春の夜にこの歌を

第21話

 土曜の昼過ぎに、貫行達は、校庭に集まっていた。

 私服で学校に来るというのは、不思議な気分だ。ただ、貫行の場合はスパッツに短パン、それからジャージジャケットを羽織っており、いつものサイクリングの格好なので、あまり気にならないが。

 他の女子勢は、いささか違和感がある。

 泉美は、七分丈のデニムパンツに、横縞のチュニック、そして桜色のカーディガンを羽織っている。今から桜を見に行くのに、桜色というのは、いかがなものかと貫行は内心思った。

 千秋は、黒地のタイトなパンツルックに、無地の白いブラウスと淡白なもの。あまりおしゃれに興味はなさそうだが、そのスタイルの良さのせいで、マネキンが歩いているかのようだ。長い黒髪は一つに結んであり、どことなく大人な印象を感じさせた。

 そして、白妙は、ワインレッドのフレアスカートに、淡いベージュのニットのセーターを合わせていた。黒い小さめのハットを被っており、意外とおしゃれが好きそうだった。

 さて、三人のファッションチェックができるほど、貫行に知識はない。

 彼が気にしていたのは、一つ。

「おまえら、自転車乗る気ないな」

「「「え?」」」

 女子三人は、きょとんとした顔で貫行の方を見た。

「私は、動ける格好できましたよ?」

 泉美がチュニックの端を持ち上げてみせた。

 たしかに及第点をあげるとすれば、泉美かもしれない。だが、そんなヒラヒラの服で自転車に乗ったら、どこかに引っ掛けて危ないし、周りの人にも迷惑だ。

「千秋は、いつもこんなかんじだけど」

 一見、千秋も動ける格好のようだが、彼女はサンダルを履いている。ママチャリに乗るんじゃないんだから、サンダルはない。

「はぁ、帰りたい」

 白妙に限っては、やる気がない。今から河川敷にいくというのに、ショッピングにでも繰り出すかのような格好である。

 貫行は、珍しく盛大に溜息をつく。

「あのね、自転車って、ママチャリじゃないんだよ。そんな普段着じゃ、怪我するから」

 慣れてくれば、そうでもないが、初心者にはお勧めしない。

 かるいスポーツをするつもりでいた方がいい。

 その難しさが伝わっていないようで、貫行の忠告を聞いてもなお、彼女達は、まだきょとんとした顔をしている。

 これは、一度体験してみた方が早いな。

 貫行は、あらかじめ用意しておいた三台の自転車を提示した。ちょうど、潮崎先輩に会ったので、その際に頼んでおいたのだ。

 一年生が使うような古いフレームを、三台用意してもらった。かなり傷んでいたので、昨日の夜に、ハケや布で磨いてから、簡単にワックスをかけた。そういう作業が、貫行は嫌いではない。自転車に乗るよりも、こうやってメンテナンスする方が好きなのではないかとすら思う。

 チェーンの手直しや、タイヤの用意などをして、ここに乗れる自転車を三台用意したのだ。

「へぇ、格好いい」

 貫行の紹介で、泉美が好印象を示した。

 同様に千秋も興味深々といったふうに、自転車に近寄っていく。まるで、動物園でペンギンでも見るかのように、少し距離をおいて自転車の周りをまわっている。

 年季の入ったフレームは、クロモリだからいささか重厚感があるけれども、まだまだ使える。揃えて買ったのだろう、二台は同じ青い丸みの帯びたフレームで、かわいらしい。一方でもう一台は、白のスタイリッシュな形状だ。

 二人は、青の方が気に入ったようで、おっかなびっくりにサドルを触っていた。

「これ、貸してくれるんですか?」

 泉美の問に、貫行は首肯した。

「自転車部にコネがあって、今日一日貸してもらったんだ」

「なるほど、貫行くん、なかなかやるね」

 千秋が、自転車に目を向けたまま、告げた。

 はじめは自転車など、と思っていたに違いないが、ここに来て、彼女達にも興味が沸いてきたようだ。

 ふむふむいいことだ。

 しかしながら。

「でも、これ、サドル高くないですか?」

 ついに、泉美は気づいた。

「男子用ですよね、これ? 私、サドル一番下まで下げても足着かないんですけど」

「泉美ちゃんは、おちびちゃんだからね」

「ちびじゃありません!」

 千秋のいじりに、泉美は性懲りもなく応じる。

 なんとなく、このくだりもお決まりになってきた気がする。

「いや、まだ高さは合わせていないんだけど、そもそも足は着かないものなんだ」

「え? それじゃ、どうやって乗るんですか?」

「そりゃ、えい、ってかんじで」

「……どうやって、降りるんですか?」

「そりゃ、ひょい、ってかんじで」

「……先輩」

 泉美が呆れた顔を見せるが、口で説明するのはそもそも難しい。そこで、貫行は自らの自転車に手をかけて、実際にやってみせた。ひょいとフレームにまたがり、片足をペダルにかける。そのまま、ペダルを踏み台にして、サドルに腰を乗せる。

 最後にもう片方の足をペダルにかければ、完了だ。

 緩やかにペダルを回して、しばらく走ってみせたところ、なぜか拍手が起こった。

「すごーい。紀本先輩、本当に自転車乗れたんですね」

 どういう意味だ。

「誰にでも特技はあるものだね」

 だから、どういう意味だ。

「別に、普通じゃん」

「ほ、ほう」

 澄まし顔の白妙に対して、貫行は目を細めた。

「じゃ、白妙」

「呼び捨てにしないで」

 怒る白妙の前で、貫行は自転車をおりた。

「やってみてよ」

「ふん。何で私が」

 白妙はそっぽを向くので、貫行は、わざわざ鼻で笑ってみせた。

「口ばっかりか」

「……!」

 白妙は、ぎろっと睨みつけてきた。あからさまな挑発であったが、白妙にはよく効くようだ。さらに、もう一人がにやにやと加勢してくる。

「まぁ、白妙ちゃんは、そういうところがあるからな」

「あんたに言われたくないのよ!」

 千秋の口撃の方が効果的だった。

「たかだか自転車じゃないの。おおげさなのよ」

 もう少し煽り耐性をつけた方がいいと思われる白妙は、つかつかと歩き、自転車の一台ひっつかんだ。

 掴んでみて、その軽さに驚いたようだった。クロモリといっても、その辺のママチャリとは比べ物にならないほどかるい。だからこそ、操作しづらく、扱いやすいのだけれど。

 白妙は、そんな難しさを跳ね除けようと意気込んで、ペダルに足をかけた。

 まるでママチャリの要領で。

 そこから、片足を跳ね上げてサドルに跨がろうとしているらしいが、その乗り方は、かなり危なっかしい。怪我をされては困ると貫行は、補助に入る準備をした。

「えい!」

 白妙は地を蹴って足を後ろにまわした。

 だが。

「きゃっ!」

 案の定、白妙はバランスを崩した。サドルの位置が高い分、座るまでの時間が長い。その間、不安定な状態を保つのは、至難の業だ。

 予想していた貫行だけが、すぐさま動いた。

 白妙の腰を抱えて、もう片方の手でハンドルをもつ。思いきりはよかったようで、サドルに体重が一部乗っている。そのおかげで、貫行にも支えることができたのだが。

「ちょっと! 触らないでよ!」

「うるさい。暴れるな」

 乗者にバランスをとる意思がなければ、その均衡も終わる。

 つまり、


「「うわっ!」」


 普通に転倒した。

「ちょっと、触らないで! もう! 触んな!」

「だったら、早く退けよ!」

 貫行の上で、じたばたと騒ぐ白妙は、キャンキャン吠えてから、やっとのことで降りてくれた。

「何なのよ、これ! こんな危ない乗り物、ありえない!」

 洋服の埃を払いながら、愚痴る白妙を、ぶぷと千秋が笑った。

「ほら、見なよ。やっぱり、口ばっかりじゃないかい」

「うっさい! じゃ、あんたがやってみなさいよ!」

 言われて千秋は、自転車に手をかける。

「さっき、貫行くんがやっていたのを見ていなかったのかい? こういうのは、ちゃんと成功例を見て学ぶこと。そこを省くの愚か者のすることさ」

 千秋はにやにやと笑いながら、ハンドルを握った。

「まずは自転車を正しく立て、すぐに乗り込むのではなく、まずは、こう、跨ぐ。サドルに乗るのではなく、その少し前に立つんだ。それから、片足をペダルに乗せる」

 足が長い分、なかなか様になっている。

 千秋は、一息ついてから、「そして」と続けた。

「サドルにお尻を乗せる!」

 手順は正しい。

 これならばいけるか、と、貫行は、残念ながら思わなかった。

 千秋には、乗車手順以外の問題があった。

 体に力が入り過ぎだ。ハンドルにしがみつくように背中を丸め、ガタガタと足を震わせている。

 そのような状態では、


「きゃっ!」


 倒れる。

 再度、予想していた貫行は、助けに向かったのだが、


「重っ!」


「失礼な!」


 タイミングが遅く既に倒れかけた千秋を持ち上げるだけの力を、貫行は持ち合わせておらず、


「「うわっ!」」


 デジャブのごとく、倒れ込むのだった。

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