第2話

 昼休みの美術室には誰もいなかった。壊されたと言う花瓶も綺麗に片付けられている。ここにあったんだよ、と言う乙茂内の声に、ふうん、と辺りを見回してみた。並べられた机に異常なし。花瓶の置かれていた台は、と見ると、何だかちょっとざりざりしている箇所があった。いつもただ眺めているだけのキツネさんがそこに顔を近付けて、ふーん、と鼻を鳴らす。速乾スプレーを吹いた爪が、腰の後ろで組まれてキラキラしていた。


「ここに叩き付けて割ったみたいね」

「解るんですか?」

「だってここだけささくれているもの。叩き付けて割った、と考えるのは妥当だわ」

「ヒッヒッヒ、キツネさんは目端が利くなあ、流石は探偵部部長って言ったところだね!」


 ぱしゃぱしゃとスマホのカメラ機能で色々と撮りながら、百目鬼先輩は言う。うー、と唸ったのは乙茂内だった。


「美女じゃないですよ美女じゃー。ちゃんと真ん中に置きましたもん、落ちないようにって」


 美術部のスケッチやクロッキー帳を眺めながらゆっくり歩きまわるキツネさんは、一人納得したようにふむと息を吐いた。


「――あなたたち、何してるの?」


 響いた声にドアの方を向くと、見覚えのあるお団子頭の女子生徒が俺達を睨み付けていた。


「おや、美術部副部長の鳴子零子なるこ・れいこさんじゃーにゃーですか。これはちょうどいい所に」

「ちょうど良い?」


 眼の下に濃い隅を引かれているその鳴子先輩は、鳴子と言うかナルコレプシーと言う感じだった。何をそんなに起きている理由があるのか、深夜番組にもラジオにも興味がない俺には解らない。眉を吊り上げたその顔を見て、キツネさんは鼻で息を吐く。事情聴取に一番向いている百目鬼先輩に、この場は託すつもりなのだろう。百目鬼先輩の話術は、時折知らぬ間に犯人に自爆させていることもあるから恐ろしい。そして常にICレコーダーを持っているから、迂闊な事は喋れない。それは俺も乙茂内も解っている。だから、黙る。


「今朝、最初に割れた花瓶の事を職員室に持ち込んだのは美術部顧問の猪頭先生だ。そして丁度その場にいた鳴子さんが現場に向かった。さて花瓶の状態はどうでした?」

「だから割れて、」

「粉々に? それとも大雑把に?」

「……両方混じったみたいに」

「じゃーキツネさんの推理は正しかった訳だね。台に叩き付けた。台に当たった面だけ細かく割れて、他は大雑把な欠片になった」

「ッ、何なのよあなたたちは!?」

「ねぇナルコレプシーちゃん」


 キツネさんがその涼やかでよく響く声を上げる。


「このクロッキーは、あなたのもの?」


 指さされた絵に向かい、え、と動揺した風な顔を見せて鳴子先輩は、ナルコレプシー扱いされたことに対してだろうか、それともクロッキーを差された所為だろうか。


「私の……ですけど、佐伯先輩」

「あら、キツネさんで良いわよ」

「いや、そう言うのは良くて……何で解ったんですか?」

「んー……そうねえ、女の勘かしらねぇ」


 くすくす笑いながら、キツネさんは鳴子先輩のいるドアの方へと向かう。


「行きましょうか、耳目ちゃん、美女ちゃん、哮太君」


 百目鬼先輩はクロッキーを一枚だけ写真に収めて、俺達は美術室を離れた。


「どんな花瓶だったかって言うと、難しいなあー」


 うーん、と乙茂内がキツネさんの質問に難しい顔をして見せる。


「花柄の、綺麗な花瓶でしたよ。白地にパステルカラーのちょっとリアルな花が散らばってる感じの。でも持った時は軽かったから、そんな上等なものじゃないと思います……プラスチックとかではないけど、陶器ではあるけれど、薄っぺらいって感じの」

「あたしが覚えてる限り、一輪挿しだったように思うねェ。だから水を貯めなくても良いし、薄く作ってるやつだったのかも」

「大きさは?」

「手のひらぐらいだったかな」

「ふぅん。存外小さいのね」


 キツネさんは鼻で息を吐いた。

 それからその長い髪に、きらきらとした爪を通す。

 乙茂内はきょとんとして、小首を傾げた。綺麗な縦ロールになっている髪が揺れて、良い匂いがする。母さんとかに同じシャンプーを使わせても、こんなには香り立たないだろうな。香水ではないだろう。乙茂内の化粧は、肌が傷むからともっぱら雑誌のメイクさん任せだそうだから。そして撮影が終わったらそのまま帰る。そして途中で別の雑誌の読者モデルを頼まれる、らしい。雑誌で見る乙茂内は、きちんとセーラー服を着込んでいる姿しか知らない俺にはちょっと衝撃的だった。恐るべし、着まわせ子一週間。あれ撮るの大変だろうなあ。閑話休題。


「三人とも、今夜は空いてるかしら」

「美女空いてまーす!」

「ヒッヒ、百目鬼空いてまーす」

「食後で良いなら犬吠埼、空いてます」

「それじゃあ、いたずらっ子をとっつかまえましょうか」

「へ?」


 俺達三人は、目を丸くした。

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