大陸横断列車 ブラックホース 02

「――それで」


 ガタンゴトンと音がする。相変らず、緑色の景色が変わらぬ速さで窓の外を流れていた。黒い列車の半ば程。シルベスターとマリアベルの二人は、そこへ連れて来られていた。


 部屋の雰囲気は、先程の貨物車とうって変わり明るい。一つの車両が、区切られること無く大きな部屋となっていて、窓はその両側全てに嵌め込まれている。窓の傍にはテーブルが並んでおり、それらには綺麗に洗濯された白いテーブルクロスが敷かれている。照明は洒落た金属のフレームで装飾され、部屋の中を温かく照らしている。左右のテーブルの列の間には通路が出来ており、小さな荷台程度なら通れそうな幅だ。壁に掛けられた絵画は、室内に居る人間を楽しませる為のものだろう、車両の調度に合わせた柔らかな油絵がこの部屋のささやかなエッセンスとなっていた。


 ――つまりは、ここは人の集まる事を目的に作られた場所で。

 ――要するに、食堂車なのだった。


 男が口を開く。


「それで、何なんだ、お前等は」


 少女と青年は、並んで一つのテーブルに着かされていた。反対側の辺には最初に飛び込んできたコックらしき金髪の男。そして逃げ道を塞ぐように、オーバーオールを着た煤っぽい男と、対照的に古めかしいフロックコートを身に着けた老年の男が周りを囲んでいた。


「何って、だから無賃乗車に決まってんじゃん、馬鹿コック」


 そう金髪の言葉に応えたのは、先程の女の子。テルシェ、という名前らしい。齢は十か十一位か。少しクセのある髪をポニーテールに纏め、動き易そうな可愛らしい服を着て、通路を挟んだテーブルに座っている。利発そうだが、同時に多少小生意気な女の子のようだった。


「こんな人達乗って無かったもん、決まりでしょ?」

「いや、それは解ってるって。俺が聞きたいのは何で乗ってるかって事でだな……」

「じゃあちゃんとそう言えば良いじゃん、『何なんだ』じゃ伝わらないでしょ」

「あー! もうこまっけえなお前は! 真っ先に飛び込んでやったのは俺だぞ!?」

「それは有難うって言ったじゃんか、細かいのはそっちじゃんこのアゴ!」

「だーっから、このアゴは俺様のダンディさの証でだなあ!」


 二人の事はどこへやら、囂々と言い争いだす女の子とコック。それを、溜息を吐いた老紳士が止める。


「お前達、その位にしておけ。今は本題があるだろう」


 紳士に諌められ、渋々と彼等は口を閉じる。多少、何か言いたげではあったが。

 喧騒が止んだ事を確認し、老夫は次にシルベスター達へと視線を移した。


「悪かったね、君達。先ず、名前を聞いても良いかね?」

「……シルベスター・A・ロンドです」

「マリアベル・ファティマ」


 大人しく二人は答える。


「そうか、私はジューダスだ」


 言って、男は軽く会釈する。見た目通り、紳士的な人物のようだった。


「さて本題だが……何故あのような事を? 少なくとも、子供をあのように扱うのは褒められた行為ではないと思うが?」

「すみません本当……」


 至極当然の叱責に、シルベスターは縮こまるしかない。


「あの時は気が動転していまして……あんな小さな子に手を上げる気は本来なら全く!」


 強く主張するシルベスターを見、オーバーオールの男が頷く。


「まあ、確かにそういう事しそうな面には見えないなぁ。人質に取ったりもしなかったし、旦那、そこは信じても良いんじゃないですか。お嬢も無事だった事だし」

「そうだな。そこは私も同意しよう。ではあとは無賃乗車の件だな」

「それは――……」


 老紳士に促され、シルベスターは言い淀む。

 ――言ってしまって、良いのだろうか。

 機械都市から来て。帝国都市の軍人らしき集団に追われていて。逃亡先としてこの列車を選んで。……明らかに、不審だ。若年の男女が揃って(正確にはマリアベルだけだが)帝国に追われている。それだけなら未だしも、加えて理由も不明と来た。真っ当な人間ならば疑わしいと思うのが自然だろう。


「(言わない方が……良いよな、これは……?)」

「(そうだね、怪しすぎるよね)」


 密やかに、二人は頷き合う。

 仮に彼等が信じたとしても、旅の最中さなかで無用な騒ぎに巻き込まれる事を喜ぶ筈も無い。汽車を下ろされる程度なら良いが、追跡者達に突き出されるような事になれば二人にとって大いに困った事態になる。けれど、この侭黙り続ける事が許されないとも解りきっていて。

 判然としようとしない二人に、ジューダスと名乗った老紳士は溜息を吐く。


「何か事情はありそうだが、黙って居るならこちらもそれなりの対処をするしか無いのだがね」


 そして、視線をオーバーオールの男に遣って――


「――その人達は、帝国に追われているんです」


 ――その時。一同とは別の場所から、声がした。彼等が集まっている食堂車、その片方の扉に、その場に居た全員の視線が振り向く。


「必要なら、事情は私が話します、ミスター・ジューダス」


 静かに響く、。見遣った先に居たその人物に、シルベスターとマリアベルは目を見張る。


 ――それは一対の脚部をと腕を持っていて。

 ――それは光を反射する鋼鉄の体を有していて。


 それは人ならざるもの。けれど人を模し、時に人を越える能力を持つ、科学の叡智を集めた金属の擬似生命、自駆機械オートマタ

 感情の読み難いカメラアイが、頭部の中央で一つ伸縮する。


「お前は……朝、道を訊いてきた」

「高度自駆機械オートマタね」


 青年と少女の呟きに、自駆機械オートマタは電気仕掛けの頭を深く首肯する。


「数刻振りです、御二方。あの時はお世話になりました」

「いや、辿り着けたなら良かったけど……」


 何故ここに、とは聞く事が出来なかった。

 オートマタの出現に驚いたのは二人だけではない。二人を囲む男達や少女もまた、オートマタの言葉にざわめいていた。


「何、お前こいつらと知り合いなのかよ、バレル!」


 シルベスターの言葉を遮って問うたのはコックの男。


「ええ、今朝。機械都市で道を教えて頂いたのです。その後、何者かに追われてこの列車の後部車両に乗り込むのを確認しました」

「成程、浅い知人ながらも事情を知って居るのはその為か」


 オートマタの簡潔な返答に、老紳士は納得したように頷く。けれど、コックは思う所があるらしく、少し唸ってから待ったと声を掛ける。


「……ってーと……お前、こいつらが居たの、知ってた訳……?」

「はい、ミスター」

「ちょっ、オイ、そうなら早く言えよ!?」

「すみません、どう切り出すべきか決められず。矢張り柔軟さの欠損はオートマタの大きな欠点ですね」

「報告くらいしようよ! あたしすごい吃驚びっくりしたんだよ!?」


 オーバーオールの男やテルシェという少女からも突っ込まれるが、オートマタは困った素振りも無く、泰然とした侭彼等の言葉を聞いていた。それらを、シルベスターとマリアベルはぽかんと眺めて。


「あのオートマタ……随分と」

「図太い、だね。あれは」


 確かに、そのオートマタの物言いは機械的であるというよりも、敢えて横着をしていると言った方が正しかった。設計者はどういう意図で彼を作ったのか。精密に設計された聴覚センサーにより二人の小さな会話を聞き取った当人は、そんな事はありませんよ、と嘯いていたが。


「そういう訳で、貴方達が怪しい者でないのは私が保証しましょう。けれど、貴方達がここに居られるかはまた別の話でして」

「無賃だもんね」

「ええ、レディ・テルシェ」


 小さな少女に、オートマタは相槌を打つ。その姿を見て、話題の二人は。


「(……ああ言うって事は、あのオートマタはお金、払ってるんだよね)」

「(……オートマタですら料金払ってるのに俺達って……)」


 若干悲しくなってきたが、ないものはないので仕方がない。微妙に凹んでいる二人に気付いているのかいないのか、オートマタは言葉を続ける。


「なので、そこらの交渉はミスター・ベンジャミンに直接して頂けるかと」

「ベンジャミン?」


 ここでは、まだ初めて耳にする名前だった。きょとんとする二人に、老紳士が口を開く。


「この列車のオーナーだよ。余り表には出て来ないんだが――そろそろ騒ぎが伝わっているだろう」

「え、じゃあ貴方は」


 ――先程から、ずっと取り仕切って居るように見えたのだが。


「私はただの常連だよ。ベンジャミンとは長く親睦があるがね」


 ほら来た、と男が呟く。

 再び、食堂車両内の注目が、別車両へと繋がる扉へと注がれる。そこに、未だ何者かの姿は無い。けれど――その奥からは、重く、硬い、異音。異音がする。それは、直ぐ傍に居るオートマタが立てる金属質の足音に近く、けれどそれよりもっと重厚なもので。


 扉が開く。緩慢と開く。

 そして、ぬうっと、大きな黒い影が、現れた。


「う……わ?」

「……うわ」


 思わず、二人は声を漏らしていた。――扉を潜って現れたのは、この列車の機関部によく似た、真黒な鋼鉄。それは既にそこに居るオートマタと同じ部類のもので、しかしそれよりもずっと大きな体躯を持つもの。


「おじいちゃん!」


 たっと、軽快な足音を立て、少女がその巨躯に抱きつく。漆黒のそれは、見た目に似合わぬ柔らかな動きでそれを抱き止め、優しく撫でる。


「おじい……ちゃん?」

「……シルベスター、この人、自駆機械オートマタじゃない」


 怪訝な顔をするシルベスターに、そうではないと、マリアベルが小さく告げる。

 巨大な鎧と小さな子が戯れる姿。微笑ましくはあるが、普通に考えて、祖父と孫の関係にはとても見えない。けれど。けれど、巨躯の持ち主が完全なる金属製でなければ。


「この人、機械で出来ているけれど……中にちゃんと人間が居るわ」


 マリアベルがそう、呟いて。鎧もまた頷く。


『よく解ったね、お嬢さん。そう、こんな身形だがワタシは人間だよ』


 何かを通すような、篭った声。オートマタの彼とはまた違った声色だった。


『ワタシは体が悪くてね。こうして機械を繋いで補っているのだ。まあ、性能を上げる為、多少やりすぎたきらいもあるがね』

「いや、オーナーのは大半趣味でしょう……」

『うむ。簡潔に言えばそうだが、嘘は言っていない。性能を上げる為ではあるからな』


 オーバーオールの男の突っ込みに、黒鎧は笑って答える。確かに、鎧からはシュコー、シュコーと呼吸音らしきものが聞こえている。生身があるというのは本当らしかった。


『さて。幾らか話は聞いている――ワタシが、この列車のオーナー、ベンジャミン・コールドマンだ。こちらは孫のテルシェ。今は長期休暇中で娘から預かっているのだよ』


 言って、可愛いだろうと遺憾なく爺馬鹿ぶりを見せる黒鎧もといベンジャミン氏。


「ベン、本題を。話はバレルから聞いているのだろう?」

『ああ、そうだった。齢を取ると話が逸れていかんな。乗車の件か』


 老紳士に窘められ、ベンジャミンは、機械で出来た深く青い眼光でシルベスターとマリアベルを見る――いや、違う。その眼はマリアベルに強く向けられている。


『バレルから聞いたのだが、君は機械の心を聞くそうだね』


 ベンジャミンの問いかけに、マリアベルはそうだと頷く。鋼鉄の老人が緩慢と口を開く。その瞳は何処か遠くへと向けられている。眼では見えない、何かへ。


『お嬢さん。貴女には聞こえるだろうか――――「彼」の声が』


 ベンジャミンの言葉が途切れる。その後に声を発する者はいない。車中に響くのは、ガタンゴトンと揺れるこの黒い列車が立てる音のみ。

 けれども。シルベスターが見詰める横で、少女は静かに目を伏せる。規則的に響く重低音、その中に紛れる僅かな声を聞き漏らさないように。


「――ええ、聞こえるわ」


 確かな口調で、マリアベルは応える。


「「彼」の声。ずっと聞こえてる、細波のような、静かな心。懐かしいって、言っている。私の事を。「彼」――この、機関車が」


 ガタンゴトン。ガタンゴトン。鋼鉄の音は変わらず一律な筈なのに――今少し、少女の言葉に車輪を躍らせたように、車両に居る人間達には感じられた。


『――そうか』


 黒い鋼鉄の体躯に埋もれたアイセンサーの光が和らかさを帯びて、ベンジャミンが頷く。


『君が来たのも、何らかの縁かも知れないな。この列車の組員諸君、我々はこの若いカップルの同乗を歓迎しよう。異論のある者は居るかね?』


「ま……所有者アンタがそう言うなら俺は良いけどさ。結局俺ァコックが本業、俺の料理を食ってくれる奴が増えるのは歓迎さ」

「オレも、オーナーが良いって言うなら……あ、でもテルシェ御嬢が……」

「ちょっと、あたしをそんなきょーりょー《狭量》みたいに言わないでよ、あたしだって聞き訳出来ない齢じゃないんだよ。おじいちゃんが良いっていうなら、それで良いって事だもん」


 コック、オーバーオール、孫娘が順に是と答え、最後にベンジャミンの視線は残った紳士・ジューダスへと向けられる。


『キミ達はどう思うかね、我が友ジューダス、バレル』

「ふ……私は客だ。快適な旅が過ごせれば良し。好きにするが良いさ」

「同意。問題ありません、ミスター」

『好し好し。つまり、少なくともこの車両には彼等の同乗を拒む者は居ないという事だ。そして恐らく、この場に居ない者達も同じだろう』

「……ていう事は……」


 シルベスターとマリアベルの二人が顔を輝かせるのを見、乗員達が次々に顔を突き出す。


「俺はバジル。何度も言うが、この列車のキッチンを任されてるコックだ。三度のメシから間食まで、最高の味を保証するぜ!」

「オレはキース、機関士を勤めさせて貰ってる。あまり客車にゃ顔を出さないが、覚えていて貰えると光栄だ」

「あたしはテルシェね。おじいちゃんの汽車でまた何か起こしたら許さないんだから」

「改めて、ジューダスだ。同じ旅客同士、宜しく頼もう」


『ようこそお二方。――我が大陸横断列車、ブラックホースへ』

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