第十部 第1話

 俺が右足の靭帯を切ったのはサッカー部で中二の丁度レギュラー決めの頃だった。三年生が引退し、一年の稽古をつける合間の自分たちの練習。そんなに大きな学校じゃなかったから、レギュラー落ちするほどの二年生もいなくて安心しきっていた頃だ。雨の日、傘を差しながら、たまには練習がないのも良いななんて思っていたら、後ろから高速で走って来たバイクに追突された。

 最初は事故だと思ったが、俺を跳ね飛ばしたそいつは戻ってきて、俺の両足をスタッドレスと思しきタイヤで踏みつけて行った。ぎゃああ、と我ながら情けなく悲鳴を上げると、近所の人が出て来て、慌てて救急車を呼んでくれたが、バイクは去っていった。後で警察に聞いた話だと、何キロか先で捨てられていたらしい。盗まれたバイクで、盗難届が出されていたそうだ。犯人は今に至るも、見付かっていない。


 病院に運ばれて医者に渋い顔をされて、靭帯が切れています手術をすれば歩けるようになるかもしれませんが走る事は――言われて眼の前が真っ暗になった。別にサッカー選手になりたいなんて夢見がちな事を思っていたわけじゃない。ただ、その時一番好きなのがサッカーで、そこそこ上手くなって来た頃だったからこそ、その絶望感ったらなかった。親は手術代は出せるけれど、もし走れなくても二回目は流石に……と、すまなそうに言ってきた。平気平気。歩けるようにさえなれれば良い。導尿カテーテルぶっさされておむつを付けられた十四歳の息子を見て、母親は泣ていた。ごめんね、ごめんね。悪いのは母さんじゃないのに、父さんもぎゅっとこぶしを握り締めていた。後で聞いた話だが、父はネットや草の根活動でバイクを乗り捨てた奴を探していたらしいが、流石に男か女かもわからない相手を探すのは難しかったらしい。犯人の見付からない、完全犯罪の被害者となってしまった。

 一年のリハビリ期間と言うのは学生には残酷だ。今から一年たったら、俺は三年生で引退しているだろう。それでもと一縷の望みをかけて、俺は手術を受けた。結果普通に動けるようにはなったが――走る事は、やはりできなかった。


 高校も一芸入試のつもりだったから変えざるを得なくて、近くにある学校に入ろうと思ったのだが、そこはやたらに偏差値が高く俺では無理だろうと暗に進路指導の教師には言われた。だが部活も出来なくなってしまった俺は暇だったので、図書館に入り浸り、勉強をどんどん進めて行って、三年の頃にはトップに入る成績を出せていた。どうやったらそんな事になるのか、問われた俺は笑って答えた。ま、サッカーがなくなったらこんなもんさ。誰も笑わなかった。しかし俺自身は、割と自分の潜在能力に喜んでいた。


 そうして入ったのが、私立十波ヶ丘大学付属高校と言う学校だ。さて部活は何にしようと憂鬱に文系部のチラシを見ていると、乙茂内が俺をそこに誘ってきた。探偵部。とっても如何わしい香りがプンプンしていたが、チラシを見せられると他の部の手書きだったりリッチテキストだったりを使った不愛想なチラシの中では随分映えていた。PCの操作方法にはちょっと興味があったので――我が家は父母が別PCを持っていて、子供には触らせず高校を卒業するまではケータイも渡さない主義だった――その如何わしい部に入ったのが、大体半年前。


 そんな走馬燈を思い出しながら。

 俺、ピンチです。


「な、んなんだよッ!?」


 雨の中、執拗に追いかけて来るバイクのヘルメットはフルフェイスだ。そいつは俺が人通りのない道に入った途端、急にスピードを上げて後ろから轢こうとしてきた。たまたま水たまりの音がしたので振り向いたが、それは僥倖だったと思う。危うく避けるとターンしてまた俺に向かってくる。なんだ。だれだ。思い出されたのは二年前の事件。雨の所為でなく背中がヒヤッとして、でも俺はぎりぎりでそれをかわすのが精いっぱいだった。何せ俺の足は、もうダンスのステップも踏めやしない。だから学祭ではフォークダンスに参加しなかった。嘘だ。単に面倒だっただけだ。乙茂内は妙に落ち込んでたが、誰か目当ての人物でもいたのだろうか。乙茂内。そうだ。

 気付いて俺はシャツの胸ポケットに入れてあった乙茂内のおさがりのスマホを取り出すと、バイクがエンジンの音を立てながら止まった。おそらく音で電話を出来ないようにするためなのだろうが、最近のスマートフォンは防水は勿論マイクも優秀と見える。一一〇を押すと、事件ですか事故ですかと問われる。


「事件です!」

『どのような事件ですか?』

「バイクに追い掛け回されています、何度もこっちに突撃してきて今にも轢かれそうです!」

『場所は解りますか?』


 俺は最寄りの電柱を見る。


「八頭司通り三の十一です!」


 ぶるん、と音がして、バイクが逃げる。せめて番号を見ようとしたが、ナンバープレートは折り曲げて隠されていた。昔の暴走族かよ、思いながら俺はぜぇぜぇ息をする。最小限の動きで逃げたとはいっても、足がとにかく痛かった。病院で怒られるな。ちょっと前も、サッカー部の一年相手にリフティング教えてたら痛んできて怒られたし。


 暫くするとサイレンを鳴らしながらパトカーが一台止まって、雨でずぶぬれの座り込んでる俺を見付け走り寄って来る。


「大丈夫かい、君! 電話をくれたのは君だね、轢かれたのかい!?」

「元々靭帯切ってて、それで追い掛け回されたもんで、痛いだけです……もしよかったら、八月朔日ほずみ医院に連れて行ってもらえますか」

「解った、パトカーで行こう」


 小柄なおじさん、と言う感じの制服警官は聞き覚えのある声で、ことりちゃんの事件の時の人と知れる。彼は思いの外の腕力でひょいっと俺を姫抱っこした。ちょっと恥ずかしいし足も伸びるんだんが、パトカーに乗せるには丁度良い格好だった。警官さんはサイレンは鳴らさず、静かに病院に向かってくれる。スマホくれた乙茂内に感謝だな、思いながら俺はずきずき傷む両足を何度も何度も手でさすった。

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