幕間 神々の祝日

第一節 神すらも休む日

 四日後、再試験の日。

 たっぷり寝て、寝不足を解消してから再試験に臨んだら、あっさりと合格できた。



「自己管理もナイドルの務めだぞ、フィーロ」

 マーネンには釘を刺されたが、同時に「よくやったな」と頭を撫でられもした。ミアも、ほかの教員たちも、笑顔で拍手をしてくれた。

 ようやく重圧から解放されて、ほっとした。




 そして、さらに数日後。

 レグルスの再試験も、先輩たちやプリドルの試験も終わり、今週は〝神々の祝日〟――神すらも休むと伝えられる一週間だ。この期間、神事であるストーリアに関わる者たちは絶対に休まなければならないとされており、ほとんどの生徒が自宅に帰る。


「どうしよう……」


 レグルスは部屋で頭を抱えていた。荷造りを始めないレグルスを、ユアンがじっと見ている。


「えっと、おれの家、すごく遠くて……」


 レグルスの家は、この学園から遥か北――もはや地名すら忘れられ、単に辺境と呼ばれる地域にある。高速馬車でも片道三日はかかるし、そもそも馬車の定期運行がない。運良く帰省できたとしても、移動だけで休暇が終わってしまう。


「学園に居残ってもいいらしいけど、誰もいなくなるし、先生方もいないし。もし学食も休みになるなら、おれ、終わり……?」

「それなら、俺の家に来ればいい」

「そうさせてもらえたら、すっげぇ助かるんだけどさぁ」

「いいと言っているが」

「……ん?」

「俺は今日、乗合馬車で帰る。君も一緒に来たらいい」

「へっ?」

「……出過ぎた真似だったら、すまない」


 ユアンはわずかに俯いている。

 レグルスはユアンの言葉を反芻した――俺の家に来ればいい?


「ちょ、ちょっと待って。おれが、ユアンの家に? いっ、行っていいの?」

「そう言っている」

「ええーっ!?」


 大声をあげてしまった。ユアンのほうからそんな提案をしてくれるなんて、想像もしていなかった。


「でも、いいのか? おれが一緒に行くって連絡してないでしょ?」

「君一人くらい、困らない。それに……君が来てくれたら、きっと家族は喜ぶ。だから……家に、来てほしい」


 レグルスは面食らった。家に来てほしい? 信じられない。本当にユアンはそう言ったのだろうか。今までの彼の行動や言動からは考えられないことだ。


「ええっと……」


 ユアンのすみれ色の右目は、レグルスを見つめて不安げに揺れている。


「……行ってもいい? ユアンの家……」

「だから、そう言っている」


 本当に言っていた。


「あ、ありがとう! すっげぇ助かる!」


 喜びのあまり、レグルスはユアンの両手をとってぶんぶんと振った。


「じゃあさ、父さんと母さんに、ユアンの家に泊まることになったって手紙書くから、ちょっと待ってて!」


 レグルスは机の引き出しから便せんを取り出す。


「えーっと……『神々の祝日は、友達の家に泊まります』、でいいよな」


 字が汚いが仕方ない。急いで封をした。あとはこれを出がけに投函していけばいい。家に届くのがいつになるかは、わからないが。


「……友達」


 ユアンがぽつりと呟いた。


「あっ、その……」


 ほかに適切な言葉が思いつかなかったからそう書いたが、よかったのだろうか。


「えっと、さ。おれたち、友達……だろ?」

「……レグルスが、そう思ってくれるなら」


 ユアンは目を逸らしたが、今のは落胆に由来するものではなさそうだ。


「へへ……友達だよ、おれたちは!」


 辺境には、同年代の子供が一人もいなかった。名前もない小さな村は、自然豊かで温かい場所だったが幼いレグルスの目には、辺境の村に住む人々がみんな世捨て人のように見えた。母の脚本の締め切りを限界まで引き延ばすために、都市から離れ連絡が取りづらい場所に住んでいるのだと父は嘯いていたが、それが本当なのかはわからない。

 

 だからユアンは、レグルスにとって、はじめての友達だ。




 ユアンの家は、ティターニア地方第二の都市・キャリバンにあるという。学園からキャリバンまでは、馬車で一時間程度らしい。

 学園の正門から出てすぐの馬車乗り場で、乗合馬車が待機していた。御者は真っ赤なドレスの先生――〝発声と歌〟の教科担任・オーブオリースだ。


「こんにちは、ユアンさんにレグルスさん」


 恰幅のよい体から発されたのは野太い重低音なのに、物腰は非常にたおやか。オーブオリースは、そのミスマッチがなぜか調和している不思議な人だ。しかし、馬車を操るのに、ドレスを着ていて大丈夫なのだろうか。二頭の馬車馬は、オーブオリースにおとなしく撫でられている。


「この馬車はキャリバン行きよ。お間違いない?」

「はい」

「……はい」


 ユアンはすぐに返事をしたが、レグルスはまだキャリバンへ行く実感がないせいか、反応がワンテンポ遅れた。


「もうすぐ出発するから、箱に乗ってくださいな」


 言われるままに乗り込む。簡素な幌馬車は、四人がけの長椅子を二つ向かい合わせにした八人乗りで、先客が数名いた。

 その中に一人、見知った顔があった。赤みがかった茶色の巻き毛が印象的な同級生、マルコ・コルカロリ。

 レグルスはギュッと肩を縮めた。この狭い幌馬車に同乗して気づかれないなんて無理な話ではあるが、彼と何を話せばいいのかわからないので、なるべく小さくなっておこうと思ってしまったのだ。だが、マルコはレグルスに気づくやいなや、


「よう」


 と声をかけてきた。


「ぬわっ!?」

「……いや、驚きすぎだろ」


 マルコはとびいろの瞳を細め、眉根を寄せた。レグルスの過剰な反応に呆れているのだろう。同乗者の先輩たちも、レグルスを見ていた。


「座れよ」


 マルコが自分側の長椅子の座面をぽんぽんと叩いた。もうひとつの長椅子は大荷物の先輩たちに占領されているので、そちらに座らざるを得ない。ユアンがマルコから離れて座ったので、必然的に、レグルスは二人に挟まれて座ることになってしまった。


「お前らの家もキャリバンか?」


 ユアンは無言で頷く。


「お、おれは違うよ。家が遠すぎるから、神々の祝日の間はユアンの家に泊めてもらうんだ」

「フーン。ずいぶん仲が良いんだな」


 マルコの口ぶりはなんだかそっけない。ユアンは無反応だ。

――気まずい。


「みなさん、出発しますよ。多少は揺れますから、気をつけてくださいね」


 御者席からオーブオリースの声がして、馬車がゆっくりと動き出した。




「……」

「……」

「……」


 誰も、口をきかない。

 向かい側の席に座る先輩たちは楽しげに談笑しているが、こちら側は気まずい沈黙に包まれている。


(どうしよう……)


 ユアンとマルコに挟まれて、レグルスはガチガチに緊張してしまった。マルコの顔も名前も知っているが、話したことは一度もない。マルコに限らず、ユアン以外の同級生とはまともな会話を交わしたことがない。同年代の子供がいる環境に身を置いたことがないレグルスには、同級生との距離の縮め方がわからないのだ。


「……勘違いするなよ」


 突然、マルコが沈黙を破った。


「お前らと馴れ合おうってわけじゃねえ。同級なのに挨拶のひとつもしねえのは、失礼だと思っただけだ」


 だが、気まずい空気は払拭されない。馴れ合わないと宣言されては、返す言葉がない。


「……いや、なんか言えよ」

「へっ!?」

「いや、驚きすぎだろ! ……そんなキョドんなよ。これじゃオレが馬鹿みてえだ」


 マルコは額に手を当ててハーッとため息をついた。ユアンは無反応だ。

 その後はキャリバンに着くまで、誰も口を開かなかった。




「みなさん、着きましたよ。ささ、降りて」


 オーブオリースに促され、幌馬車から出る。


「ぬわぁ……!」


 青空の下でその美麗さを誇示するパステルイエローの巨大な門は、キャリバンのシンボルのひとつだ。あの門の向こうに、緑の屋根の家々と白い石畳の都がある。レグルスの胸は、初めての都会に高鳴った。


「じゃ、オレはここで」

「ぬわっ!?」


 移動中はずっと無言だったのに、去り際、マルコが声をかけてきたので驚いてしまった。


「おい、幻の。テメェはオレを騒魔ぞうまかなんかだと思ってんのか?」

「お、思ってない! って、幻の、ってなに?」

「幻の四〇人目。テメェのことだろ。ったく……」


 ぷいっと踵を返して去ろうとしたマルコだったが、


「じゃあ、また」


 というユアンの声にピタリと動きを止め、振り返り、目を丸くしてユアンを見た。そして数秒固まった後、


「じゃ、じゃあな!」


 と、半ば吐き捨てるように言って、門に向かって走り去った。


 マルコの姿が見えなくなってから、ユアンはぽつりと呟いた。


「緊張、した」


「へっ? 緊張してたのか?」


 ユアンは頷く。


「話しかけてくると思わなかった。俺を嫌っているとばかり」

「嫌うって、なんで?」

「中間試験の後、マーネン先生に聞いていたから……成績優秀者は、俺なのかと」


 言われてみれば、先頭の席に座っていたマルコが挙手してなにやら発言していた気がする。その時のレグルスは、自分の失敗と再試験のことで頭がいっぱいだったので、ほとんど思い出せないが。


「それがなんで、嫌いってことになるんだ?」

「彼は、俺が邪魔だろう」

「うーん……ただ気になったから、聞いたんじゃないか?」

「そうだろうか」

「本人に嫌いだって言われたわけじゃないなら、嫌いかどうかはわからないだろ?」

「……そうかもしれない」

「あの時のユアンの演技が先生たちからどう見えたのかは、おれも気になったよ」

「そんなに変だったのか」

「あら、ユアンさん。自分の演じたエルトファルを変だと思うの?」


 急に聞こえた柔らかな重低音にぎょっとした。これから馬車の逗留所に向かうらしいオーブオリースがわざわざ停まって、御者席から話しかけてきたのだ。


「私は好きですよ、熱くてかっこいいエルトファル。歴史上の人物の評価は、時代によって変化しますしね。気になるなら、職員塔のグリーゼ先生を訪ねてごらんなさい。きっと教えてくれるわよ」

「……そうします」

「それじゃあ、次は学園へ戻る日に会いましょう」


 ラララ~、と機嫌のいいソプラノで歌いながら、オーブオリースは馬車と共に去って行った。


「職員塔に質問しに行ってもいいんだ……」


 レグルスの言葉にユアンが「すまない」と呟く。


「それも、君に伝えておかなければならなかった」

「あ、じゃあさ。今度レッスンルームの借り方を教えて……いや、借りて一緒に練習してほしいんだけど、いいか? それと、グリーゼ先生のところにも一緒に行きたい」

「……わかった」


 ユアンは、遅れて入学したレグルスを助けなかったことに罪悪感があるのか、落ち度に気づくとすぐに謝ってくる。そういうときレグルスは、前向きな言葉を使ってユアンを頼ると決めている。自分から動くのは苦手なユアンだが、言われたことはすぐにやれるし、できる。彼の罪悪感を軽くするには、当時できなかったことを一つずつやっていくのが一番だろう。


「……助かる。レグルス、なんでも言ってほしい」

「うん、そうさせてもらう」


 二人は、町に向かって歩き始めた。

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