第二十一節 ナイドルの試練 一

「無様だとは、思わないが」


 ユアンは、まったく迷いなく言った。デネボラは驚きつつも自嘲の笑みを浮かべる。


「キミがそう言ってくれても、ボクはボクを無様だと感じるよ」

「なぜ」

「学園に在籍したいなら、一番であり続ける。それがパパとの約束だった。一年生の間は、不安なんてなかった。だけど今年度の入学式でキミの祝詞を聞いてからは、毎日不安だった」


 半年前、ユアンがレグルスのために、新入生代表としての祝詞をそらんじてくれたとき、レグルスはユアンを天才だと確信した。きっとユアンのことだから、一年前――本番の入学式のときは念入りに準備して臨んだのだろう。その出来栄えがどうだったかレグルスには知る由もないが、デネボラが危機感を覚えるほどなのだから、素晴らしかったに違いない。


 ユアンは単刀直入に尋ねる。

「一番とは、具体的にはどういうことなんだ。学年もアステラも違うあなたと俺とでは、成績を競うことはできない」

「誰の目から見てもボクが一番優れている、ということだよ」

「誰の目から見ても、とは、を指しているんだ」

「……キミって案外、理屈っぽいんだね。観客全員だと思っているよ」


 ユアンはまだなにか言いたげだったが、それ以上は追及しなかった。


「レグルスはどう思う?」

「へっ!? お、おれ!? どうって!?」

「この人は、ティターニア学園で一番の生徒だと思うか?」

「そりゃ、思うよ。上手すぎて怖いくらい」


 紛れもない本心だ。初めて見たときから、目が離せなかった。デネボラの実力は抜きん出ていて、並ぶ者がない。


「ユアンはどうなんだ?」

「俺も、同意見だ」

「だよなあ」


 デネボラの顔はこわばっていた。嬉しさと申し訳なさとが入り交じったような、複雑な表情だ。


「だが、あなた自身はそう思っていなかった。俺があなたを脅かすんじゃないかと思ったんだろう」


 ユアンの言葉にデネボラは俯く。


「……そうだよ。キミの成績が落ちてしまえばいいと、キミの弱みを突いて陥れようとまでした」

「へっ!?」


 これに驚いたのはレグルスだ。


「い、いつ? ってか、ユアンの弱み……?」

「メンタルだよ」


 デネボラはひどく申し訳なさそうな顔で見た――ユアンではなく、レグルスを。


「アステラは、偽りなき心の反映。前期期末試験で、彼は派手にアステラを乱しただろう。あのときは、キミが彼の名前を叫んだおかげで事なきを得たけれど」


 レグルスにとって初めての試験〝地母神の加護〟の本番で、ユアンの心が流れ込んできた――ナイドルになんて、なりたくないと。今思えば、あれはレグルスが最初に遭遇したユアンのアステラパシーだったのだろう。入学してからの半年間が濃厚すぎて、最初の試験が遠い昔のように感じる。


「それで、ボクは……レグルスに……」

「へっ? おれ?」

「レグルスはあなたに感謝している。今もまだ、気づいてない……と思う」


 まるで話が見えない。


「……そう、なんだろうね。キミがいないときにも、レグルスはそう言っていた」

「俺も、もう気にしない。あなたの事情がわかったから」


 レグルスは二人の顔を交互に見るが、やはり二人の会話の意味はまったくわからなかった。


「今はこの状況を打開することだけに集中すべきだ。省みるのはあとでいい」

「うん……うん」


 デネボラは顔を上げ、両の手のひらで頬をパンッと叩いた。

 瞳に、銀色の光が灯った。


「ごめん。キミたちに気を遣わせている場合じゃなかった。上級生のボクが君たちを引っ張らなきゃいけないのに。女に指図されるなんて、嫌かもしれないけど……」

「へっ、なんでですか?」


 レグルスが尋ねると、デネボラは目を丸くした。


「おれの班の班長も女の人だったし、嫌とか嫌じゃないとかあるんですか?」

「……そういうことじゃ、ないんだけどね」


 デネボラは、どこか嬉しそうな笑みをこぼした。


「……よし!」


 そして、アステラ・ブレードを具現化させると、その刃でドレスの裾を細長く切り取り、それをリボン代わりにして、うすもえいろの髪をうなじでひとつにまとめた。


「ヴィルジェーニアスは原典イコーナの誤りを正せと言っていた。とはいえ、あの場にカノープスがいたことは疑いようもない」


 デネボラは椅子を引き丸テーブルについた。レグルス、ユアンも続いて着席する。


「だからボクは、を演じるよ」


 デネボラはカノープスの人物像について、なにか確信を抱いているらしかった。フィオーレ・アステラを宿すデネボラはカノープスを演じる機会も多い。自信があるならば、レグルスとユアンから口を出すことはない。


「おれは、ブランヴァかあ」


 〝不可視の剣士ブランヴァ〟は、ソール・アステラを宿すナイドルが演じる役だ。これまでに見てきたアステラ・ストーリアに登場したさまざまなブランヴァ像を思い浮かべてはみるものの、どうしても祖母とかつて見たアルテイルの姿がちらついてしまう。先入観が邪魔をする。


「だめだ、わかんねえ……本物のブランヴァがどんな人かなんて、考えたことなかった」

原典イコーナ学で習ったことだけで考えればいい」


 眉間に皺を寄せるレグルスにユアンが助け船を出す。


「うん、うん。ブランヴァは原典イコーナで細かく語られているほうだから、まずはキミが知っていることを整理してみて。詳しいだろう?」

「うーん……せめて教科書があればなあ」


 そうレグルスが呟くと、突然テーブルの上に本が現れた。


「あれ? これ……おれの教科書だ!」


 その次の瞬間には、冷たいお茶の入ったピッチャーと、人数分のグラスが出現した。


「へっ? な、なにこれ? もしかして、ヴィルジェーニアスからの差し入れ?」

「台本も出したり消したりしていたし、きっとそうなんだろうけど……こういうの、毒が入っていそうだよね。あの女神なら、媚薬かな」


 デネボラが心底嫌そうに毒づいたからか、今度は空中からひらひらと紙が落ちてきた。さながら、神の眷属からの褒状トロフェオのように。ユアンがそれをうまくキャッチした。


「生産者の顔……? レグルスの父君の顔が描かれている」

「へっ!?」


 ユアンがレグルスに示した紙には、確かに、エミリオの似顔絵が描いてある。


「おれの家で作ってる茶葉を使ってるってこと?」

「毒に類するものは入っていない、と言いたいのだろうか」


 父の顔を出されては拒否しづらい。レグルスはグラスを手に取り、おそるおそる口をつけてみた。


「これ、父さんから送られてきたのと同じハーブティーだ。学園長にもあげたやつ」

「単に、水分を摂れということなのか?」


 デネボラはため息をついた。


「本番から今までで喉が渇いているのは確かだけど、神の考えることは理解できないよ。こんなの、疑うに決まってるのにね」


 神殿で熱と痛みに襲われたせいか、レグルスはひどく喉が渇いていた。慣れ親しんだ味につられて、グラスの中身をごくごくと飲み干してしまった。


「ぷはぁ。怪しいけど、おいしいや」

「……大丈夫そうだ」


 ユアンがグラスを手元に寄せると、続いてデネボラも手に取った。


「あれ? おれ、毒味役にされた?」

「それで、キミはどうするんだい? ユアン」


 デネボラはレグルスの呟きをさらっと無視した。


「サジェに関して、なにか思うところは?」

原典イコーナの誤りと断じることはできないが、ずっと疑問に思っていることは、ある。気になって、グリーゼ先生に尋ねにも行った」

「それってもしかして、エルトファルがいないってこと?」


 レグルスの問いにユアンは頷く。

 マルコと三人で職員塔までグリーゼに話を聞きに行ったときのことを思い出す。レグルスとマルコの班が抱える問題を解決するため、原典イコーナをどう解釈するか、登場人物たちをどんなふうに演じるかについて助言をもらった。

 あのときユアンは、グリーゼに尋ねていた。「なぜ、エルトファルは〝月明の剣〟に登場しないのか」と。


 エルトファルはカノープスの旅に同行するために剣の修行に励んだ。その様子を描いたのが〝エルトファルの修行〟だ。だが、このストーリアを最後に、以後、エルトファルは一切登場しなくなるのだ。


「でも、ユアンはサジェ役だろ。エルトファルは関係あるのか?」

「俺は、あると思っている。グリーゼ先生は、サジェの存在とエルトファルの不在には解釈の余地があると言っていた。登場人物の性格をどう脚色するかということではなく、存在そのものに解釈の余地がある。つまり……」

「エルトファルは、ちゃんとカノープスと共に旅に出ていた。それが、サジェという人物に差し替えられている、ということだね?」

「はい」


 デネボラの言葉をユアンは静かに肯定する。


「そうかあ、本当はエルトファルもいたのか」


 レグルスはユアンの話を自分なりにまとめ、口に出してみた。そして、


「へぇぇっ!?」


 自分の口から出た言葉に自分で驚きすぎて、椅子ごとひっくり返ってしまった。

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