第二幕 《エルトファルの修行》~波乱の後期中間試験

第一節 一週間、月火水風金地陽

 ようやくティターニア学園に入学でき、初めての試験も乗り越えた。まっすぐ夢に向かう毎日が始まった――それは確かに、レグルスが望んだとおりだった。しかし、日に日に深まっていく秋を感じたり、学園生活を満喫したりする余裕はなかった。




 第一学年のカリキュラムは〝原典イコーナ学〟〝発声と歌〟〝武踊〟〝演劇〟〝アステラ発現〟〝ストーリア実習〟の六科目から成る。

 レグルスは、原典イコーナ学は得意だ。もともとストーリアをよく見ていたし、指南役の母が脚本家だということも手伝って、五〇期の中でもかなり詳しい方に入る。

 しかし、それ以外はてんでダメだった。




 午前中は教室塔の階段教室で原典イコーナ学の授業を受け、食堂で昼食をとった後、午後からは実技の授業。これが毎日のルーティーンだ。


 時間割は曜日ごとに決まっている。

 月曜日は〝発声と歌〟。場所は、防音設備が整った音楽塔。

 教科担当のオーブオリースは、恰幅のよい体型に真っ赤なドレスがトレードマーク。初めてこの人を見たときは、独特の存在感に圧倒された。しかし見た目の印象とは裏腹に、物腰は柔らかい。


「レグルスさん、もっとお腹から声出しましょうね。お手本を見せるわよ。みなさんもよく見ていてね」


 重低音で話していたオーブオリースのお腹がギュッとへこみ、美しいソプラノの発声がたっぷり二十秒は続いた。声量も音域も凄まじすぎて、とても手本にできるレベルではない。真似しようと裏声を出したら咳き込んでしまった。


「まあ、気をつけて。ナイドルの喉は命なんだから」


 話し声はやはり重低音。オーブオリースの得体の知れなさは、癖の強い教員の中でもダントツだ。




 火曜日は〝演劇〟。場所は教室塔の演劇練習室。壁の一面が鏡になっているこの部屋で、アステラを使わずに演じられる脚本を使い、表情や声色、体の使い方などを学ぶ。


「おいおいレグルス! あんたが表現したいのは緊張かい? 口元が引きつってるよ!」


 元プリドルで、現役時代には〝女傑〟とあだ名されていた演劇の担任・バービッジが容赦ない檄を飛ばす。


「いいかい? カノープスは、クロノに会いたがるエステーリャに呆れてるんだ。『エステーリャ様、月の民の王子と会うのはおやめください。陽の民と月の民は敵同士。王に知れたら何を言われるか……』こんな感じさ」


 あるじに苦言を呈しつつも、その振る舞いは風のように軽やか。浅黒い肌に黒い髪のバービッジに、少年騎士カノープスの姿が浮かんで見えた。

 生徒たちから、自然と拍手が起こった。

 教室の壁面鏡には、堂々たる立ち姿のバービッジの隣で情けない顔をする自分が映っている。




 水曜日は〝アステラ発現〟。この科目では属性ごとにクラスが分かれ、それぞれのアステラに合った教室へ移動する。テッラ・アステラの教室は、常春を実現した温かな室内庭園だ。


「まずは、どんな姿勢からでもアステラ・ブレードを出せるようになりましょう。これ、試験に出ますよお」


 テッラの教科担任・テイアーが、独特の間延びした口調で言う。


「では、胸に手を当てて、全身を巡るアステラを手のひらに集めてくださいねえ」


 レグルスは目を閉じて胸に手を当てる。だが、うまくアステラが集まってこない。なぜかレグルスのアステラは動きが鈍く、かなり力まないと剣の形にならない。


「胸から柄が出せたら、握って、引き抜きますよお」

「ぬうぅ……」


 ほかの生徒たちが自分のブレードを発現し終えたくらいのタイミングで、ようやくレグルスは柄を握った。引き抜くときも、ものすごく重たい。摩擦でもしているような、何かにこすれている感触がある。

 なぜかはわからないが、腰に提げた鞘から剣を引き抜くポーズをとったときだけは、スムーズに抜剣できる。しかしテイアーの言うとおり、ナイドルはあらゆる姿勢からブレードを発現できなければならない。抜剣の振り付けが指定されることは多いのだ。


「レグルスうじ、肩の力を抜いてねえ。アステラは嘘偽りない心の反映。気負ってると出しづらくなっちゃうよ」

「は、はい……」


 すでにアステラ・ブレードを手にした同級生たちの視線が、レグルスひとりに集まっている。居心地が悪い。


「やぁっ!」


 気炎を上げ、やっとの思いでブレードを抜き放っても、野暮ったい長剣はクラスで一番地味だ。


「よくできました。レグルスうじのブレードは、ちょっとじゃじゃ馬だね。少しずつ慣らしていきましょうねえ」


 テイアーの優しさが、逆につらい。




 ふう曜日は〝武踊ぶよう〟。観客席を床下へ格納し、体育館モードになった武踊館で授業が行われる。生徒たちは制服ではなく運動着を着ている。


「ワイドスクワット十回、始めい!」


 熱血木刀教員・マーネンの大声が武踊館じゅうにこだまする。足を大きく開いて腰を深く落とす。これをゆっくり十回。さらに腕立て伏せにプランクなど、体じゅうの筋肉を使ったあとに、


「素振り百回、始めい!」


 アステラ・ブレードの扱いに慣れるため、自分のブレードに似せて作った木製の剣でひたすら素振りをさせられる。武踊の武ばかりで、踊はどこへ行ったのか。

 授業が終わる頃には、レグルスはへばって床に座り込んでしまう。隣で同じだけ体を動かしたはずのユアンは少し息を切らしている程度で、全然疲れている様子がない。どうしてもユアンと自分をくらべてしまって、ぜえぜえという荒い呼吸の中に、ため息が混ざってしまう。




 金曜日は〝ストーリア実習〟。この科目は、原典イコーナ学のグリーゼ、演劇のバービッジ、武踊ぶようのマーネンの三人が担当する。

 前期期末試験から後期中間試験まで猶予は二ヶ月。前半一ヶ月は教室塔での座学だ。演劇練習室で円座になり、グリーゼと共に試験で課される題目を詳しく研究し、バービッジと台本を読んでいく。残りの一ヶ月はマーネンと武踊館で実践を行う。

 原典イコーナ学と実習での座学を担当するグリーゼは酷薄な印象すら受けるほどに整った美形で、見た目からは年齢が想像できない。


「アステラ・ストーリア〝エルトファルの修行〟の登場人物は、エルトファルとブランヴァの二人。しかし、舞台に立つのはエルトファルを演じるナイドル一人だけです。二人いるのに、なぜ一人芝居なのか。その理由は? わかる者は挙手しなさい」


 グリーゼの問いにバッと素早く手を挙げたのは、赤みがかった茶色の巻き毛の同級生――マルコ・コルカロリだ。〝地母神の加護〟で、自分のアステラが花形の資格たるルーナ、フィオーレでなかったことを嘆き泣いていたのが忘れられない。


「マルコ・コルカロリ。答えなさい」

「はい」


 幼い頃からストーリアに親しんできたレグルスは、もちろん答えを知っている。だが、どうにも臆してしまって、積極的に挙手できない。

 第一学年の後期中間試験で課されるストーリア〝エルトファルの修行〟は、一人芝居だ。カノープスの仲間の一人で、〝真昼の姫君エステーリャ〟の兄でもある〝陽の民の王子エルトファル〟が、彼の従者である〝不可視の剣士ブランヴァ〟と剣術の修行をするというものなのだが、舞台に立つのはエルトファルを演じるナイドル一人。二人いるのに、なぜ一人芝居なのか――その理由は、陽の民の特徴にある。陽の民の純血種の姿は、彼らが意識しない限り他の種族からはただの光にしか見えないのだという。


「……その特徴を『観客には従者の姿が見えないから、舞台にはエルトファルしかいない』という演出で表現しているからです」

「よろしい」


 マルコの答えは完璧だった。彼は明らかに優秀で、同級生の中ではユアンに次ぐ実力者だと思われた。授業態度も自信に溢れている。


「いいですか、このストーリアで舞台に立つのは一人。しかし登場人物は二人です。肝に銘じておくように」


 グリーゼは手にしている教科書をパタンと閉じ、円座の外で待機していたバービッジに声をかけた。


「ではバービッジ先生、あとは任せます」

「はいよ」


 グリーゼは教室を出て行った。ほかの教員と比較して、どうにもグリーゼは授業に対して淡白な印象がある。


「じゃ、本読みに入るよ」


 ここからは、バービッジと台本を読んでいく。


「舞台は陽の民のおうこく、東の離宮……」


 レグルスは、ストーリアの世界に没頭する。この本読みが、一週間のうちで一番楽しい時間だ。


(アルテイルも、こうやって勉強したのかな)


 そう思いを馳せる。だが、アルテイルが自分のような落ちこぼれであるはずがないと思い直しかぶりを振る。


――レグルスは明らかに、学年で一番未熟だった。




 曜日とよう曜日は休息日と決められており、授業はない。レグルスは週末の休息日を、課題の洗い出しに充てた。寮の自室で机に向かい、教員たちに指摘されたことを思い出しながら、教科書と台本に書き込んでいく。

 レグルスは、辺境と呼ばれる田舎を出て、ティターニア学園にやってきた。これだけ多くの人に囲まれるのは初めてで、同級生の顔と名前も、教員たちの顔と名前も、正直なところこんがらがっている。あまりにも急に広がった世界に頭が爆発しそうだ。

 それでも、必死に食らいついていかなければ、置いていかれる。夢が遠ざかってしまう。


         ◇ ◇ ◇


 苦しい一月が過ぎた。試験までに残された期間は残り一ヶ月となり、ストーリア実習の授業が、マーネンとの実践に切り替わった。


 武踊館に第一学年の四〇人全員が整列し、自身のアステラ・ブレードを手にして、体に振り付けを叩き込んでいく。

 そこで、レグルスは気づいてしまった。


(マーネン先生のお手本についていけてないの、おれだけ……?)


 もちろん、人によって巧拙はあった。だが、基本のステップすらまるで踏めていないのは、自分だけだった。


(どうしてみんな、


 血の気が引いていく。無力感でその場にへたりこみそうになる自分を叱咤して、レグルスはなんとか授業終わりまでこらえた。


「……大丈夫か?」


 隣にいたユアンが、すみれ色の右目でレグルスを見ている。彼はやはり、息ひとつ乱していない。しかも、一度で振り付けを全部覚えたようだった。


「うん、大丈夫」


 やせ我慢して、そう答えた。

 ストーリアに関わることをつらいと感じたのは、生まれてはじめてだった。

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