第2話

 その日も鳥山は午前中から教室裏で蹴られていた。連中の今度の狙いは憂さ晴らしではなく小遣い稼ぎになろうとしているようで、しきりに財布を寄越せと言っている。だが鳥山は意地でも渡さない。その気概を今まで封じ込めていたのは、低すぎる身長や声変わりしていない事だろう。男子としてのコンプレックスは、だが昨日年上のおねーさんに助けられたことで爆発した。自分が情けなくなった。だから変わろうと決めた。変わってやろうと、決めたのだ。鳥山は。幸い成長期だし身長はまだ見込みがあるだろう。柔道部でもすでに餃子耳になるほど熱心に練習している。

「大丈夫かな、鳥山君」

「度胸は一端いっぱしにあるんだから大丈夫だろ。あの百目鬼先輩に武術指南を乞うとか、誰も考えつかねーぜ。藤堂みたいなやつじゃないと認めたからこそ――」

「いっでぇ! こいつ噛みやがった!」

「な?」

 俺の机に座っていた乙茂内の心配そうな顔が、ぱ、と華やぐ。噛むのは動物の最初の攻撃だ。そう教えたのは百目鬼先輩だ。教えられた通り後ろの腱を制服の上から。そして動揺したところで全員に足を引っ掛けぐんっと倒す。当り前のように倒れたのは、二・三人。結局積極的ないじめに関与しているのなんてそのぐらいの人数だ。あとは悪乗り。女子にすらも伝染する、気持ちの悪い――悪乗り。

 そうしてから唾液の糸を引いて顎から力を抜き、鳥山は脚を固めた。これは柔道部で習った技だという。百目鬼先輩が教えたのはあくまで猫騙しにすぎず、鳥山のポテンシャルを生かした繋ぎを教えただけなのだ。いつもの男子達がやられているのに女子たちの中でもひそひそと声が混じる。何あいつ。実は強かったの? それともまぐれ? 俺は立ち上がって教室の裏に回り、案外冷静な顔をしている鳥山の肩をトントン、と叩いた。ハッとした顔になった鳥山は、慌てて技を解く。そうそう、俺みたいなことになる前に止めること。それが同じクラスにいる俺が仰せつかったことだ。やり過ぎないこと。でないと今度は鳥山の方が加害者になってしまう。

「い、犬吠埼君、僕――」

「まあセーフだろ。アウトなら百目鬼地獄ですぐ先輩が飛んでくる」

「その、百目鬼地獄って結局何?」

「学園内外に張ってある百目鬼先輩の情報ネットワークだ。昨日のも誰かが通報して呼んだんだろ。このクラスにも何人かいるはずだぜ、俺と乙茂内は違うけどな」

「違うんだ」

「何といっても俺の場合携帯端末が借りものだからな。そうちょくちょく連絡も取れん」


 けらけらと笑っていたところで、嫌な気配がした。

 鳥山に足を掛けられた一人が起き上がって、その後頭部にパンチを――

 入れられる気配に気づいて、鳥山は軽く頭を振ってそれをよけ、伸びてきた腕を取り。

 一本背負い。

 クラスにおける鳥山の位置が変わった瞬間だった。


「うーいよく出来たようだねえ、我が弟子よ」

「先輩!」

 昼の地学準備室、待っていた百目鬼先輩にぱあっと目を輝かせて駆けて行く鳥山の姿は微笑ましいことこの上ない。走ることが出来るだけで羨ましい俺はそう思う。ヒッヒッヒと笑いながら彼女の携帯端末を見ると、鳥山の一本背負いが綺麗に動画に撮られていた。クラス内の百目鬼地獄の端末さんが動画にして撮っていてくれたのだろう。これが再び百目鬼地獄を通って校内に広がれば、他のクラスの暴行犯たちも鳥山に近付かなくなるだろう。礼儀正しくぺこりと頭を下げた鳥山は、ありがとうございました、と柔道部仕込みの大きな声で礼を言う。ひらひら手を振って抹茶プリンを持っている百目鬼先輩は、ちょっと照れ臭そうにしていた。珍しい顔だな、と思う。探偵部としては異形の仕事だが、それでいじめが一つなくなったと考えれば悪くもない。

「あの、それで、百目鬼先輩、先輩にお礼させて欲しいことがあって」

 もじもじと鳥山も照れているようだ。んー? と小首をかしげるミイラ。意を決したように顔を上げる少年。丸刈りの良く似合う頭だ。後で触らせてもらおう。


「僕も百目鬼地獄の一員にさせてくれないでしょうかっ!」


 ……オーウ。

 賭けに出たな、青少年。うちのクラスに数名いるという話をした後にその言葉が出て来るか。

「柔道部の男子のみんなには結構可愛がられているんです、だから先輩の届かない情報も提供できるんじゃないかと思いますっ。その、もう柔道部は間に合ってるって言うなら、諦めますけれど……どう、でしょう」

 尻すぼみな言葉に目線を上げる鳥山に、ぽかんとしていたのは俺も乙茂内もだった。キツネさんはポーカーフェイスで指に顎を乗せている。百目鬼地獄は探偵部とはあんまり関係がない所にあるから、興味がないのだろう。人の物は人の物。自分の物は意地でも離さない。キツネさんのそう言う強欲な所は好きだ。乙茂内も百目鬼先輩も、そう言うかけらを持っているのが好ましい。自己主張がきちんとしてるって言うのか。それで言うなら今もそうだ。鳥山のまっすぐに要求を言えることは一種の才能だと思う。昨日の柔軟指導志願と良い。

 んー、と苦笑いに考えながら、百目鬼先輩は唸る。

「今までよりきっついかもよ?」

「慣れました、平気です」

「他校試合であんな情報こんな情報取ってこいって無茶言うかもよ?」

「出来る限り応えます」

「金銭も絡むよ?」

「お任せいたします」

 ふー、っと百目鬼先輩が溜息を吐いて、ぱっと両手を上げる。

「オーケーだ、君の忍耐強さには敬服しよう。はいライン交換するからスマホ出してー」

「は、はいっ!」

 なるほど百目鬼地獄はこうやって増えるのか、ふーんと思っていると乙茂内が自分の携帯端末をじっと見る。なんだ。お前まで入りたいのか百目鬼地獄に。

「哮太君あんまりラインやんないよね」

「ああ、習慣がなくてな」

「付けようよー便利だよ今時の社会。未読スルーは悲しいよ」

「そう言えば最近チェックしてないな……」

「絶対絶対充電切れだよ!」

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