第二十二節 ナイドルの試練 二

「どれだけ調べても、サジェの人物像がわからなかった。月の民の有力部族がカノープスの動きを見張るために遣わした人物だということしか、原典イコーナには書かれていない……。ほかの人物は、その出自や家族についても記されているのに、不自然だ」

「キミの演じるサジェは、熱血な感じだよね。パブリックイメージとは違っている。でも、あれがキミの想像するサジェなんだろう? 原典イコーナを読んでもわからなかったのに、どうしてその人物像にたどり着いたんだい?」

「〝月明の剣〟でのサジェの行動を読んで……」


 原典イコーナに記された〝月明の剣〟の筋書きはこうだ。

 神殿でずっと退屈していたというヴィルジェーニアスは、カノープスたちとの戦いを望む。それが騎士にふさわしい試練だと。そして、カノープス、ブランヴァ、サジェの三人のうちの誰かがヴィルジェーニアスに一太刀でも浴びせられたら、月明の剣を貸し与えると約束する。

 神であるヴィルジェーニアスが、戯れに人間と戦う。勝算があるかどうかすらわからないが、カノープスたちには応じるほかなかった。


「戦いは、圧倒的に不利だった。だが、ブランヴァが囮になって隙を作ったことでカノープスとサジェは勝機を得て、ついにはヴィルジェーニアスのドレスの裾をわずかに斬った……と、原典イコーナには記されている。だがブランヴァが、風の民のカノープスと月の民のサジェのために、命を賭けて、囮を買って出るだろうか……という疑問が、いくら考えても消えなかった」

「なんで? 仲間だし、それくらいはするんじゃないか?」

「ブランヴァは、カノープスに心を開いていたんだろうか」

「へっ?」

「〝エルトファルの修行〟の時点では、ブランヴァは風の民であるカノープスを見下していて、姿を見せなかったとある。真昼の姫君エステーリャの騎士であるカノープスは、陽の民の王族にかなり近しい者だ。エルトファルとの間にも友情があるように読める。そんな人物にもブランヴァは、心を開いていなかった……」


 陽の民は、この世界の最高神であるようしゅしんを祖とする自分たちこそが最も優れた種族であると言って憚らず、ほかの種族を下に見ていたという。それゆえに、クロノとエステーリャの種族を超えた恋は破れた。


「ブランヴァが囮を買って出たのは、主であるエルトファルがその場にいたからだと考えた方が、筋は通る……と思う」

「そうだね。でも、断言はできない。原典イコーナは正しい、書かれていないことは想像するものだと言われている。月神山に至るまでの間に、ブランヴァはカノープスに友情を感じるようになったのかもしれない……グリーゼ先生はなんて?」

「未だわからない、と……ただ、俺の解釈で演じてみろ、とも。だから俺は……エルトファルを演じるつもりでオーディションに臨み……受かってしまった」


 受かってしまった。

 その言葉の選び方からは、まさか自分が受かるはずがないという驚きと、本当は受かりたくなかったという苦悩の両方が窺えた。やはりユアンは、チャリティーストーリアへの出演を望んでいなかったのだろう。レグルスには、それがわかった。


 ユアンが俯くより早く、レグルスは口を開く。


「先生たちがみんなで話し合って、それでもユアンが受かったってことは、ユアンの解釈はありってことだろ。ユアンの考えが正しいんじゃないのか?」

「……確信があるわけじゃない」

「確信に至ることはできないよ。ボクたちよりもずっと原典イコーナに詳しいグリーゼ先生にもわからないんだ。ボクたちにわかる範囲で考えたところで、答えは出ない」


 デネボラの冷静な意見には、その通りだとしか言いようがない。


「ぬうう……でも……ヴィルジェーニアスは、乗り越えられない試練をおれたちに課すのかなあ……」


 レグルスは、話しながら考えを整理する。


「ヴィルジェーニアスは、ユアンが疑問に思ってることを知ってて、試練の内容を決めたような気がするんだ」


 おそらくヴィルジェーニアスは、学園の中に潜み、レグルスたちを観察していた――あるいは、神であるがゆえに、森羅万象を知っていた。


「試練っていうより、っぽいというか。騎士には戦いを求めて、ナイドルには……ナイドル候補生には試験を、って感じでさ。実技試験なら体調管理が大事だから水分を摂るべきだし、直前まで教科書で復習するし」


 三人は自然と、テーブルの上に現れた冷茶と教科書を見やった。

 自分たちはまだ学生に過ぎない。教員や脚本家のような深い造詣もない。そんな自分たちでも乗り越えられる試練でなければ、すべてが止まったままになってしまう。


「あの女神は、そんなにやさしいかな?」


 デネボラは忌々しそうに毒づく。


「それこそ、確信はないです。でも……なんか、そんな気がするんです」


 ユアンはひどく不安げな顔をしている。デネボラも、不遜な口ぶりとは裏腹な表情だ。どうやらユアンの強い不安が、デネボラにも伝わってしまっているようだ。

 原典イコーナに記されていない人物を演じるなんて、神に逆らう所業も同じ。この世界の神はヴィルジェーニアスだけではない。陽主神ロッサ・ステラトス・ギガンティス、ふうゆうしんヘルマ・カサノヴァトス、地母神マーテルアス。月姫神ヴィルジェーニアスが許しても、果たしてほかの三神は、原典イコーナに逆らう者を許すのだろうか――ということを、ユアンが不安に思っているのが、アステラパシーで伝わってくる。


「なあ、ユアン。このあとどうなるかはわからないけど、何もしないでいたら、何も変わらない。おれたちもこのままだし、チャリティーも再開できない」

「……」


 黙りこくるユアンに、レグルスは言葉を尽くす。


「不安なままでもいいよ。アステラパシーは、おれには効かないし。デネボラさんに何かあっても、おれがなんとかするから」


 レグルスは立ち上がった。


「やってみよう」


 胸の奥が熱を持つ。だが、痛みはない。体を流れるアステラが、穏やかに、しかし強く燃えている。

 二人が、じっとレグルスの顔を見る。


「……キミの言うことには、まったく根拠がないね」


 先に口を開いたのは、デネボラだ。


「でも、頼もしい言葉だ」


 その顔に、不安の色はなくなっている。


「ボクはずっと薄氷の上を歩いてきた。もっと足元が危うくなったって、歩みを止めたりはしない。レグルス、ボクはキミに賭ける」


 その瞳に、銀色の炎が揺らめいている。

 レグルスにもユアンにもわかった。デネボラは、この一瞬で、アステラパシーを撥ね除けた――アステラパシーの影響を、堅固な意志で打ち破ったのだと。


「ボクの心は、誰にも操らせない」


 桜色の柔らかなドレスを着ていようが関係ない。やはり、デネボラは格好良い。


「やってみなければ、何も変わらない……」


 ユアンがぼそりと呟き、テーブルの上でぎゅっと拳を握った。

 不安を押しのけようとしている彼に必要なのは、きっと、背中を押す言葉だ。


「……ユアンなら、さ」


 その言葉は、自然と零れた。


「いつも通りやれば、できるよ」

「……っ!」

 

 ユアンがそう言ってくれたから、レグルスが初めての試験を乗り越えられた。


 見開かれたすみれ色の右目に、レグルスの姿が映って揺れる。一度目を閉じて、唇を震わせながら、


「……わかった。俺は、エルトファルを演じる」


 と、静かにユアンは言った。

 レグルスがデネボラをちらりと見ると、深く頷いてくれた。


「じゃあ、台本を直さないとね」


 天井を見上げながらデネボラが言うと、案の定、テーブルの上に台本が三冊現れた。ページをめくってみれば、それぞれに自分たちの書き込みがあった。


「じゃあ、サジェの名前をエルトファルに書き換えて、ブランヴァのセリフは敬語にして……」


 レグルスは再び椅子につき、台本と同時に現れたペンでストーリアに手を加えていく。その様子をユアンとデネボラが左右から覗き込み、逐一意見をくれる。

 三人は時間を忘れて、修正に没頭した。




        ◇ ◇ ◇




「このセリフはブランヴァじゃなくて、エルトファルが言うことにして……これで……よし!」


 一仕事終えたレグルスは、ふうと細く息を吐いた。


「あとは、おれがちゃんとブランヴァをやれるかどうかだなあ」


 テッラ・アステラを宿すレグルスは、ブランヴァを演じたことなどない。今さらながら不安になってきた。


「話の内容を丸暗記するくらい見たんだろう。〝月明の剣〟を、アステラヴィジョンで」

「まあ……」

「脚本を直したのも君だ。きっと、俺以上に頭に入っている」

「うん、うん。レグルス、キミはキミが思ってるよりも、できるよ」

「デネボラさんまで……」

「さあ、まずは一度合わせてみようじゃないか」


 デネボラはアステラ・ブレードを発現させると、軽やかにステップを踏んだ。


「レグルス。これまでも、君はしっかりやってきた。努力してきた。だから……」


 ユアンもアステラ・ブレードを発現させ、一振りした。


「いつも通りやれば、できる」

「……うん」


 腰に提げた鞘をイメージして、アステラ・ブレードを抜き放つ。

 刀身は、炎を纏ってはいない。ただ、ほのかな緋色に輝いている。


「じゃあ、エルトファルがカノープスとブランヴァを助けてくれる場面から!」

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