大陸横断列車 ブラックホース 01

 それは安寧の揺り籠。不可侵を体現したくろがねの箱。

 ぐるぐる。ぐるぐる。

 黒い歯車は、今日も廻る――。



 ガタン……ゴトン……。

 ――そこには、空が広がっていた。光の屈折により青く照るそれは、白い雲を幾つか携えて、今日も世界は変わらぬとばかりに悠然と天を覆っている。

 人の匂いは何処にも無く。空気は凛と澄んで生き物を満たし。何もない。静けさを壊すものは、何一つ。


 ――その下、見渡す限り広がる大地の真ん中に、真っ直ぐに伸びる一本のレール以外は。


「……ねえ、シルベスター」

「んー」

「空、綺麗だね」

「んー……」

「これからどうしようか」

「…………」


 機械都市を出て一時間。シルベスターとマリアベルの乗った汽車は都市の西方、遥か広大なる大草原の上を走っていた。次の駅を目指し、もくもくと煙を吐きながら黒い列車は駆ける。景色は飛ぶように流れ、風が強く吹き抜ける。


「アボックさんの事、心配?」


 少女がぽつりと尋ね、


「ん……いや、あの人なら大丈夫だろ、多分」


 そんな遣り取りが交わされた。

 名も知らぬ漆黒の列車。その最後尾車両の一室である。何時までも観覧デッキに居ると寒いので、二人はこっそりと車内に入り込んでいた。躊躇いは在ったが、既に乗り込んで仕舞っているのだから、デッキであろうと車内であろうと変わりはない。多分。


 部屋の中に窓は小さく一つ。大量の木箱が積まれている事から、恐らく貨物車両なのだろう。マリアベルはちょこんと木箱の上に座り、シルベスターは床に直接尻を付け、壁に背を預けている。


「それで、どうしようね、私のお星様ティンクルスター


 窓の外を眺めながら、マリアベルが言う。車外に流れてゆく景色は、機械都市から出た事のない彼等にとって目新しいものだ。二人とも写真等で知識自体はあったが、やはり実際に始めてこの緑の海原を見ると、その広大さに圧倒されざるを得ない。


「うーん……まさかこんなに早く外に出る事になるとは」

「しかもタダでね」

「貯金下ろす暇なかったからなあ。いや券を買う隙すら無かったけど。……ふふ、もういっそ、この侭無賃繰り返して鉄道を乗り継ぐとかどうでしょう」

「じゃあ、私は歌でも詠むね?」


 マリアベルの返事に少し笑って、シルベスターはポケットから財布を取り出し、その中身を確認した。一番安いお札が二枚。小銭が少々に、あとは役に立たないカードが諸々。


 小さな室内に、静寂が落ちる。……あの状況下からすれば当然ではあるが。まるで鉄道に乗る時の準備ではなかった。


「大丈夫。俺の身を売ってでもマリィの食費は手に入れるから!」

「有難う、気持ちだけ受け取っておくね」


 ここで頷くと、この青年は本気でそれをやりかねないという事を少女は良く知っていたから、そう答えた。


「それよりね、今はもっと差し迫った事があると思う」


 少し神妙な顔でマリアベルが言うと、シルベスターも心当たりがあったようで、ああ、と頷く。二人とも今はほぼ身一つの状態。足りない物は多くあり、急ぎ必要な物すら用意する手立てが限られている。シルベスターが呟く。


「そうだよなぁ……取り敢えず……金よりも、当面の問題は」


 ぐきゅるー……と、間の抜けた音がした。発生源は敢えて追求しないが、その意味するところは一つ。二人は顔を見合わせて、


「「お腹が減った事」」


 そう、協和した。

 ぐきゅるるるー……。

 今度は少し長めに、その生理現象は響いた。致し方ない事である。少女も青年も、朝食を取る前にアボックの店へ向かったのだ、仕事の報酬に朝のパンを貰えると期待して。けれど、何の因果か軍人に追われる羽目になり、ささやかな朝食を取る暇などなく――今はこうして通りがかりの汽車の、人の居ない車両に乗っている。


「……何だったんだろうね、あの人達」


 少女が呟く。何気ないようで、その口調にはほんの少し不安の色が浮かんでいる事が、青年には解る。


「帝国、って言ってたな。あんな遠い国から、政府も通さず態々ってのは可笑しいよなぁ……」


 ――帝国。正しくは帝国都市エンパイアシティ。この大陸の北方、山地に囲まれた厳しい土地に佇む巨大都市メトロポリス、それが帝国都市である。恵まれぬ土地柄、非常に団結と戒律に優れた街で、機械技術の発達に因って生活が安定した今も、優秀な自衛軍を持つと言う。


 ――自衛。そう、決してあの都市の軍備は、他を侵略する類のものではなかった筈だ。多くの鉄道が交わり、他国のゴシップにも事欠かない機械都市ですら、帝国都市が何処かの土地を侵略した等聞き及んだ事はない。一体、何が彼等を駆り立てて居るのか、シルベスターにはとんと思い浮かばなかった。


「……マリィ、何か悪い事したか?」

「悪い事をしてないとは言わないけど、帝国の人に迷惑を掛けた覚えはないかな」

「だよなぁー」


 マリアベル当人にも解らないのだ、お手上げとしか言いようがなかった。現状では推察するにも情報が足りなさ過ぎる。何故、何の目的で。逃げながらでも聞いておけば良かったかも知れない。

 ぐぎゅるる、と三度目の音。そろそろ二人の空腹感も酷くなってきていた。少しの後、何かを決意したようにシルベスターは立ち上がり、そろそろと扉に向かい出す。


「シルベスター?」


 どうしたの、と尋ねるマリアベルに、シルベスターは自分の口元に指を添え、静かにするよう合図する。


「しーっ、マリィ、直ぐ戻るから」

「……食料、盗りに行くの?」

「!」


 マリアベルがそう言った途端、まるで言葉にすると事が全て露見してしまうと言わんばかりに、シルベスターはより強く『静かにしーっ』の合図を繰り返した。

 成程、街から街へと移動する汽車の中だ。二人が居るのが貨物車両でなくとも何処いずこかに食べ物があるだろう事は想像に難くない。食料を探そうという考えは理に適っているが――。


「……私は気にしないけど。シルベスターは良いの? 泥棒なんて」

「良くはないが……マリィが餓死するのを見る位なら窃盗くらい容易い事……!」


 ぐっと力を込めるシルベスターの手には熱が篭っている。マリアベルは少し首を傾げて彼を見る。


「先走り過ぎだと思うけど。でも、シルベスターの気持ちは嬉しいから止めないわ。私はこの積荷のテーブルクロスでも広げて待ってるね」

「いや待ってマリアベルさん、流石に自宅気分はどうかな?」

「シルベスター。……例えば、捨て猫を一匹拾ったなら、それが二匹になっても同じ事だと思うの」

「ダメー! 新品のビニール袋を無断開封するのはそれだけで猫三匹分に相当します!」

「一足す三は四……そうだね、四匹は飼えないね……」


 青年に説得され、マリアベルは漸く、とても残念そうに新品のテーブルクロスを元の箱に戻した。……視線が名残惜しげだが、それには気付かないようにして、シルベスターは廊下への扉に手を掛けた。


「じゃあマリィ、若し何かあったら直ぐ呼んで」

「うん、いってらっしゃい」


 ひらひらと手を振る少女に見送られ、青年はゆっくりと、慎重に扉を横へ引き。

 ――そこには、小さな女の子が立っていた。


「え」


 思わぬ出来事にシルベスターの動きが止まる。それは女の子も同じだったようで、掴む所を失った手を宙に浮かせた侭(恐らく取っ手に触れようとした所で扉が開いたのだ)、ぽかんとその幼い瞳を見開いて居る。


 ――どうしよう。


 硬直した侭、シルベスターの頭はぐるぐる回っていた。相手は子供とはいえ、貨物室から出てきた人間を怪しいと思わない訳が無い。この侭行けば確実に責任者に事が伝わり、二人はお縄になるだろう。いや、自分は良い。けれどマリアベルだけは守らなくては。――何か。何か、上手く言い逃れなければ――。


 恐る恐ると、シルベスターの視線が下がる。緊張から飲み込んだ唾液で咽喉が鳴る。それから、ゆっくりと口を開こうとして。

 ぴたりと、その女の子と目があった。


「――――っ、おじいちゃ――んっ! 無賃乗車ーっ!」


 先に声を発したのは、女の子の方であった。大きな声。間違いなく誰かに聞こえただろう。


「まっ、ごめんキミちょっと静かにッ!」


 慌ててシルベスターが抑え込むが、明らかに手遅れだった。いや寧ろ――


「ねえ、その侭口を塞いだりすると変質者にしか見えないと思うよ」

「しまったあ! マリィー! 俺と代わってくれー!」

「私がやってもやっぱり犯罪者なんだけどね。幼児虐待?」

「あああそれは駄目だマリィにそんな汚名は着せられない!」


 正に八方塞。そんな事をしている間に車両の接続部からはドタバタと音が聞こえてきていた。ガタン! と勢い良くドアが開く。先ず飛び込んで来たのはコック姿の金髪の男で、その後ろからも幾人か男が現れる。


「オイッ、何があったテルシェ!?」

「何だアンタらは! その子を放せ!」

「いやはや……昨今の若者の乱れは嘆かわしいな」


 各々手を構え、武器を構え、男達はじりじりと、女の子を抱えたシルベスターへと近付いて行く。


「違ッ、そうじゃないんですー!」

 幾ら叫ぼうが、男が小さな子供をはがい締めにした状態で誰がそんな事を信じるのか。不器用な弁解も空しく、二人は敢え無く御用となった。

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