第二十節 《月明の剣》 五

「……キミも、来たのか」


 かがみ込んでレグルスを支えるデネボラは、凍りついた顔でユアンを見上げる。ユアンのほうはというと、目を疑ったのか、デネボラの姿を二度確認していた。


「……なにがなんだか、まったくわからない」


 ユアンはヴィルジェーニアスに向けたアステラ・ブレードの先を下ろす。


「どうしてレグルスがここにいるんだ。チャリティーストーリアはどうなったんだ」

「ここは神の舞台。あなたの出番が来たので、壇上に登場してもらいました」

「……誰だ」


 ユアンは、ヴィルジェーニアスの姿を見て、すみれ色の右目を大きく見開いた。


「まさか、純血の月の民か?」


 黒髪と、周囲に漂う強いルーナ・アステラ。ユアンがそう考えるには十分な要素が揃っている。


「いいえ、神です。私は月姫神ヴィルジェーニアス」

「……母様を呪ったのは、お前か?」

「まあ。神をも恐れぬ不遜な物言い。アステラ・ストーリアを信奉していないからこそできる発言ですね。レグルスくんやデネボラさんと違って、あなたには伝説への憧れがない。あなたの人格形成に私は介入していないけれど、実に都合がいい」

「質問に答えてほしい」


 宙に浮かぶヴィルジェーニアスは、微笑みながらユアンを見下ろす。


「私を支えてくれる眷属が欲しかったんです。なかなか私の好みに合う子が見つからなくて。そんなとき、キャリバンでセシリアさんを見かけたんです」


 頬に人差し指を当て、ヴィルジェーニアスはわざとらしく小首を傾げる。


「セシリアさん、類い稀な美しさでしょう? この子なら、私の眷属にふさわしいと思ったんです。私に往年の力がなかったせいで、負けてしまいましたけれど」

「母様が、美しいから……だから、呪いで自分のものにしようとしたと?」

「そうです」


 ヴィルジェーニアスが答えた瞬間、レグルスは背筋に冷たさを感じた。ユアンの激しい怒りが流れ込んでくる――アステラパシーだ。


「ユ、アン……落ち着いて……」

「レグルス、大丈夫なのかい!?」


 声を発すると、デネボラが覗き込んできた。レグルスは頷き、デネボラの手を借りて立ち上がった。熱さも痛みもいつの間にか引いていて、感じるのは寒気ばかりだ。


「ユアンのお父さんとお母さん、すごく仲がいいんだろ。もう呪いは消えてる。だから、もう気にしちゃダメだ」

「母様を呪った相手を前にして、いかるなと言うのか」

「怒るのは当たり前だ。でも、アステラパシーを制御できなくなったら、ユアンがしんどくなる」


 この状況でアステラパシーが暴走したら、何が起こるのか想像もできない。


「……」


 ユアンは逡巡の後、小さく頷いた。


「……君が、正しい」


 流れてくる感情から、刺々しさが薄れていく。

 デネボラがふうと息をついたのが聞こえた。


「あなたのアステラパシーは、私の影響でしょうね」


 ヴィルジェーニアスは、悪びれる様子もなく言う。


「セシリアさんの中にあった私の力の残滓が、あなたに受け継がれた」

「なっ……!」


 これには、レグルスもこらえがたい怒りを覚えた。セシリアが想像していたとおり、過去に彼女が受けた〝移り気な月の呪い〟が息子のユアンに影響したと、呪いをかけた張本人であるヴィルジェーニアスが認めたのだ。ならば、親子の悩み苦しみの原因は、すべて目の前の神にある。


「人間を苦しめて、なにが神だ! もう、ユアンにもデネボラさんにも関わるな!」

「……ふふっ」

「笑うようなことじゃないっ!」

「ああ、すみません。おかしいんじゃありませんよ。嬉しいんです。普通に生まれ、普通に生きてきたあなたが、神に臆さず反抗する……その事実があまりにも嬉しくて、つい笑みが零れてしまっただけです」


 ヴィルジェーニアスは床に降り立ち、手にしていた剣を消し去ると、代わりに髪飾りを左右に一つずつ具現化した。二つのシニヨンを引き立てる金の三日月と銀の満月の髪飾りは、まるでプリドルのアステラ・ティアラのようだ。


武踊ぶようは学んでいても剣術は学んでいないあなたたちに、カノープスくんと同じ試練を課すわけにはいきません。騎士には騎士に、ナイドルにはナイドルにふさわしい試練があります」


 周囲の景色が、音もなく変わっていく。粒子に分解された神殿が、別の建物に再構築されていく。


「私は真実を知っています。カノープスくんたちが私のもとを訪れたときのことを。その上で、告発しましょう。


――原典イコーナには、偽りが記されている」


 天井は消えて遥かな夜空を見上げ、方形だった神殿は円形に組み変わる。灰色の静寂が支配する月神山に、古の闘技場が形作られていく。


「新時代のナイドルたちよ。神の欺瞞を正し、このヴィルジェーニアスを納得させられるストーリアを捧げなさい。それが、あなたたちに課す試練です」


 三人の体が、ふわりと宙に浮かぶ。


「私がかつてカノープスくんたちと戦ったこの闘技場。その控え室で、よくよく考えなさい。時間は無限にあります」


 ヴィルジェーニアスのアステラがレグルスたちを包み込むように渦をなし、部屋をを形作っていく――




 目眩くアステラの渦が止むと、三人の体は床に下ろされた。


「控え室だというのか、これが」


 部屋の様子を見て、ユアンがそうこぼす。

 三人に宛がわれた部屋は、ティターニア学園の演劇練習室にそっくりだった。壁の一面が鏡になっていて、床は板張り。違うのは、白い石造りの丸テーブルと、同じく白い石の椅子が三脚あること。学園で使う机や椅子はどれも木製だった。

 壁面の大鏡に、三人の姿が写る。

 いつも通りの制服を着ているレグルス、チャリティーストーリアの衣装である白銀の鎧を纏ったユアン、そして、桜色のドレスを強制されたデネボラ。


「……なんて、無様なんだ」


 デネボラは、鏡の中の自分に毒づいた。

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