まだ少年の姿はない

「そう聞いてよ、あいつ、機械いじりが好きでさ~」


 知ったことではない、と私は思った。


 田舎の、動きが鈍い電車の中だった。トタタン、トタタンとリズミカルな音が響いている。横向き座席で向かい合い、私と、成瀬なるせまいは雑談を交わしていた。といっても、他人の話に興味のない私は時折頷くだけだったのだが。


「おじいちゃんがインチキ発明家だとかで、機械に馴染んでたみたいなんだけどさ。敬太けいたって家の中のいろんなものを電動にしてるらしいよ。やばくない?」

「やばいな」

「そんであいつバカだから、電動モーターの出力をものすごいことにしたらものすごくなる! って考えるわけ。で、この前なんか失敗して、自分の工作部屋から黒い煤だらけになって出てきたの! ウケる!」

「そうか」

「やばかったなー。あの後『俺は悪くない、環境が悪いんだ、いつかこんな村を飛び出してやる』とか言ってて……」

「……」

「…………あいつより先に、わたしが飛び出しちゃうとはね……」


 舞が一瞬、泣きそうな顔をした。

 先程、敬太という少年と駅で別れた時のことを思い出しているのだろう。


「……東京って、どんな場所なのかなあ? しぃちゃんは東京の学校にいてどうだった? やっぱり空気不味いの?」

「空気の違いはわからないが。こことは違って、草いきれを嗅ぐ機会が少ない」

「へえ~。それはちょっといいかも。草って普通に臭いし。でも……喋り方がしぃちゃんみたいに厳めしくなったら嫌だな~」

「厳めしくて悪かったな」

「あははは」


 舞は声を立てて笑う。私は本当に済まないと思って、悪かったと謝ったのだが。それはともかくとして、舞の笑いは、乾いていた。

 無理をしている。

 そんな笑い。


 だからといって、私が気にすることでもない。


「……ねぇ、しぃちゃん」

「何だ」

「これは、しぃちゃんだから言えることなんだけど……」


 怪訝に思う。私は素っ気ないとして多くの者に遠ざけられる一方、どうしたことか、一部の者には信頼を置かれることがあった。別に信頼されて困ることはないので捨て置いているが、なぜ、とは思う。この前、舞自身に訊いてみたところ、「そういうところだよ」と返された。わからない。


「その……ね? なんというか……ええと……」


 何を迷っているのか、舞は指先をもじもじと絡ませている。特に興味はないので、私は視線を舞から車窓へと移した。

 流れる景色は、ひどく遅い。水田が空の青を反射して、ガラスのように輝いている。 


「その……しぃちゃんは、アイカミサマって知ってる?」


 質問が唐突にも思えて、私は舞の方を向いた。


「アイカミサマ?」

「うん。ここらへんの土地に伝わる神様なんだけど。縁結びの神だとか、愛の女神だとか、いろいろ言われてるの。……それで、その神様は、運命の赤い糸を作り出せる神様なんだって。しぃちゃんは東京育ちだから知らないか……」


 正確には違うな、と私は思った。

 運命の赤い糸ともいえる〝えにし〟は確かに存在する。だがそれを作り出すのはアイカミではなく、人である。

 人と人とが触れ合い、愛し合い、遂に結ばれる一歩手前まで来ると、赤い紐状のものが双方の小指に現れる。アイカミでなければ見ることのできないその糸は、最初は小指に絡まっているだけだ。それを伸ばし、繋げるのがアイカミである。アイカミは、赤い糸が現れなければ何もできない。その代わり、糸が現れさえすればそれを繋げることができる。そして、赤い縁で繋がれた者は、真実の愛で結ばれることが約束される。


「わたし……そのアイカミサマに、お願いをしてきたの。はは、もう高校生なのにね。こんなの信じてるなんて、小学生みたい。……でも、わたし、縋るしかなかった。アイカミサマの、縁結びの力に……」


 誤解があったが、訂正する気にもなれず、私は「そうか」とだけ返す。アイカミには、縁結びの力があるわけではない。育ち切った縁が固く結ばれるよう手助けするだけだ。結局、良き縁を育て、実らせるのは、当人たちの力なのだ。


「さっき、敬太と駅でお別れしたでしょ?」

「したな」

「わたし、ちっちゃい頃……あいつと結婚する約束、を、してた、ことが……あって」

「そうか」

「その頃からずっと、わたし……」


 舞が顔を歪める。今にも泣き出しそうに見えた。胸に手を当てて、服をぎゅっと掴んでいる。

 私は黙ったまま、再び窓の外へ視線を移した。晴れ渡る空が眩しい。


「わたし……どうして、言えなかったんだろう」


 明るい陽射しが、かえって舞の俯いた顔に濃い影をつくる。


「あんなに固く決心したのに。こんなに強く想ってるのに。どうして、素直になれなかったんだろう。そりゃあ、あいつはなんというか、不器用で、要領悪くて、気づいてくれないバカだけどさ。……でも。伝えさえすればちゃんと目を見て返事をくれる。それだけは、確かだったのに」


 両手で胸を押さえ、震えている舞。

 私はハッとした。

 見間違いかとも思ったがそうではない。

 舞の小指に、赤い糸が現れかけている。


 疑問が浮かんだ。何故、糸が? 愛で結ばれる一歩手前にならなければ、それは発現しないはず。

 アイカミである私の予想では、この糸は敬太にも現れているだろう。これまでの観察では、舞と敬太が結ばれる可能性はかなり高かった。しかし舞と敬太の間に何らかのきっかけがなければ、糸は現れないし、私が糸同士を繋げることもできない。


「会いたいよ……敬くん……」


 舞が絞り出すように呟く。

 糸が一段と赤さを増す。

 私はそこで、理解した。


 敬太少年は、ここへ来る。


 彼は家の物を電動にしているのだと舞が言っていた。ならば、自転車を電動で動かし、猛スピードでこの遅い電車に追いついてくる可能性もあるのではないか。


 私は想像する。無我夢中で自転車をこぐ少年の姿。草むらを抜けて、しがらみを越えて、愛する少女に会いに来る。きっとその時、少女は顔をくしゃくしゃにして、開けた窓から叫ぶのだろう。言えなかった、あの言葉を。


 私は自分の口角が上がっていることに気づく。

 興味はないと思っていたが、これからの出来事については、見届けたいような気がしていた。

 窓の外で流れる景色に、まだ少年の姿はない。

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