第3話

 夜の学校は昼より寒いような気がする。涼しいを通り越して、寒い。G組まで歩く間一組からF組の教室を覗いてみたが、特に変わったことはなかった。さて問題のG組は。とそっと覗いてみると、机の上に椅子を乗せてちょっと不安定に天井裏に手を伸ばしてい女子生徒の姿が見える。俺は乙茂内から預かったよく使い方が解らないスマホを見た。そして、ここを押せば良いからね、と言われていたボタンを押してすぐに消すと――


「ひっ」


 天井裏からすべての携帯の着信音が、鳴り響く。

 驚いて体勢を崩した彼女を何とか受け止める。

 茶色い髪は肩口まで。

 やっぱり犯人は。天里りりすだった。


「あんまり危ないことをするものじゃなくってよ、子リスちゃん?」


 言ったのは俺と一緒に歩いてきたキツネさんだった。

 俺がゆっくり手を外すと、天里は茫然と、床にへたり込む。


「動機が何かなんて知った事ではないけれど、他人の物を盗むのはいけないわ。他の携帯端末は解らないけれど、七組のものを生徒指導室から盗んだのはあなたね。小型化が進んでる携帯電話なんて、四十弱あっても盗むのは簡単でしょう。そしてあなたは何をしようとしたのかしら、子リスちゃん。困る姿が見たかった? 人を怒らせてみたかった? でもあなた、しょっちゅう生徒指導室に呼ばれているんでしょう? 万引きの振りをして大人をからかうのが楽しい。生徒達が困る楽しい姿も、見てみたかったのかしら?」

「う、うるせーよ!」

 天里が震える声で怒鳴る。

「うぜーんだよどいつもこいつもメールだのラインだのって、そんなに人とつるみてーのかよ! 一人でいらんねー奴らなんか困って当然なんだ! 話し合ったりすれば良いのに……口で喋れってんだよ! くっそうぜえ!」

「とある情報筋から聞いたところによると」

 キツネさんは顎に手を当てて、微笑する。

「あなたのケータイを見たことがある人、いないみたいね」

「なッ」

「使わないんじゃなく使えないんでしょう? メールの返事が来ないのが怖いから、ラインで既読スルーされるのが怖いから。高度情報化社会に置いて行かれちゃったのね。でもねえ子リスちゃん」

 キツネさんは笑う。嫌味じゃなく。

「声に出す言葉を大事にするって言うあなたの姿勢、私は嫌いじゃないわ」


 俯く天里にてこてこと近付いて行ったのは、ドアに寄り掛かっていた乙茂内だった。

「出して」

「え?」

「出して、ケータイ」

「それは、天井裏に全部」

「そうじゃなくて、あなたのケータイ!」

 珍しくちょっと苛立った風な乙茂内の声に、びくっと震えて天里はそろそろとスカートのポケットからスマホを出す。結構古いタイプのもので、本当に彼女が誰とも繋がっていなかったのが解った。

 差し出されたスマホを何やら弄りながら、よし、っと乙茂内はにっこり笑う。キツネさんの笑顔がどこか神仏めいているのに対し、乙茂内の笑顔は人を元気付ける力と自信に溢れた笑顔だった。

「ライン繋げたから、これであなたは一人じゃなくなったわ。電話も出来るから孤独でもない。アドレス帳にきっちり入れてあげたからね、美女のも、百目鬼先輩のも。何かあったら百目鬼先輩にメッセージ送れば、訳解んない長文が返って来て面白いわよ」

「え――」

「ほらほら、さっさとケータイ返さなきゃ! 全部の教室の天井裏に隠してるのよね?」

「う、うん」

「じゃあ哮太君が手伝ってくれるから、全部教卓に置いて、さっさと帰りましょ! 多分外涼しくて、気持ち良いんだからっ!」

「待て、俺がやるのか」

「だって哮太君何にもしてないでしょ? りりすちゃん受け止めたぐらい? それに男子の方が身長高いから安全でしょ」

「椅子押さえろよ。ちゃんと押さえろよ。キツネさんもお願いしますよ」

「うーん気が向いたらね」

「ひどっ!」


 廊下に出ると座って無数の携帯電話とにらめっこしている百目鬼先輩とかち合う。

「……それにしても凄いですね、クラス全員の携帯番号覚えてF組から回収した携帯に打ち込んで一斉に鳴らすとか」

「番号は美女ちゃんのサブスマホに入ってたからね、そんなに大変な作業でもなかったよん。それに覚えて打ち込むだけなんて、いかにも私にお誂え向きの作業だ」

「へ?」

 にやりと笑って百目鬼先輩は腕の包帯をずらして見せた。

 そこには何も、書いていなかった。

「支配者たらんとする者は幾つかの良き性質を持った――つまり、思いやりに満ち、信義を重んじ、人間性に溢れ、公明正大で信心にも厚いといった性質を持った人物である必要――は全く無い。いや、かえってそれらの性質を持つ事は有害でさえある。しかし、根源的で重要な事は、その支配者がそれらの良き性質を持っていると人々に思わせておく事である」

 唐突に語られる言葉。

「マキャベリの『君主論』さ。私が秘密を持っていると思わせて書けば、迂闊に手を出してくる奴はいなくなるでしょう? ひひひっ、本当の情報は頭の中にあれば良い。最近同じところで天井が外れかかってる教室が多いとかね。他には例えば美女ちゃんが毎日朝から頑張ってアイプチを」

「どーうーめーきーせーんーぱーいー!?」

 廊下に出て来た乙茂内がじろりと百目鬼先輩を睨みつける。そうか、天然じゃなかったのか。そうだよな、天然だったら可愛すぎる。女子の可愛くなる努力ってのは大変なもんだな。

「もうっ、どこまで入り込んでるんですか、百目鬼ネットワーク!」

「いつかは世界中に、かな! 今はまだ学校とその関係者だけだよ、安心したまえ美少女」

「安心できない! あーもうやっぱプチ整形しようかなあ」

「良いんじゃないのか、別に今のままで。十分可愛いし」

 フォローすると乙茂内がちょっと赤くなる。

「哮太君って時々そうだよね……」

「何が?」

「良いからケータイ取りに行こう! E組からだよ! そんで早く帰ろう!」

 何故か乙茂内に手を引っ張られ、俺はE組の方に向かわされる。

 振り向くとキツネさんと百目鬼が顔を見合わせて笑っていた。

 俺は多分、この部の走狗なのだ。


 次の日からは無くなっていたケータイが見付かって一年は大童だった。これを機に携帯の回収もやめる事になったらしい。無くした時に責任が取れないのでは、と校長と教頭が肝を冷やしていたようだった。そして俺の手にもスマホがある。乙茂内のサブマシンだ。滅多に使わないだろーから、あげる。ただしゲームは禁止、課金も禁止だからね。よく解らないので頷くと、へへっと乙茂内は笑った。それにクラスの男子からちょっとした殺意を向けられた気がするが、多分気のせいだろう。中古の携帯端末貰っただけで恨まれる筋合いもない。

「あれ、天里ちゃんスマホ持ってたんだ?」

「う、うん」

「じゃああたしとライン友達登録しようよ! ライン出来る?」

「うん、古いけどある」

「あ、あたしもあたしも! 天里ちゃん、招待して!」

「こ、こうで良いのかな」

「あは、繋がった! えーと……コマン・タレブ?」

「何語だよ! 何で一言目がそれだよ!」

「あははははっなんかノリで」

「何々、美女もまぜてーっ!」

「そのうち女子会とかしようよ! 確か天里ちゃんち大きかったよね?」

「ご、五人ぐらいなら大丈夫」

「よし会場けってーい! 寝袋は各自持ち込みで!」

「女子会で寝袋かい!」

「ぷっ、あはははははっ」


 天里の笑い声を聞いたのは、初めてだった。


「ねえ犬吠埼」

「なんだー天里」

「あんた達って、何部なの? 佐伯先輩と百目鬼先輩とあんたと美女ちゃんと」


 俺は溜息を吐きながら、その憂鬱な名を出す。


「探偵部」

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