第33話 矜持

藤木を乗せる前に馬のくせを掴むといって、忠興は白竜を走らせにいった。強面は白竜に嫌われるそうでござります、と真面目に注進した秀次は拳骨をもらった。藤木はそのまま部屋には戻らず、館の門まで見渡せる廊下に立ってぼんやりと外を眺める。穏やかなよい天気だ。緑の松林の向こうから潮騒が聞こえる。心地よい海風が時折藤木の髪を揺らした。ふと、後ろに人の立つ気配を感じる。


「国明…?」


庭を眺めたまま問うと、肩に手が置かれた。大きな温かい手だ。


「いい人だね…小和賀の殿様…」


国明は何も答えず、藤木の両肩を抱くようにして立つ。藤木はその手に体を預けた。


「動くなと言ったよ、雅兼さんは」

「あぁ」


国明がただそれだけ言う。藤木は国明の反応の薄さに苛立った。


「わざわざ知らせに来てくれたんだよ。和田が蜂起するって、蜂起させられるって知らせてくれたんだ。生き残る道はここから動かないことだって…」

「確かに雅兼殿は心根の真っ直ぐな気持ちよい御仁だな。父上が常々誉めておられるがその通りだ」

「だからっ」


藤木は身を捩って国明の手を払った。きっと睨み据える。


「名を惜しむより大事なものがあるって雅兼さんも言ったじゃない。自分の名誉のために死ぬ気なのっ」

「おれは死なぬ」

「そんなのっ」

「死なぬ」

「国明っ」


思わず激昂しそうになった藤木は、門の所から五、六人の郎党達が駆けてくる姿を認めて口をつぐんだ。互いに大声でなにやら騒ぎながらこちらへやってくる。


「殿ーっ、御渡り様ーっ」


無邪気に呼びかけてくる郎党達の年の頃は藤木と同じか少し下くらいだ。緑色の固まりを抱えている。藤木と国明の立つ渡り廊下の下に来ると膝をついた。


「御渡り様にこれを」


一番年かさと思われる郎党が緑色の固まりを藤木に差し出した。足が汚れるのもかまわず、藤木はすとん、と地面に降り立つ。膝をついていた郎党達はどよ、と狼狽えたが、藤木はにっこり笑った。


「僕に?」


それは柔らかい葉をつけた枝だった。


「花筏か」


やはり素足のまま下に降りた国明が言った。


「はないかだ?」

「それ、葉の上に小さな花がついているだろう。筏に乗っているようだから、花筏だ」


母上が好きだった、と国明が言うと、若い郎党達が嬉しそうにどよめいた。


「那須殿にうかがって、その花を取りに行き申した」

「小和賀様だけによい格好はさせぬわなぁ」

「そうじゃ、御渡り様は榎本の神様じゃい」

「花でも何でも、我らがお贈り申しあげるんじゃ、なぁ、殿、そうでござりましょう?」


口々に言い立てるのを国明は苦笑いしながら聞いた。


「ありがとう。嬉しいよ」


花筏を受け取って微笑む藤木に、郎党達は嬉しくて頬を紅潮させる。


「ほらみぃ、御渡り様は喜んでくだされたじゃろう?おれの言ったとおりだ」


一人の郎党が仲間に向かって胸をはる。この中で一番若い。まだ中学一年生くらいではないだろうか。藤木はその顔を知っていた。秀次について、藤木の身の回りのことをやる郎党だ。少し前には、ミルクキャンディを食べさせたこともある。


「うぬが何を偉そうに。烏丸めが」

「祐則という名をもう頂いておるっ。烏丸と言うなっ」

「したがまだ元服の儀をしておらぬではないか」

「ええい、殿が吉日を選んで烏帽子親になってくだされると約束してくだされたわっ」


年上の郎党達にからかわれて、烏丸とよばれた郎党は真っ赤になった。国明がため息をついて宥めにかかる。


「五月の吉日を選んで元服の儀をとりおこなってやる。心配いたすな」


赤くなった烏丸の肩をたたきつつ、他の郎党達を諫めた。


「おぬしらもそう烏丸をからかうな」

「あーっ、殿も烏丸と言うたっ」

「わかった、『すけのり』だったな、祐則」


国明の言葉に年上の郎党達が、すけのりじゃ、すけのりすけのり、と名前を連呼しはじめる。笑い合う郎党達や国明を眺めていた藤木は、突然胸が詰まった。五月の吉日、そんなものは永遠に来ない。明日には皆、死地へ赴くのだ。この若い郎党達も国明も皆死ぬ。死んでしまう。


そして僕も…


この場で泣き叫びたかった。何故国明は、五月の吉日なんて気休めをいうのか。


嘘つき、嘘つき。


そう詰まりたかった。胸が潰れそうだ。藤木は花筏の束を抱きしめる。


国明の嘘つき…


「ね、この花筏、僕の部屋に飾ってくれるかな」


だが、藤木の口をついて出た言葉は穏やかなものだった。


「花入れは祐則のまかせるよ。僕の円座の側に飾って」


名前を呼ばれた祐則は、先程とは別の意味で真っ赤になった。差し出された藤木の手から花筏を受け取る。


「ぎょっ御意っ」

「うん、みんな、ありがとう。本当に嬉しいよ」


藤木に微笑まれて、郎党達は心底嬉しそうな顔をした。一礼してやってきたときと同様、わいわい騒ぎながら上がり口へ向かう。さぞかし気合いをいれて花を飾ることだろう。その後ろ姿を見送りながら、藤木はとうとう堪えきれずに涙を零した。


「藤…」

「なんで…」


肩が震える。


「なんでだよ、国明…」


そっとその肩を抱かれた。嗚咽が漏れそうになる。


「おれは死なぬ」


耳元に囁かれる言葉のなんと残酷なことか。


「おぬしも死なせぬ」

「…嘘つきだ、国明は…」


藤木はぐいっとジャージの袖で涙を拭った。猶予は今日一日だけ。明日には歴史が動く。ぎっと藤木は国明を睨みあげた。


「絶対行かせるもんか」


国明の目は揺るがない。


「行かせない。僕は諦めないからね」


この時代の者ではない自分だからこそ、何かを変えられるかもしれない。その想いだけが一縷の希望だった。





為す術もなく時は流れる。穏やかな日常の顔をして、最後の一日が過ぎていく。

藤木は焦れていた。口が裂けても国明以外の人間にこの話はできない。和田の蜂起と榎本の滅亡、そんな話をしたら、館中がパニックになってしまう。もしかしたら、それが引き金になって最悪の事態を招くかもしれない。


「気だての良い馬でござります。走りっぷりもなかなかで、流石は小和賀と申すところですかな」


上機嫌で忠興は白竜の口綱をとっていた。砂浜で藤木は小和賀雅兼の贈った白馬に乗っている。一走りしてきた忠興が、昼食を取り終えたばかりの藤木を、稽古 に誘ったのだ。かぽかぽと波打ち際に馬を進めながら、藤木は馬の轡をとる忠興を見つめた。武骨な忠興こそが典型的な板東武者の姿かもしれない、ふとそう 思った藤木は、ぽそりと口を開いた。


「ねぇ、忠興」

「なんでござりまするかぁ」


海風に忠興の声が流れる。打ち寄せる波が日の光りをはじいていた。


「もし、忠興の大事な人や忠興の命がかかっているとして、卑怯者って呼ばれて助かるのと、名誉を守って死ぬのとどっちを取る?」

「あぁ~?いかがなされました、御渡り様」


忠興が黒々とした目を瞬かせて藤木を見上げた。藤木は曖昧に笑う。


「あ、ちょっと、雅兼さんがそういうこと言ってたから。自分は名前を捨ててもいいって」

「そうでござりますなぁ」


忠興は少し考える仕草をすると、はっきりと言った。


「それがし、名前のほうを捨てるやもしれませぬなぁ」


藤木はぱっと顔を明るくした。


「それじゃ…」

「したが、殿や雅兼殿のように、一族の当主となるとそうもいきますまいなぁ。雅兼殿が言われたのも、そうあれたらよいという願いでござりましょう」


藤木は忠興の言葉に呆然とした。何故、忠興は名を捨てられるというのに、当主だとだめなのか。顔を強ばらせる藤木には気づかず、忠興は呑気にしゃべり続けた。


「当主が卑怯者のそしりを受けるということは、一族郎党がすべて、卑怯者の汚名を着ることになりまする。そういうところは、遅かれ早かれ潰されるものでご ざりましょうよ。ならば、当主は名を守らねばなりますまい。卑怯者とそしられては生きる場所がござりませぬが、あっぱれ、さすがは板東武者よと讃えられれ ば、生き残った者達の活路が開けまする」


当主とは難儀なものでござりますなぁ、という忠興の言葉を藤木は身の凍る思いで聞いた。


当主だから?だから国明は、死ぬとわかっている和田の蜂起に駆けつけるのか。榎本の名誉を守るために、残った者達を生かすために。


「全滅したらなんにもならないじゃないか…」


藤木は小さく独り言ちた。


「全滅するんだよ…国明…」

「あぁ?何ぞ仰せられましたかぁ」


無邪気に見上げてくる忠興に、藤木は微笑みを返した。


「ううん、なんでもない」


海風にあおられて髪が乱れ散る。白竜がぶるりと鼻を鳴らした。


「御渡り様、もそっと早足にしてみましょうな」


忠興は馬をかえすと、小走りになった。白竜が忠興にあわせて足を速める。藤木は海風を全身に受け止めた。濃い緑色の松林の上には、初夏の空が広がっている。潮の香り、波の音、真っ青な空、馬の背に揺られ、藤木はこの瞬間の永遠を願った。








いつものように日が暮れ、夕餉や湯浴みをすませる。いつもと変わらぬ穏やかな夜だ。

白い寝間着に着替えた藤木は、横になる気になれず、真綿入りの夜着の上に座っていた。かたり、と音がして、やはり白い寝間着に着替えた国明が入ってきた。今夜は国明も湯を使ったのだ。

国明は黙ったまま藤木の側に座ると、後ろから抱きしめてきた。藤木はされるがまま、国明の腕に体をあずける。何も言わなかった。いや、言えなかった。胸は 切り裂かれるように痛み、ぐるぐると色んなことが渦巻いている。だが、もう言葉にすることが出来ない。丸みを帯びた半月が青白い光りを板の間に投げかけて いた。そろりと夜風が床を這ってくる。ふるり、と藤木は震えた。国明の腕に力が込められる。ぽつっと耳元で呟かれた。


「おぬしを死なせたりはせぬ」


大丈夫だ、藤…


首筋に顔を埋めて国明が囁く。いつもの言葉、いつもなら藤木を安心させてくれる国明の言葉。泣きそうになるのを必死で堪え、藤木は国明の腕に手を重ねた。めそめそして終わりたくない。藤木はまだ諦めていないのだ。


「好きだよ、国明…」


きゅっと重ねた手を握る。


「君だけが好き…」

「藤…」


ゆっくりと国明が藤木を横たえる。それからきつく抱きしめてきた。


「…おれはおぬしのものだ…」


部屋に射し込む月明かりが抱きしめ合う二人の影を青白く浮かび上がらせる。しずかに夜は更けていった。



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