第3話

 さて、教室で一目置かれる存在となった鳥山は、筆箱を隠されることもなくなり校内テストの順位も五〇番以内に上がって来ていた。前に藤堂が持ち込んだ机と椅子があるから探偵部の武闘派として勧誘するのはありかなしか。そんな事を言い出した俺に、キツネさんと百目鬼先輩は揃って『ないわー』と笑った。

「柔道部にもう入っている子じゃ引き抜けないわよ。かと言って柔道部から引き抜いたらもう武闘派にはならないし、あのくらいの子はすぐに身長も伸びるものよ、高校で。うちのクラスにもいるわ、大学に行ったら伸びるって信じてる子。身長以外は抜群だけに可愛そうで」

「伸びるのか伸びないのか分からんですよそれ」

「恒常的な運動は必要なんじゃないかって話。その子ピアノレッスンに通ってて指だけはすごいんだけれどね。スマホしゃかしゃか使うわ」

「それに探偵部と柔道部と百目鬼地獄の三足草鞋はつらいものがあるよー。憂いあって実り無し」

「聞いたことないですけど」

「今作った。取り敢えずあの子には柔道部担当として頑張ってもらうわさ。それならあの子には、『一石二鳥』だからね」

「そう言えば指南代、結局幾ら貰ったんです?」

「哮太君。お金の話は失礼だよ」

「百円。十円でも良かったんだけどね、あんな原始攻撃」

 確かに噛むのは原始攻撃だ。だがあれと言うのは結構痛い。従妹が小さい頃まだ歯も生えてなかった頃に指を嚙まれたことがあるが、歯茎なのにガジガジ痛かったのを思い出す。そんな従妹も年頃で、乙茂内が出てる雑誌なんかを買うようになったが。そしてお兄ちゃんと呼んでくれなくなったが。寂しい。

 しかし噛むこと一つを教えただけで百円にためらいがないのはちょっと金銭感覚ずれてないだろーか。最初の千円よりはましとしても。と言うと、何気なくも驚くべき情報がさらっと漏らされる。

「あの子五歳から今年の五月までアメリカにいたんだってさ。いわゆるセレブ君な帰国子女なんだよねー。だから一ドルの価値がよく解らない。千円の価値もよく解らない。そんな子の財布が狙われる前に事件が片付いて良かったにゃー」

「事件? 今回事件らしい事件ってありましたっけ」

「いじめは事件だよ哮太君」

 ふっと鋭い目で見られた気がして、背筋がぞっとする。

「誰もが世渡り上手じゃない。軋轢は必ず生まれるもの。とばっちりは必ずどこかにある。それを忘れちゃいけなくてよ、哮太君。彼はたまたま入学時期が人よりずれていたことからその禍を受けた。彼がムカつくんじゃなくて『目立つやつ』がムカつくのよ。美女ちゃんはその辺り、よく知っているでしょう?」

「……はい」

 知っているのか。

 いつもけらけら笑って無邪気でドジな極楽とんぼのように思っていたが、それも処世術の一つなのかもしれない。

 俺も知らないとは言えないが。

 脚が痛む。触っても冷えてもいないのに。

「と言うわけで今回だって探偵部は実に探偵部らしいお仕事をしたってこと、ちゃんと覚えててくれなきゃ嫌だよ。哮太君。じゃないと耳目泣いちゃう」

「美女も泣いちゃう」

「あら、ここは経子も泣いちゃう、と続くところかしら」

「続かんで良いです。むしろ哮太泣いちゃう」

 三人の視線が「ないわー」と言って来たのが身に沁みた。

 まじ泣いちゃうぞ。


 クラスを騒がせていたいじめ騒ぎは過ぎ、鳥山の身長もぐんぐん伸びて行った。タケノコのようなその速さにほーっと思う間もなく三センチ。十センチ伸びるのもすぐだろう。もしかしたら俺より伸びるかもしれない。

「お前アメリカの学校ではいじめられなかったのか? 身長がらみで」

「向こうは千差万別だからね、全然そう言うのはなかったよ。だから僕は何でこっちでは自分が暴力を受けるのか分からなかったけれど、百目鬼先輩に教えてもらってやっと分かった感じかな。背が低いのがいけないんじゃなく、目立つことが悪い――でも探偵部の人たちも皆目立つよね。彼女たちがいじめられない理由って何だろう。百目鬼先輩は百目鬼地獄が攻撃にも防御にもなるとして、佐伯先輩や乙茂内さんはどうやって身を護ってるんだろう」

「あの二人はあの二人で努力してるぞ、積極的に自分の地位を下げて見上げる方に見せかけてる。知ってることを知らないふりして相手の優越感を煽ったり、かと思えば最新情報を持って来て重宝がられたり。女子だとコスメ関係のそう言う話が響くんだそうだ、乙茂内いわく。キツネさんはむしろ無視される対象だそうだが、あの人は人が居なくても困らないし友人が全くいないわけじゃないから苦痛でもないそうだ」

「強いね」

「本当。俺一番立場弱いから泣いちゃう」

 けらけら笑った鳥山にしゅんとして見せる。お前まで俺を笑うか。やっぱり一番立場低いの俺なんじゃないか。外部の鳥山を取り入れてもなお。

 五時限と六時限の間、ゼリー飲料を飲みながら鳥山の席に寄りかかる。まあ俺は階段のつもりだ。クラスに馴染んでいる俺が鳥山に付き纏えば、女子も男子も近付いてきやすいだろうという、些細な気遣い。ここで乙茂内を出してはいけないのが肝心だ。あいつの場合はファンクラブから妬みを買う。結果またいじめ行為も勃発しやすくなるだろう。俺ぐらいでちょうど良いのだ。多分。

「あの、鳥山君」

「何?」

「進路希望調査まだ出てないの鳥山君だけなんだけど、明日中に出せる?」

「うん、多分。ごめん、迷惑かけて」

「そ、そんな気にしなくても大丈夫だよ! 期限は明後日までだし」

「早く済ませたいって思うのは普通の事でしょ? だからやっぱりごめんだよ」

「どうすんだ? アメリカ戻る?」

「アメリカぁ? 戻るって、鳥山君アメリカ人なの?」

「国籍は日本だけど五歳から今年の五月まではアメリカにいたよ。英語は崩した表現しか分からないから三角だらけだけど。だから点数は伸びない」

「でも凄いよ! ねーちょっと聞いてよ飛鳥あすかぁ、鳥山君って帰国子女なんだって!」

「実は飛鳥さんの名前も最初は読めなかった」

 こそっと教えてくる奴である。可愛い奴め。わらわら群がってくる人々に、俺はそっと身体を避けさせる。これだけギャップがあれば好感度もそこそこ上がるだろう。探偵部のアフターケアもいらないぐらい。

 鳥山をいじめていた三人は三人だけでつるむようになり、いわばハミの状態だ。誰が抜け駆けしても、今度はそいつがターゲットになるだろう。下らない席取り遊び。次に座れないのは三人のうち誰だろう。まだタイムは切られてない。いつまで疑心暗鬼が続くのか――は、俺の知った事ではないか、もはや。勿論鳥山も。

「あ、哮太君帰って来たっ」

「おー」

「ちょっとスマホ見せてくれる?」

 にっこりにこにこモデルスマイルで手を差し出され、あー、と俺はそれを取り出す。

 電源が入っていなかった。

 おそらく電池切れだ。

「もー、やっぱり! これあげるから今度からは寝てる間に充電するように!」

 乙茂内はぷりぷり怒って俺に電池式の充電器を渡してきた。アルカリ電池と共に。財布を出そうとすると、それは要らないから充電きっちりしてよ! と怒られた。充電器は貰ってあったはずだから、これからは気を付けよう。ぴろん、と機動音が鳴るとしばらくたってホーム画面に出る。乙茂内からのラインは小テストの範囲を聞くものだったり映画の感想だったり緊急性のあるものは少なかった。それが友達付き合いというものなのだろう。だが待て。

「小テストの範囲ぐらい聞いとけ」

「あたっ」

 軽くコンッとその頭を殴ると数名の男子から殺気を感じたが、クラス単位でも俺の底辺ぶりは発揮されるのかもしれない。

 哮太泣いちゃう。ほんと。


 その後鳥山の身長は順調に伸び、殆どの女子を見下ろせるようになった。とは言えそれで元いじめっ子たちに柔道技を掛けたりして復讐をしない所がクラスに好感を持たれ、英語を教えてもらいに来る女子も現れるようになった。本人曰くの三角ばかりのネイティブだったが、外れることは少ないのでアンチョコが作成され英語苦手男女の聖書となった。勿論俺も乙茂内もその恩恵にあやかった。特に文系さっぱりの乙茂内には重宝がられ、こっそりとコンビニスウィーツを贈られていた。

「すっかり人気者ですよ、あいつ」

「それは良いことだにゃー、百目鬼地獄に入ってくる情報量も増すだろうし。でもこれって結構面倒でもあるのだよ……部室のPCはスタンドアローンだから学校で貰った情報は一旦そこにセーブして、USB端末に移してから実家で振り分け……それも良い情報も悪い情報もあるから白黒付けなきゃならないのが毎日の憂鬱だわさ。めんどくさーい! いっそクラウド導入したーい! でもここの棟電話線引いてなーい! それに自分で契約するのも難しそうなのも嫌ー! そういや端末ちゃんのお兄さんが営業してるって聞いたことあるな……でもどっちにしろお金の発生する事態は避けたーい……下手するとその端末ちゃんに弱みとして握られネットワーク乗っ取られる……それだけは避けなければ……」

 ぶつぶつ言ってる百目鬼先輩は、なんでそんなに面倒なことやってまで百目鬼地獄を維持しているのだろう。敵を作らないため? よっぽどこっちの方が作ってると思うけれど。最初、本当に最初の絆創膏で隠れる程度の情報がよっぽど特別だったのだろうか。訊いてみようと思ったが止めておいた。この人は多分教えてくれない。ぴろぴろ流れて来るデータを振り分けて、ふんふん鼻を鳴らして、何だかんだ楽しそうなのだから。

「ちなみに哮太君と美女ちゃんがお付き合いしてるって噂は本当なのかな?」

「ないわー」

「ないのかー……」

 ちょっと残念そうにするな。地学準備室とて安心はできないのだぞ。主に前に座ってる二人。キツネさんはぺろりと指先を舐める。稲荷ずしを食べた時の癖だ。おにぎりの時はやらない。音無島の時もこういう癖は一切出さなかったな、と俺は思い出す。白いビキニに焼けない身体。あれは眼福だった。黒いビキニにふりふりのレース。あっちも可愛かった。一切泳ぐつもりもなく砂浜で本を読んでいた人。この人だけはないわー。一体どんなプロポーションなのかも解らん。しかし誰にも聞けない。そんなこと。

「にゃ? 哮太君何か言いたいことがおあり?」

「百目鬼先輩のスリーサイズっていくらで売ってます?」

 だんっ! と音がして机の下で乙茂内に足を踏まれた。

 だから。足は。痛いと。言っとろうが。ぐりぐりすんな、ぐりぐり。

「別にタダだけど」

「良いの!? 年頃の女子としてそれ良いの!?」

「こーたくん!」

 年頃の女子に更に踏まれてしまったが、聞き出すことは結局できず、くすくす笑うキツネさんの声と共に予鈴は鳴った。


 ちなみに学祭の展示物はこれまで幾人もの血を吸って来たのだろう、釘バットに決定したが、誰も見に来なかった。

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