第二節 アークトゥルス家

「すっげぇ、すっげぇ~!」


 ユアンの家へ向かう道すがら、レグルスは目に映るものすべてに夢中になった。石畳の道を行き交う人々、軒を連ねる数々の店、細く入り組んだ路地――辺境では決して見られない景色が、目の前に広がっている。

 レグルスが立ち止まって目を奪われるたびにユアンも足を止め、


「ここが、百貨店。だいたい、なんでも売っている」

「ここは、ビストロ。肉が、うまい」

「ここは、美容院。母様はいつもここで髪を切ってる」


 と、わずかだが説明をしてくれる。

 初めて会った日、学園内の施設について何も説明してくれなかったことを思えば、ものすごく歩み寄ってくれているのだとわかる。


「チャリティーストーリアを見に来たとき、町は見て回らなかったのか」

「うん。クイーンズ・シアターはキャリバンのはずれにあるだろ。チャリティー見た後はすぐ帰ったんだ」


 去年、チャリティーストーリアの観劇のためにキャリバンを訪れはしたのだが、観光をする時間はなかった。「急いで帰らないとエミリオが庭で作っている薬草が枯れてしまう」と、クラリッサは言ったが、実際にはクラリッサの脚本の締め切りがまずいことになるからだ。母は仕事を請けすぎだ。


「それなら、祝日の間に見て回るといい」

「うん。そうできたらいいな」




 それから、一時間以上歩いただろうか。緩く長い上り坂の向こうに、やたらと豪華な佇まいの住宅街が見えてきた。


「なんか、すっげぇ立派な家ばっかりだ……」


 意匠を凝らした美しい屋敷が建ち並ぶ通りを、ユアンは迷いのない足取りで歩いていく。レグルスは恐縮しながらついていく。


「あのさ、ユアンの家ってこの先にあるのか?」

「ああ」


 進めば進むほど、家の豪華さが増していく。ユアンはどんどん進んでいく。


「もしかして、ユアンの家って、お金持ち……?」

「ああ」


 躊躇いのない肯定。レグルスは、こめかみに冷や汗が伝うのを感じた。辺境出身の自分は、あまりにも場違いではないか?


「あれだ」


 ユアンが指さしたのは、正面に見える巨大な屋敷だった。


 鉄製の門の向こう、綺麗に刈り込まれた芝生の上に、まっすぐな道が伸びている――前庭が広い。奥にある屋敷は三階建てで、パステルブルーの壁に紺色の屋根という上品かつ爽やかな配色だ。


「す、すっげぇ……」


 屋敷のあまりの美しさに、レグルスは目を細めた。


「行こう」

「……う、うん」


 本当にここに泊まっていいのだろうか。気後れはするが、レグルスは自分の頬を両手で叩いて覚悟を決めた。


「ぼ、坊ちゃま!?」


 玄関扉の前に立っていた老年の男性が、ユアンを見るなり駆け寄ってきた。


「シャムロック、ただいま」 

「おかえりなさいませ。馬車でお迎えに上がりますのに、なにゆえ歩いてこられるのです。相当な距離があるでしょう」

「運動のため」


 シャムロックと呼ばれた燕尾服の男性は、ユアンを坊ちゃまと呼び、ユアンの代わりに立派な玄関扉を開けようとする。


「むむ?」


 だが、どうやら扉を開ける前に、レグルスの存在に気づいたらしい。


「坊ちゃま。こちらの方はご学友でしょうか?」

「そうだ」


 シャムロックがこちらに向き直ったので、レグルスは背筋を正した。


「は、はじめまして! レグルス・フィーロです。ユアン、いや、坊ちゃまとは同室で暮らさせていただいておりまして……」


 レグルスは混乱した。シャムロックはおそらくユアンの家の執事だ。執事がいる豪邸なんて、ストーリアの中でしか見たことがない。


「レグルス」

「は、はい! なんでございましょうか?」

「坊ちゃまは、やめてほしい」

「へっ!? あっ、ごめん!」

「……俺の家は、嫌だったか?」

「ち、違うよ! 想像を超えすぎてて、ビビっちゃっただけ……」


 ちら、とシャムロックを窺う。老執事は人のよい笑みを浮かべていた。


「いらっしゃいませ、レグルス様。どうぞお入りください」


 ドアノブに手をかけ、シャムロックはゆっくり丁寧に扉を開く。


「ようこそ、アークトゥルス家へ」




「おかえりなさいませ!」


 広間にずらりと並んだ使用人たちが、声を揃えてユアンを出迎える。


「ただいま帰りました」

「おかえりなさい、ユアン!」


 縦二列に並ぶ使用人たちの間を走ってきた亜麻色の髪の女性が、ユアンをぎゅっと抱きしめた。


「ああ、ユアン、会いたかった」

「母様、ただいま帰りました」

「少し背が伸びたかしら? ティターニア学園では元気でやれている?」


 ユアンの母は、輝くような美人だった。母親ではなく姉と言われた方が納得できそうなくらい若々しい。目鼻立ちがユアンにそっくりで、血縁であることに疑いの余地はない。


「母様、今日は友達を連れてきたんだ。彼のぶんの部屋を用意してほしい」

「えっ、お友達!?」


 その場の全員の視線が、レグルスひとりに集まる。ユアンの母は大きな青い瞳をまん丸くしてレグルスを見つめ、数秒間固まった後、両手で口元を覆った。


「は、はじめまして。レグルス・フィーロです。えっと、あの、なんだっけ、本日はお日柄もよく……?」


 緊張のあまり、またしても自分が何を言っているのかよくわからなくなった。

 ユアンの母は、固まったまま動かない。


「す、すみません、急に来ちゃって。おれ、家が遠いから、ユアンが泊まっていいよって言ってくれて、それで……」


 しどろもどろになっていると、ユアンの母が一歩ずつレグルスに近づいてきて――突然、抱きしめられた。


「ぬわっ!?」

「レグルスくんね。ありがとう、遊びに来てくれて」


 腕をほどくと、ユアンの母はレグルスに一礼した。使用人たちも一斉に頭を下げた。

「ようこそ、レグルスくん。ユアンの母のセシリアと申します。どうか我が家だと思ってくつろいでね」

「へっ、わ、我が家……?」


 高い天井にピカピカの床、整列した使用人たち。この豪邸を我が家と思うのは無理があるが、どうやら歓迎されてはいるらしい。


「レグルスくんは客間を使う? それともユアンのお部屋に?」

「ええっと……」

「……母様、レグルスが困っている」

「ああっ、ごめんなさい。私ったら舞い上がっちゃって」

「い、いえ……」


 はしゃぐセシリアは少女のようで、息子のユアンのほうが老成して見えるくらいだ。


「そうね、お友達ならやっぱり、同じお部屋がいいわよね。メアリィ、ユアンのお部屋に寝具を用意してくださる?」

「かしこまりました」


 使用人の数名が一礼し、メアリィと呼ばれた老年の女性を先頭に、連れ立って去っていった。


「ウーゴさんも早く帰ってくると言っていたから、夕食は一緒に食べられるわ」

「父様が? ……珍しい」

「だって、今日はユアンが帰ってくる日ですもの。それはそれは楽しみにしていたわ。そうだわ、レグルスくん、嫌いな食べ物はある?」

「へっ? 嫌いな……あんまりないです」

「まあ! えらいわ、レグルスくん。それじゃあ、ユアンはあなたのお皿にピーマンを乗せたりしていない?」

「か、母様……いつの話ですか」

「ユアン、ピーマン嫌いなのか?」

「……好んでは食べない」

「ふふ、ものは言いようね。今日の夕食はお肉とピーマンの細切り炒めにしてもらおうかしら?」


 セシリアを横目に、ユアンはため息をついている。


「夕食の準備ができたら呼びますから、それまでは自由にしていてね」

「行こう、レグルス」


 ユアンが足早に屋敷の奥へ向かおうとするので、レグルスはセシリアや使用人たちに頭を下げてから、ユアンを追った。


 案内されたユアンの部屋は、寮の部屋の三倍は広かった。大きな寝台、大きな衣装箪笥、大きなソファ、大きなティーテーブルに立派な椅子が二脚。すべてが一目で高級品だとわかってしまう。


「荷物はソファの上にでも置いてくれればいい」

「う、うん……」


 ものすごく立派な革張りのソファに、そろりと荷物を座らせた。愛用のリュックサックもなんだか緊張しているように見える。


「母様、やかましかっただろう」

「ユアンと全然違ったからびっくりしたよ」

「俺があまり話さないからか、母様はああやってうるさいくらいに話すんだ」


 ユアンの母と言うからには、息子に似て物静かな人を想像していたが、実際のセシリアは明るく天真爛漫な人だった。想像とのギャップに驚きはしたが、やかましいとは思わない。


「ユアンのお母さん、きれいな言葉で喋るから、うるさくなんて感じないよ」


 自分の母クラリッサの口の悪さを思う。エミリオには「真似したらダメだよ」と口を酸っぱくして言われた。


「……レグルスは、人を褒めるのが上手い」

「へっ!? そ、そうかな」

「ああ」


 ユアンの言葉はまっすぐで、口数が少ない分、ぐっと心に響く。彼はきっと、黙っているときも多くのことを考えているのだろう。


「レグルス、家の中を案内する。その間に、君のベッドが運ばれてくるはずだ」

「うん」


 ユアンが自分から「案内する」と言ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。




 家じゅうを回ったら、ヘトヘトに疲れてしまった。どこにでも使用人がいて、レグルスは彼らを見かけるたびにしっかり挨拶をしたのだが、初対面の人に声をかけるのはどうしても緊張してしまう。それに、この屋敷は広すぎる。きっと何度も使用人たちに道を尋ねることになるだろう。

 ユアンの部屋に戻ると、本当にベッドが一つ増えていた。寮のベッドよりも大きい。


「寝心地を確認してほしい。合わなかったら、替えてもらう」

「う、うん」


 泊めてもらう身で図々しいことは言いたくないが、レグルスは寝具のちょっとした違いも気になってしまうタイプだ。寮のベッドに慣れるのに時間がかかったことを思い出す。

 試しに横になってみると――


「わ、わぁ……っ!」


 思わず声が出た。あまりにもふわふわでふかふかで、包み込まれて、そのまま寝入ってしまいそうだ。


「全然大丈夫っていうか、よすぎてすごい……」

「そうか。それならよかった」


 今日は緊張の連続だった。馬車で緊張して、見知らぬ町を歩いて緊張して、豪邸で緊張して、全身に疲労が染みている。

――急激に、まぶたが重たくなった。

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