第三節 風曜日の秘密レッスン 前

 デネボラと出会ってから、一週間が過ぎた。

 空は高く青く澄み、秋の表情を見せている。白く刷いたように広がる薄雲に、昼の日差しがやさしく透けていた。


「ふわあ……」


 心地よい午後のひだまりの中、レグルスは大あくびをした。寮への帰り道である庭園の香気が、口から鼻へ抜けていく。


「眠そうだ」


 レグルスのあくびを見てか、隣を歩くユアンがぽつりとこぼす。


「ちょっとな」


 今日はふう曜日。一週間ぶりにデネボラに会える日とあって、レグルスは浮足立っていた。

 だから、ユアンが何か言いたげな顔をしていても、特に気に留めはしなかった。




「デネボラさん!」

「やあ、来たね」


 その夜、いつもの木のところへ行くと、約束通りデネボラが待っていた。運動着の袖から覗く腕は、意外と華奢だ。


「あの、ありがとうございました。二節目のステップ、できるようになりました」

「え、もうできるようになったの? キミは覚えが早いんだね」


 にこりと微笑みながら褒められて、レグルスは頬が熱くなるのを感じた。デネボラにまっすぐな視線を向けられると照れてしまう。おそらく誰でもそうなってしまうだろう。デネボラの笑顔には、そのくらいの力があった。


「一年生の後期中間って〝エルトファルの修行〟だろう? あれ、難しいよね。ボクも苦労したよ。でも、相手がいるのに見えないだけの芝居なんだって気づいたら、少しずつよくなったんだ。だから一緒にやってみよう」

「一緒に……って、一人芝居を二人で?」

「うん。ボクが不可視の剣士ブランヴァをやるよ。このストーリアの意味はわかってる?」

「はい。エルトファルがブランヴァと剣術の修行をするんですけど、純血の陽の民であるブランヴァの姿は、同じ陽の民にしか見えない……このストーリアのモデルになった出来事があったとき、エルトファルはカノープスを仲間と認めていたけど、ブランヴァはまだ風の民のカノープスを見下していたんですよね。だから、姿を見せてくれない……ということを、一人芝居にすることで表している。陽の民ではない観客にもブランヴァは見えないから、舞台には一人しか立たない」

「おや、授業で習う以上のことを知っているんだね。すごいじゃないか」

「そ、そうですか? へへ……」


 陽の民は、この世界の最高神である陽主神ようしゅしんロッソが創った種族で、風の民は、陽主神の息子である風遊神ふうゆうしんヘルマが父を真似て創った種族だ。そのため、陽の民は陽主神を祖とする自分たちこそが最も優れた種族であり、他種族は下等な存在だと考えていたらしい。だから、陽の民はめったに他種族に姿を晒さない――と、母から習った。原典イコーナにもそう書いてある。


「このストーリアではアステラを剣の具現化にしか使わないから、ソール・アステラを持たない者にもエルトファルを演じる資格がある、と。後進に武踊の練習をさせるために作られた、特別なストーリアなんだろうね」


 説明を終えると、デネボラは自分の胸元に手を当てる。心臓のあたりが淡く輝き、体の中から美しい細身のレイピアが――アステラ・ブレードが抜き出された。


「キミは、このストーリアを一人で演じるものだと思いこんでる。それはそのとおりなんだけど、観客に、まるで二人いるように見せるのが肝なんだ。だから、誰かに従者の役をやってもらって、その場に二人いる感覚を体に染み込ませると、グッとよくなる」


 優雅に体を翻すと、デネボラはレイピアを構えた。


「さ、レグルスくん。一緒にやってみよう」

「は、はい!」


         ★ ☆ ★


『旅に出たからには、守られるだけの俺ではいられぬ。カノープスに負けぬ強さを身につけなければ、神に会えるはずもない』


 共に旅に出たカノープスとエルトファルは、地母神マーテルアスのもとへ赴き、種族間の争いを終わらせるための知恵を借りようと考えていた。

 しかし、陽の民の都を離れた旅路には、数多の困難が立ちふさがった。

 その一つが、騒魔ぞうまである。

 悪しき神の怨念から生まれた騒魔ぞうまたちは、たとえば頭が三つある狼だとか、人間の三倍の大きさの巨人であるとか、実にさまざまな姿をしていた。彼らの唯一の共通点は、人を食らうこと。


 カノープスは、エステーリャを守る騎士であった。だがエルトファルは王子。守られる側の者だ。剣の心得がないわけではないが、その腕前はカノープスには遠く及ばなかった。


『よいではありませんか。エルトファル様のことは私がお守りいたしますから』


 エステーリャにカノープスがいたように、エルトファルにも自分の騎士がいた。それが、不可視の剣士ブランヴァである。


『ならん。お前に守られるばかりでは、俺の気がすまんのだ』


 エルトファルとブランヴァは、英雄カノープスの旅の賑やかし役だ。プライドが高く暴走しがちなエルトファルは、コメディタッチで演じられることが多い。


『私のことが信頼できないとおっしゃるのですか』

『いや、そういうわけではない! お前を信頼していないわけではない。誤解するな』

『それならよいのですが……では、剣を構えてください』


 レグルスは右の手のひらを上に向け、まっすぐ前に伸ばした。

 ブレード発現にあたっては、形成した柄を握って体から引き抜くのが最も一般的な型とされている。

 だが〝エルトファルの修行〟では、切っ先から形成しなければならない。手のひらから天に向かって伸びるがごとく徐々に刀身を発現させ、柄頭まで発現できたところで握り、軽く一度振る――という振り付けが指定されているのだ。

 レグルスはこれが非常に苦手だった。やはり、腰に鞘をイメージする形でないと、どうにもアステラを剣の形にしづらい。手のひらからアステラの光がいたずらに漏れて、不安になる。


『はぁっ!』


 かけ声を出すと、ブレードが形成しやすくなる気がする。苦心しつつも発現できた柄を握り、台本通りに振った。


『行くぞ!』


 エルトファルの剣の下手さが伝わるよう、ちぐはぐな剣舞を披露する。観客の――今はデネボラの――視線を意識して、ひとつひとつの動作を大きく。レグルスが振るう無様な剣を、デネボラは流れるような剣でさばく。


(すっげぇ、ひとりで練習してたときと全然違う!)


 デネボラと打ち合うことで、どの動きも相手がいることを前提に作られていることが肌で理解できる。どう動けばいいのか、このストーリアの振り付けが、いかによく考えられているかがわかる。


「ここからだね。動きが変わるよ」

「はいっ!」


 一節目が終わり、ストーリアは次の節へと進む。レグルスは肩で息をする演技をし、デネボラは剣先を下ろした。


『だめだ、ちっともわからん。足はもつれるし、剣に振り回されている気がする』

『では、もっと剣の重さに頼って振るってみてください』

『剣の重さに頼る? ふむ……やってみよう』


 ここからが〝エルトファルの修行〟の本番だ。アドバイスを受けたエルトファルの動きが格段に良くなり、従者に導かれるようにして剣を振るうのだ。一連の動きの中には、武踊の基本が詰まっている。

 武踊は、アステラ・ブレードを構えて行う踊りと殺陣たて。まさしくストーリアの華である。本当に戦っているかのような迫真の武踊を、誰もが求める。


『もう一度だ!』


 レグルスは声音に、凛々しさと少しのおかしみを混ぜてみた。エルトファルを演じるのが得意なアルテイルの真似にすぎなかったが、うまくできていたようで、デネボラはほうと感心の息をついた。

 次に、軽く靴底で地面を踏んでくるりと回り、剣を天に向けて決めポーズを取る。


(考えない、考えない……)


 以前は、この次のステップが苦手だった。デネボラのノートには、『何も考えなくても足が勝手に動くまで練習あるのみ』と書かれていた――つまりデネボラが出した結論は、レグルスに足りないのは基礎という身も蓋もないものだった。だが、練習の方向性が定まったおかげで光明が見えた。間違いなく、デネボラのおかげだ。


『てりゃーっ!』


 気炎を上げて剣を打ち振る。デネボラの剣が迎え撃つ。


『いいですよ、その調子です』


 ブランヴァの言葉に気を良くしたエルトファルは、楽しげに剣を振るう。

 苦しい訓練に見えた前半に対し、後半は楽しげな踊りに見えるように。かけ声も明るく、観客の心が弾むように。


「うん、うん。いいね! キミ、上手だよ!」


 デネボラは満面の笑みを浮かべ、楽しそうに舞う。同じように、レグルスも楽しかった。

 この時間が終わるのが惜しい。だが、どんなストーリアにも必ずエンディングがある。


『たぁーっ!』


 レグルス――エルトファルは最後の突きを繰り出す。この攻撃をデネボラ――ブランヴァは、するりとかわす。力みすぎたエルトファルは、前のめりになって倒れる。


『あ痛っ!』


 芝生の上に転んだエルトファルは、情けない声を上げた。


『詰めが甘いですよ、王子』

『くそぉ、もう一回だ!』


 エルトファルは立ち上がり、剣を構え直す。二人の修行は、まだまだ続く――


         ◆ ◆ ◆


「どうかな、少しは助けになれたかな?」


 デネボラのアステラ・ブレードは、手のひらの上で小さなつむじ風となって消えた。


「はい。ひとりでるときと全然違って、わからなかったところの感覚がつかめました」

「うん、うん。よかった。それじゃ、今日はここまで。試験は来週の地曜日だよね。もう一回は会えるかな?」

「え、また見てもらえるんですか!?」

「もちろん。キミさえよければ」

「ぜ、ぜひ! お願いします!」

「それじゃあ、来週もふう曜日の同じ時間に、ここで」


 深々と頭を下げるレグルスに微笑みを返すと、デネボラはひらひらと手を振りながら去っていく。その背中を見送って、レグルスはひとつ息をついた。


「いい人だなあ……でも」


 チャリティーストーリアを観劇したとき、母がデネボラを「妙だ」と評したことが思い出された。

 確かに、デネボラにはなにか違和感がある。漠然としていて具体的にどうとは言えないのだが、明らかに、ほかのナイドル候補生たちとはなにかが違う。


「なんだろうなあ?」


 うーんと首を傾げて考えたところでさっぱりわからないし、そもそもデネボラのことまで考えている余裕はない。自分のことで精一杯だ。レグルスは今の練習で得た感覚を忘れないよう、再びアステラ・ブレードを握った。

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