルースと同級生という彼女の魔力も計り知れない、とグリムはひとり驚いた。


 レイラは、扉を大きく叩いた。

「入れ」

 遠くで、威厳のある男の声がした。



 レイラが扉を開けると、広大な総司令室が姿を現した。吸魔性の絨毯は部屋の中には敷かれておらず、代わりに青色の絨毯が敷かれている。殺風景な船内と比較すると、白を基調とした壁紙と、その中央に描かれた【白虎】デアボルグの家紋は権力と豊かさを思わせる。

 その中央、家紋のすぐ下に、屈強そうな衛兵二名に守られ、同じく白を基調とした軍服を洒落に着こなした、すらりとした長身の男がいた。金色の輝くような髪の毛は短く切られ、背には全長六クローム、うち刃渡り一クロームほどの厳めしい長槍が輝いている。

「下がれ」

 アレス・デアボルグ総将――第十二空挺団長兼帝盾部隊長は、脇に控える衛兵にそう命じた。彼らは一瞬顔を見合わせると、すぐに司令室を出た。

 彼らが部屋を出た途端、禍々しい気配が辺りを埋め尽くす。

「なんだこれは……」

 ただならぬ気配にグリムは思わず言葉を漏らした。

「全力で来い」

 アレスは短く一言、そう言うと背負っていた槍を抜き、来訪者に構えた。その全身からは、特定の属性に偏ることのない、極めて珍しい金色の魔力が、まさに噴出していた。

「話が早くて何よりです、総将閣下」

 アクウォスも長剣を抜き、アレスにその切っ先を向けた。柄の魔術回路が妖しく青色に光る。

「今日は調子がいいからな、俺一人で相手してやる」

 アレスの右手から黄金色の閃光が出たと思えば、その光の矢は一瞬でレイラへと向かっていく。

 もちろん、それが彼女の身体を貫くことはない。レイラの左手から紡ぎ出された巨大な紋章が白い障壁となってアレスの攻撃を防いだ。

「覚悟!」

 すでに後方に回り込んでいたルースは魔力剣を抜き、青白い刀身を大きく伸ばしてアレスに迫る。

 だが。

「うわあああああ!」

 ルースの真下から黄金色の光がせりだし、彼は数リース後方の壁まで吹き飛ばされ、激突した。

 がきいん。

 甲高い金属音とともに、アクウォスの剣とアレスの槍が激突した。宙に浮いたままの身体から次第に蒼が増していく。次第に苦虫を噛み潰したような表情に変わっていくアクウォスと裏腹に、アレスは涼しい顔のまま、彼の尋常でない魔力を受け続ける。

「その程度か」

 アレスは槍をなぎ払った。宙に浮いていたアクウォスの身体は大きく吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。

 直後、アレスは黄金色の魔力を編み、障壁を構えた。エイミーの耐魔弾は障壁に突き刺さり、威力を失って床に転がり落ちた。

「嘘……」

「今更驚くことか?」

 アレスは小さく首を傾げ、槍を右手に持ち直すと、音もなく彼女に肉薄しその刃を振りかざす。

 ぎいん。

 鈍い金属音に彼は振り向く。【白虎】の家紋が入った真っ白なマントに、細い槍が突き刺さっている。

「ふむ」

 アレスの表情にほんの少しだけ感心の色が滲む。

「貴様がグリム・イグーロスか」

 飛びかかってきた脚を左手に掴み、アレスはその脚の主に呼びかけた。

「新人にしてはなかなかやるようだな」

 その脚を投げ飛ばすと、グリムは天井に叩きつけられ、揚力を失ってそのまま床へ落ちた。

 そのすぐ後ろから、アクウォスの剣先が迫り、青みがかった閃光を放つ。

「貴様――っ!」

「機式魔術剣術奥義『星閃剣フレアスター』!」

 アクウォスが剣を振り下ろした瞬間、アレスの周囲を無数の光が煌めき、逃げ場もなく連続する爆発が彼を襲った。

「くっ」

 焼け焦げたマントが、その攻撃の凄まじさを物語っていた。どんな攻撃にも表情ひとつ変えなかったアレス・デアボルグ総将の表情に、僅かに焦りと怒りの色が現れた。

 だが。

「そこまでです!」

 周囲を取り巻いていた禍々しい空気は、レイラの高らかな声とともに取り払われ、アレスは持ち上げた槍を取り落とし、アクウォスは剣を鞘に納めざるを得ず、もとより戦闘にほとんど参加していなかったフェムトはその場に倒れ込んだ。

「レイラ・エルバトス課長補佐……この俺に、その名をもって指図するつもりか……」

 アレスは明確に怒りを込めた口調でレイラに迫る。

「総将閣下、勘違いなさらないよう。貴方が【白虎】の名を冠していることは明白ですが、だからといって、私は貴方にお仕えしているわけではありません。元より、私はかろうじてエルバトスの名を名乗れるだけに過ぎませんから――そうでしょう、ルグリア・エルバトス将監」

 レイラは、アレスからほんの少し離れた、虚空を見つめて微笑んだ。

 すると、漆黒の隠密服に身を包んだ、背の高い妙齢の女性がその場に突然姿を現した。



「その視線だけはご勘弁いただけますか――姉さま」

「ご冗談を。私はまだ、櫛も手にしておりません」

 その通りだった。ルグリアを含めた全員が――アレスの魔術結界でろくに動くことすら出来なかったフェムトですら――己の得物を手にしている中、レイラだけが、素手でその場に立っていた。それが示す意味は、魔術士の資格を持つ者には明確すぎるくらいだ。魔力の格の違い――レイラ・エルバトス正佐の特異な魔力量は帝国軍の機密でもあるが――が感覚できるほど、彼女は抜群の魔力を擁しているのだ。

「総将ともあろうお方が、自分より格下とはいえ本気で殺意を持ち合わせている人間を複数相手にするのに、おひとりのはずはありませんからね」

 微笑みを崩さないレイラは、しかしその場を圧倒していた。

「いや、俺は本当にひとりだったつもりなのだが……」

「アレス様はこのように男気溢れる勇敢なお方ですので、不肖ながら私は隠れておりました」

 困惑するアレスと、無表情のまま姉に相対するルグリア。

「なるほど、それで合点がいきました」

 レイラはその場を清浄に保ったまま、ルグリアににっこりと微笑むと、アレスに身体を向けて、

「総将閣下、わざわざ出向地まで出向き、旗艦に招き入れた理由を、そろそろお話しいただきたいのですが」

 と、言った。

「そうだったな」

 アレスはごほん、とわざとらしく咳払いをする。

「単刀直入に言おう。先ほどカロン主査から申し伝えさせた通り、北のゴルタビアが我が国を侵攻しようとしているという報せが、ある筋より寄せられている。

 また、貴様等が掃討――失礼、を執り行ったエンタウルスの民は、ゴルタビア王国から多大なる援助を受けていたことが明らかとなった。どうやら彼らは、王国領――すなわちルーヴェル山脈の反対側だが――から神殿へと繋がる地下道を秘密裏に造成しようとしていた可能性が非常に高い」

 ルースとアクウォスは顔を見合わせた。

「ああ、なるほど」

 あいつの家が協力者だろうな。

 ルースの脳裏にアーマッドの巨大な躯が浮かんだ。

「疑ってはいたが、確かな証拠があったとは驚きだ……総将閣下、その情報はどこから?」

「――それは明かせない。、としかな」

 落ち着き払ったアレスに対して、アクウォスとルースの顔は真剣みを増した。

「皇帝直属組織の我々にすら話せない――ですか。でしたら私は、聞かなかったことにいたしますね」

 レイラは冷たい微笑みを浮かべた。

「レイラ・エルバトス正佐、そういうことだ。俺はあくまで、この見た目の割に血の気の多いアルベール・アクウォスという男と、その隣にいる、名も知らぬ少年兵に対して噂話をしているに過ぎない。貴殿、および他の機巧魔術捜査官は

 ただひとつ、貴殿を機巧魔術捜査課長補佐と知った上で、俺は軍規上の助言をしよう――正佐、対策係はじきに一週間前後の休暇を取るべきと思われる」

 ルースの顔がひきつる。

 対して、レイラは硬い微笑みを崩さないままだった。

「総称閣下、それは、課長に進言したものと捉えますが、よろしいでしょうか?」

「――正佐、俺が姉上を直接呼ばなかった理由をここで述べさせる気か?」

 アレスが不機嫌そうに眉を上げ、ルグリアの表情がほんの少し怪訝そうなものに変わった。

「失礼、冗談です、アレスお坊ちゃま」

 レイラの微笑みはゆらぎ、纏う空気に禍々しさが混ざる。

「姉さま!」

 ルグリアは明らかな怒りを浮かべ、レイラを睨みつけた。

「――その狼藉は聞かなかったことにしよう」

 アレスは明らかに不機嫌な表情を浮かべた。

「では、私は課長に報告するのでこれで」

 レイラはくるり、と踵を返した。

「――折角だ、全員まとめて護送してやろう」

「……感謝します」

 戦艦の主はどんよりとした声で、ひとことそう言った。

「たちの悪い嫌がらせだな」

 総司令室の扉が閉まった後にぼやいたアクウォスに答えるものは、誰もいなかった。

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