第九節 304号室

 時は少し遡り、ユアンのルーナ・アステラが落ち着いた頃――


「慣れないことをして疲れたのではないか? デネボラよ」


 デネボラが自室の窓から外を眺めていたら、同室のオズワルドが帰ってきた。


「おかえり、オズ」


 きちんとなでつけられた紺碧の髪。強い光を宿す、特徴的な青緑色の瞳。恵まれた体つき、彼自身の堂々たる振る舞い。細身のデネボラと体格の良いオズワルドは好対照だとよく言われるが、デネボラ自身は、内心それを苦々しく思っている。


「嫌がらせなど、そなたの得意分野ではないだろう」


 この304号室からは、寮の裏手の森がよく見える。保健医のジニーが、生徒を二人引き連れてどこかへ行くようだ。一人は、何度も会ったレグルス。もう一人は――


「ユアン・アークトゥルスはそれほどまでにそなたを脅かす存在か?」

「……そう思うよ」

「ふむ……そなたの意志の強さは知っている。だが無理はするな。他人を蹴落とすより、その羽根で風のごとく高みへ飛ぶ方が、そなたには簡単であろう」


 オズワルドはジャケットをハンガーにかけながらデネボラを諭す。


「でも、腹が立つじゃないか」


 思い出さなかった日はない。今年の〝地母神の加護〟を――あの時に聞こえてきた、ユアンの声を。


「ナイドルになりたくない、だなんてさ」


 オズワルドはううむ、と首を傾げる。


「ユアンの内心が伝わってきたとお前は言うが、われは何も感じなかったぞ」

「個人差があるのかもしれないね。キミ、今もしれっと帰ってきたし」

「ああ、なにやら具合の悪そうな者が多く見受けられたな。われは特になんともなかったが」

「それは、キミがで受けた英才教育の賜物だろうね」

「ならば、素直には喜べんな」


 オズワルドはデネボラに伝わるよう、わざとらしいため息をついた。


「鈍感であることは重要だよ。繊細すぎると、ほんのわずかなことにも左右される……とか、とかね」

「やれやれ。なんとも遠回しな嫌がらせだな」

「何を言ってるんだい、キミから教わったんだよ。キミのご実家では、使用人から落とすのが定石なんだろう?」

「違いない。だがデネボラよ、我はそなたに気高くあってほしい。他者を陥れることで己の地位を盤石にしようとする畜生にはすな」

「いつも手厳しいね、キミは」

「レグルスと言ったか。あやつのために腐心ふしんする姿は好ましかったが」

「入学を遅らされたって聞いて、ちょっと同情してしまったかも。彼のアステラ・ブレードはおかしいから、十中八九あれのせいだろうね。でもあの程度なら、ボクの敵じゃない」


 オズワルドが身を固くしたのがわかった。彼はいつもオーバーリアクションでわかりやすい。


「その哀れな少年を、そなたは、敵になり得るかという物差しで測るのか?」


 強い視線を感じる。オズワルドはデネボラをまっすぐに見据えているのだろう。


「……デネボラよ。心をなくしては王道は往けぬぞ」

「ボクが、王道? ……あはは」


 オズワルドは何も知らない。だからデネボラを真正面から諭す。高貴な生まれに由来する風格で、デネボラをたしなめようとする。だが、彼の言葉でも、デネボラが止まることはない。引き返せないところ――このティターニア学園まで来てしまったのだから。


「ボクが行くのは――」


 振り向き、宣言する。オズワルドに、自分に、世界に。


「覇道だよ」


 冬の訪れを告げる風が、窓をガタガタと揺らした。

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