第二部 第1話

 それは何てことないことだった。

 美術室の花瓶が割られただけ。美術部のクロッキー用だが、あまり人気はなく、二・三人がスケッチをしているだけだったと言う。


「さぁさぁ飽くなき事件を追う我ら探偵部の出動じゃあないかい皆様方! 花瓶に何の秘密があったのか、それともこれから何かを隠すつもりなのか、気になるだろう若人たち! 気にならない筈がない! 今日も楽しき我が部活動を開始すべきなのだよ!」


 百目鬼先輩は絶好調だった。


 昼食を終えると、キツネさんは爪を研ぐ日課がある。やすりをかけて少し先端をとがらせ、マニキュアを丁寧に塗っていくのだ。乙茂内に聞いたところ、全部がマニキュアではないらしいが。ベースコート、透明マニキュア三層、トップコート。その爪はいつもキラキラとしているが、教師に注意されたことはない。乙茂内もだが、基本的にキツネさんは品行方正なのだ。こんないかがわしい部を作っているぐらいには。だがテストは常に一位である。この学校は結構な進学校だが、それでもキツネさんは進学するつもりはないらしい。先生方が何度も説得に向かったらしいが、その意志は固い。理由は知らないが、家の事情だと言う。金がないのかとも思ったが、その割に綺麗な茶色に染められた長い髪がプリンになっているのを見たことはないから、それはないだろう。いつだったかぼやいていた先生方は、最高学府も狙えるのに、と溜息を吐いていた。なんだってそんな人が進学を考えないのか、常に数学三十点を彷徨っている俺にはよく解らない。

 乙茂内はそーなんですよねぇと小さな弁当箱――女子はそれで足りるのかと本当に謎に思う――をぱたぱた片付け、きゅっと巾着袋の口を占める。にやにやしてる百目鬼先輩は、もう堪らないと言いそうだった。別に死人が出たわけでもないが、たとえ死人が出てもこの人はこうだろうと思う。俺は弁当箱を保冷温バッグにしまった。キツネさんが塗ってるマニキュアの匂いだけが、忙しなく辺りを漂う。


「美術室の掃除当番ってうちのクラスなんですけど、昨日までは何ともなかったんですよー。美女も花瓶触ったんですけれど、何にも変な所とかなくて。机拭いて戻してはいお掃除終わりー、みたいな感じで」

「ほうほう美女ちゃんが最後の接触者だと言う可能性が高い訳だね?」

「あーっ百目鬼先輩美女のこと疑ってるー! 酷いー、美女何もしてないですよぅ! 端っこに置いちゃったとかそう言うこともないし、ほこり堪ってた机綺麗にしたんだからむしろ褒められるべきです!」


 ぷぅ、と怒った顔も、乙茂内は可愛い物だった。これでも彼氏募集などと言わないし、むしろ女子たちの恋バナにきゃーきゃー言いながらついて行くから、嫌われない。男っ気のない美少女なんてそんなもんだろう。観賞用だ、観賞用。少なくとも俺は乙茂内を可愛いと思ったことはあるが、男としてどうこう思ったことは、最初の笑顔以来一切ない。とってもかわいらしい笑顔で上目遣いにされて、リップでつやつやの口唇を開いて彼女は言ったのだ。

 ねえ、探偵部に入らない? と。


 お願いお願い、同好会として成立させるには最低限四人の面子が必要なの! 哮太君まだ部活入っていないんでしょう、お願いだから入って! 美女一人だけの新入部員なんて気まずくって怖いの! なんで俺。背も高いし体育得意でしょう? 武装要員はいた方が良いと思って。どういう理屈だ。女の子三人なの、男の子一人ぐらいいないと他の子が入りづらくなっちゃう! 別に良いだろ、大体なんだ探偵部って。

 それはねっと乙茂内はびっしり指を突き出した。


 学校で起きる様々で些細な事件を穿り回して大騒ぎにする部だよ!


 すっげーお断りしたかったが、乙茂内が涙目になるとわらわらとどこかから湧いてきた男子たちがじろじろと俺達を見る。乙茂内はこの中から部員をいくらでも選べば良いのに、思いながら高校でのボッチを懸念する自分の心の声に負け、俺は返事をしていた。

 ――解ったよ。

 ありがとう、哮太君!


 そう。その笑顔は、なんと言うか、胸をドキドキさせた。

 まあすぐにキツネさんと百目鬼に会い、外れ籤引いたと後悔するわけだが。

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