第二節 風曜日の思わぬ出会い

「今日も自主練するのか」

「うん」


 夜、運動着に着替えて出かけるレグルスの背中に、ユアンが声をかけてきた。


「あまり、遅くならない方がいい」

「大丈夫大丈夫! ユアンは先に寝てていいからな!」


 軽く手を挙げて、いってきますの合図を送り、レグルスは部屋をあとにした。


 ユアンは、座学も実技も、あらゆる科目で学年一の実力を持っていた。しかも、片目を黒い眼帯で隠しているにも関わらず、彼の美貌は圧倒的で並ぶ者がいない。顔だけではない。均整の取れたしなやかな体をしている。その上、花形たる資格であるルーナ・アステラを宿しているのだから、ユアンは月姫神げっきしんに選ばれた天才と言わざるを得なかった――本人が望むかどうかは、別として。

 彼との差がレグルスを焦らせ、夜ごとの自主練に駆り立てるのだ。




 寮の裏手の森はすっかり秋の色に染まり、静かに月光を浴びている。レグルスは森に深入りせず、木々がまばらなあたりで練習することに決めている。


「ふう、着いた」


 いつも通り、ひときわ大きな木の下に鞄を下ろして、教科書と台本を取り出す。


「えーっと……」


 あらかじめ付箋を貼っておいたページを開き、苦手なステップを確認する。一度深呼吸をしてから、腰に差した鞘をイメージして、アステラ・ブレードを引き抜いた。教科書通り正眼に構え、覚えた台詞を頭の中で反芻しながら、型を演じる。


「やっ、はぁっ、てりゃっ!」


 自分なりにポイントを決めて、声を出しながら、地味な長剣を振るう。毎日少しずつ良くなっている気はするのだが、どうにも確かな手応えは得られなかった。草を踏む音がむなしく響く。


(次の動きは、苦手なところ……)


 頭ではそうわかっているので、体の動きを思考に合わせようとする。すると――


「ぬわっ!?」


 後ろに引いた左足が右足につまずいて、尻もちをついてしまった。


「いってて……」


 ひどく打ちつけてしまったようで、しばらく立ち上がれそうにない。格好悪い。この場に誰もいなくてよかった――そう思ったのだが。


「あはははっ!」


 笑い声にレグルスは慌てて振り向いた。この場所に他の誰かが来たことはなかったのに、よりにもよって、今の格好悪すぎる瞬間を見られてしまったのか。


「ぬわっ!? って、キミ、色気ない声出すなあ」


 少し高音の声は、中性的な響きだった。


「こんな夜中まで練習なんて、熱心だね」


 風が吹き、声の主の長髪がなびいた。腰まである淡萌黄うすもえぎ色の髪には、見覚えがある。


「でも、無理はよくない。ナイドルは身体が資本。睡眠はなによりも優先すべきだよ」


 色白で涼しげな顔立ち。少し垂れた目尻からは優しげな印象を受ける。しかし、銀色の瞳の奥で燃える苛烈な炎は隠しきれていない。

 誰もが目を奪われるに違いない、威圧的なほどに美しい姿の輪郭が月明かりで浮かび上がる――見間違えるはずもなかった。


「デ、デネボラ・ストーン! ……さん!」

「ボクのことを知ってるのかい? 嬉しいな。はじめまして、レグルス・フィーロくん」

「えっ、なんでおれの名前……」

「この間の〝地母神の加護〟。あんなに派手なストーリアを演じたキミのことを知らない人なんていないよ」


 デネボラ・ストーン。

 入学前に観劇したチャリティーストーリアで風華の騎士カノープスを演じ、その素晴らしい演技でレグルスの視線を釘付けにしたあのデネボラが、今、目の前で、レグルスの名前を呼んだ。その事実だけで、レグルスはすっかり舞い上がってしまった。


「立てる?」


 そんなレグルスに、デネボラは手を差し伸べる。おずおずと握り返した彼の指は思いのほか細かったが、豆だらけだった。


「えっと、あの、すごいのはおれじゃなくて、ユアンです」


 立ち上がったレグルスの言葉に、デネボラはうーん、と首をかしげる。


「彼もすごかったけど……ボクはキミのほうが気になるんだ。あの、真っ赤なアステラ・ブレードの光……それに、毎日ここで練習してるキミ、一生懸命だから」

「えっ? な、なんで知って……」


 慌てるレグルスを見てクスっと笑みをこぼしながら、デネボラは寮を指さす。


「三階のあそこ、ボクの部屋なんだ。ちらっとカーテンを開けて見下ろしたら、キミの姿が見えちゃって」


 寮の白壁を見上げて、レグルスはため息をついた。確かに、デネボラが指し示した部屋からなら、レグルスの姿は丸見えだろう。


「熱心なのは良いことだ。でも、どうしてレッスンルームを借りないんだい?」

「えっ? レッスンルーム……?」

「知らないの? 武踊館の隣にある塔。あそこに少人数用の練習部屋があってね、事前に予約を取れば使わせてもらえるよ。入学説明会で言われなかった?」

「おれ、説明会出てないんです。みんなより半年遅れて入学したから……」

「半年遅れ? それはまた、なんで」

「わかりません……学園長も教えてくれなくて」

「なるほど。だから、夜中にこんなところで自主練をしてた、というわけだね……」


 デネボラは思案顔をしたが、「よし」と声を上げると、レグルスに微笑んでみせた。


「ますますキミに協力したくなった。おせっかいかもしれないけど、これを受け取って欲しい」


 差し出されたのは、一冊のノート。


「覗き見していたことは謝る。ごめんね。このノートには、キミの弱点とその克服方法、それからボクの練習のやり方についても少し書いてある。騙されたと思ってやってみて」


 デネボラはレグルスの手に触れた。途端にレグルスのアステラ・ブレードは赤い粒子となって消え去り、代わりにノートが手のひらに押し付けられた。


「えっ、あの」

「来週もふう曜日に会おう。同じ時間に、またここで」


 戸惑うレグルスをよそに、デネボラはそよ風のようにひらりと踵を返すと、ちらりと振り向いて目配せをした。


「ボクに会ったことは内緒にしてね。ノートの内容も、キミとボクだけの秘密だよ」


 ひらひらと手を振りながら、デネボラは帰って行く。その振る舞いは、まさしく王子様のようだった。


「秘密……」


 嵐が去った。

 レグルスはその場に立ち尽くしたまま、呆然とデネボラの背を見送った。





 練習を切り上げて部屋に戻ると、ユアンはもう寝ていた。彼はいつもやたらと早く就寝し、いつもレグルスより早く起きる。レグルスは彼を起こさないように忍び足で移動し、シャワーを浴び、着替え、ベッドに入り込んで読書灯をつけた。

 デネボラの字は、少し縦に細い癖字だ。

「うわっ、なんでわかるんだろ」

 ノートには、レグルスの苦手なステップについてしっかり書かれていた。その他に、デネボラ自身が実践しているであろう練習方法についても細かく記載されている。

 レグルスは時間を忘れ、頷きながらノートを読みふけった。

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