第三節 温かな団欒

「……レグルス」

「ん?」


 視界がぼんやりしている。目を擦ると、ユアンが覗き込んでいた。


「夕食ができたそうだ。メアリィが迎えに来た」

「……おれ、寝てた?」

「ああ」


 どうやらベッドが気持ちよすぎて、一瞬で眠りに落ちてしまったらしい。


「食堂へ行こう」

「うん……」


 後ろ髪を引かれながら、ベッドを出る。




 部屋を出ると、メイド長のメアリィが待っていた。メアリィは白髪が目立つ老年の女性で、体は小さいが、不思議と包容力を感じる人だ。


「さあ、参りましょう」


 すすっと歩いていくメアリィに着いて、二人は食堂へ向かう。


「ピーマン、出るかな?」

「俺はピーマンもちゃんと食べる。偏食は体作りの敵だ」


 そんな他愛ない会話をしていたら、メアリィが振り返った。


「どうかしたか、メアリィ」

「……いいえ。レグルス様、これからも坊ちゃまをどうぞよろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げられたので、レグルスも「は、はい」と頭を下げた。メアリィはにっこりと微笑んでいて、皺の中にえくぼが見えた。




 食堂はやはり広かったが、白いテーブルクロスがかけられた円形のダイニングテーブルは、この屋敷のほかの家具とくらべると、意外なほど小さかった。セシリアはすでに席に着いており、テーブルのそばにはシャムロックが控えている。


「坊ちゃま、レグルス様、どうぞこちらへ」


 シャムロックがユアンのために椅子を引き、メアリィもレグルスのために椅子を引く。こんな扱いは受けたことがないので、どうしたって恐縮してしまう。

 席についてカチコチに固まっていると、バーン、と大きな音が聞こえた。振り返って、扉が開いたのだと気づく。


「はあ、はあ……いやはや、なんとか間に合ったか」


 息を切らして入ってきたのは、小太りの男性だった。ネクタイを緩めながらこちらへやってくる男性の背広をシャムロックが預かり、空いている椅子をメアリィが引く。


「おかえり、ユアン。それから……」


 男性はフェイスタオルで額の汗を拭いながら、レグルスを見た。ユアンと同じ、すみれ色の瞳で。


「ようこそ、レグルスくん。いやはや、慌ただしくてすまない」


 レグルスの正面に座ったこの男性が、ユアンの父なのだろう。小さな目は少し離れていて、大きく丸い鼻は悪目立ちしている。絶世の美男美女と言っても過言ではないユアン、セシリアの二人と並ぶと、顔のパーツがちぐはぐに見えてしまうくらいだ。


「ユアンが友達を家に連れてくるなんて……レグルスくん、我が家へ来てくれて本当にありがとう」


 ユアンの父は満面の笑みを浮かべ、目をキラキラ輝かせている。レグルスの来訪を心から喜んでくれているとはっきりわかる笑顔だ。


「ちょっとウーゴさん。自己紹介しなきゃ」

「おお、そうだな。気が急いてしまった。私はウーゴ・アークトゥルス。ユアンの父だ。ここキャリバンにあるアステレヴィジョンの支局で局長を務めている。どうぞ――」

「局長!?」


 よろしく、とウーゴが言い終わる前に、レグルスは叫んでしまった。ハッと口を押さえたが、ウーゴはますます嬉しそうに笑った。


「そう、実は局長なんだ」


 アステレヴィジョン――過去に上演されたストーリアを映像に残し、いつでも観賞できるようにする神の超技術。神の眷属が放つアステラを受け止めるモニターを持っていれば、劇場へ行かずとも、誰でもどこでもストーリアを見ることができるのだ。レグルスの祖母はアステレヴィジョンをモニターに録画し、放映がない日も毎日見ていた。

 ヴィジョンの話をしていると、祖母の言葉が思い出される。


「アステレヴィジョンがなかったら、ストーリア、見られなくなっちゃう。局の人たちには感謝してもしきれないわ」


 辺境住まいの祖母にとって、アステレヴィジョンは生活に欠かせないものだった。

 ウーゴは、キャリバン支局の局長。支局にいるという神の眷属を除けば、一番偉い人だ。


「レグルスくんはストーリアが大好きで、ヴィジョンもよく見ているとユアンから聞いた。君の質問にはなんでも答えよう。守秘義務に抵触しない範囲で、だが」

「な、なんでも……」


 まだ食事が来てもいないのに、レグルスはごくりと生唾を呑んだ。


「ウーゴさん。ユアンからレグルスくんを取っちゃダメですよ」


 ヒートアップしてきたウーゴに、セシリアがそっと釘を刺す。


「おお、それはそうだな。いやはや、どうにも興奮していけないな。まずは食事だな、うむ。ああ、楽しみだなあ」


 ウーゴの笑顔はとても朗らかで、人柄を感じさせる。穏やかで懐の広い人なのだと、その表情を見れば確信できるくらいに。


「おや、私の顔に何かついているか? ああ、あまりにもユアンと似てなくてびっくりしたか」

「いえ、ユアンのお父さんの笑顔がとてもいいなと思ったので」


 レグルスの言葉に、ウーゴは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「いやいやそんな、お世辞はいらないよ」

「いや、お世辞なんかじゃ……」

「でも滞在中の食事はすべて君の好物にしてもらおうか。なんてな。ハハ」

「父様」


 ユアンが声を低めた。


「レグルスは人の美点を見つけるのが上手いんだ。だからお世辞じゃない」


 これには、レグルスが驚いた。ユアンが他人に意見するところなど、これまで一度も見たことがなかった。


「……そうか。すまない、レグルスくん。失礼した」

「いっいえ! そんな、えっと」


 頭を下げるウーゴに、なんと返すべきかわからない。ユアンが言ったことも、うまく飲み込めていない。


「お待たせしました」


 レグルスが悩んでいるところへ、シェフがワゴンで料理を運んできた。助かった。


「こちらは前菜、蒸し鶏とキュウリのサラダでございます。これは、東方の伝統料理でして……東方では大皿から料理を取り分けて食べるそうですので、僭越ながらわたくしが」

「いやいや、シェフ。それでは親睦を深められない。私にやらせてくれ」

「あっ、旦那様」


 ウーゴはシェフからトングを取り上げると、サラダを小皿に取り分け、三人にそれぞれ手渡した。


「ウーゴさん、普段は『みなさんの仕事を奪うな』って仰るのに、はしゃいじゃって」


 セシリアがシェフに「ごめんなさいね」と言うと、シェフは頬を赤らめてデレッとした。




 大皿が空になったタイミングで次の料理が運ばれてきて、東方料理のフルコースは終わった。主菜は肉とピーマンの細切り炒めだったが、ユアンは黙々と食べていた。

 食後には温かいハーブティーが供された。レグルスの家の庭でとれたハーブを使ったものより甘くて、飲みやすい味だ。


「レグルスくん」


 ティーカップを置き、ウーゴが口を開いた。


「アステレヴィジョンについて聞きたいことはあるか? 食事の前にも言ったが、できる限り答えよう」

「えっと……」


 もちろん、聞きたいことはたくさんある。しかしウーゴの申し出が急なこともあり、何を聞くか整理する時間がほしい。それにレグルスには、もっと聞きたいことがある。


「ヴィジョンのことも気になるけど、ユアンの話が聞きたいです」

「……っ!」


 ウーゴは目を丸くした。そして、突然目頭を押さえたので、レグルスはぎょっとした。


「……すまない、嬉しくてね。正直、ユアンをティターニア学園に行かせるのは心配だったんだ。だがユアンに友人ができ、それが君のような人物だとは……本当に嬉しい」


 褒められるようなことを言っただろうか。到着時のセシリアの様子といい、ユアンの両親の反応は大げさに思える。


「レグルス」


 ユアンに名前を呼ばれて、左隣に座る彼を見た。父親と同じすみれ色の右目は、穏やかに澄んでいる。


「俺のアステラ暴走症は、医者全員にさじを投げられた。過去には、思い出したくないくらい嫌なこともあった……でも君は、発作を起こした俺を追ってきてくれた」


 ユアンの真剣な口ぶりに、レグルスは後ろめたさを感じた。


「あの時は……マーネン先生に、追えって言われたんだ。それにおれがユアンのところに行けたのは、おれがアステラパシーの影響を受けないから……」


 自発的に追いかけたわけではないし、アステラパシーに影響されないのもなぜかはわからない。偶然が重なって、追えただけだ。ユアンに感謝されるようなことは、なにもできていない。


「でも、言葉は君のものだ」


 ユアンの目は、まっすぐにレグルスを見ている。

「いつか、両目で世界を見られるかもしれない。生まれて初めてそう思えた。レグルスのおかげだ」

 あの時、ユアンに謝ったのは覚えている。だがそれ以外にどんなことを言ったのかは覚えていない。大したことは言っていないし、そもそも、言える立場でもないと思う。

 だが――


(……なんか、あたたかい)


 レグルスの言葉に救われたのだというユアンの思いが、温かさとなって伝わってくる。レグルスがユアンに感じていた負い目が、緩やかに溶かされていく。


(これってもしかして、アステラパシー……?)


 ユアンは穏やかな微笑みを湛えている。その笑顔は、彼の父にも母にも似ている。


(ユアンのお父さんもお母さんも、ユアンの気持ちを受け取ったんだ。だから、おれをこんなに歓迎してくれる……)


 家族三人が、同じ気持ちになっているとわかる。


(嬉しい気持ちを分け合えてる。おれもその輪に入れてる)


 ユアンが発した青黒い闇に包まれていたときは、体の中で燃えたぎるなにかが自分を守っているように感じたが、今はそれがない。

 心で理解できた。アステラパシーの本質は、感情の押しつけなどではない――共感シンパシーだ。だからこそ、素晴らしくも恐ろしくもなり得るのだと。

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