第三節 成績発表

         ◆ ◆ ◆


 地母神の加護の試験が終わった翌日は、全二十組四十人の生徒全員が学園長であるミアと直接面談するのが通例らしい。レグルスとユアンも職員塔の二階にある生徒指導室に呼び出された。生徒指導室は暖色の明かりでやさしく照らされており、観葉植物やアートが飾られていた。


「十番――ユアン・アークトゥルス、レグルス・フィーロ。向かいのソファに座ってね」


 言われた通りミアとマーネンに向かい合うように座ると、ミアがテーブルの上に二人それぞれの成績表を置いた。


「まず、二人の評価は優、良、可、不可のうちの可です」

「ええっ!?」


 レグルスの抗議の声に、マーネンがごほんと咳払いをした。レグルスは縮こまる。


「ユアン・アークトゥルスは、この成績に納得している?」

「いえ、不可だと思っていました」

「ええっ!? どうしてさ!」

「俺が途中で膝をついたせいで、君に俺の名前を呼ばせてしまったから」

「いいか、フィーロ」


 マーネンが眼光鋭くレグルスを見る。


「評価が可となった理由のひとつは、貴様がストーリアの禁忌を犯したからだ。舞台の上にいてよいのは原典イコーナにその名が書かれている者だけ。〝若き騎士のたまご〟はいても、ユアン・アークトゥルスという人物はいない。上演中にナイドル自身の名を呼ぶなど言語道断だ!」

「ぬうぅ……」


 マーネンの言うとおりだ。レグルスは間違いなく「ユアン!」と叫び、その声は武踊館じゅうに響いてしまった。ユアンの心の声が聞こえた時に感じた寒気に動揺してのことだったが、禁忌を犯したことに違いはない。ストーリアは演劇であると同時に歴史を語るもの。歴史が歪んで伝わることのないよう、ストーリアの脚本はすべて、神の眷属が長を務める〝歴史監督委員会〟の審査を経て世に出る。それゆえに、脚本に書かれていない言葉を口にしてはならないのだ。


「なら、おれは不可でいいから、ユアンは優にしてください!」


 ミアは首を振る。


「二人とも、成績表を見てくれるかな?」


 レグルスとユアンはそれぞれの成績表を手にした。全体評価のほかに、演技、武踊、アステラの三項目について評価がつけられている。

 レグルスは演技――不可、武踊――良、アステラ――優。

 ユアンは演技――優、武踊――優、アステラ――不可。


「舞台の上でトラブルが起こらないとは限らん。アークトゥルスは一度膝をついたが、それに直ちに武踊の評価が下がるものではない。リカバリーできればよい。フィーロは前半の動きが硬かったので評価が下がった」


 マーネンの言葉はもっともだとレグルスは思う。ユアンの動きは流麗で、指先まで完璧だった。彼が苦しんでいたあの瞬間以外は。


「レグルス・フィーロ」


 ミアがこちらに話を振ってきた。


「何か感じなかった? ユアン・アークトゥルスのアステラに」

「えっ……と……」


 ごまかすべきではないとわかっているが、どう言うべきかがわからない。

 確かに見た。ユアンのアステラ・ブレードが月食めいて暗黒に染まるところを。

 彼の心の声が聞こえた。なりたくない、ナイドルになんて――と。

 だがその後、ユアンのルーナ・アステラはまばゆく輝いた。舞台のみならず武踊館のすべてを夜空に変えた。満月が無数の星を従えて輝く空に。


「気持ちはわかるよ。我が校の生徒が眷属から〝褒状トロフェオ〟をもらったのは、アルテイルとデネブ以来だからね」


 ミアは、封蝋が剥がされた手紙をひらひらさせながら微笑んだ。

 褒状トロフェオ――神界から地上を眺めている神々に特別な感動を与えたストーリアにのみ贈られる、地母神マーテルアスの眷属からの褒め言葉。褒状トロフェオが現れるのは、ナイドル界全体で見ても数年に一度。それが、二人が地母神の加護を演じ終えた瞬間に舞い降りてきたのだ。


「ティターニアの生徒で学生時代に手紙をもらったのは、アルテイルとデネブだけ……ですよね?」


 レグルスの問いにマーネンが頷く。


「確かに、このティターニアで学生時代に褒状トロフェオを受け取ったのはアルテイルとデネブだけ。褒状の価値については論をたない」

「それなら……」

褒状トロフェオになんて書いてあるか、読んでみようか」


 ミアは手にしていた封筒から便箋を取り出すと、眷属からの言葉を読み上げた。


「『君たちは殻を破ったばかりの雛鳥』。どういう意味か、わかるかな」

「雛だから……多少の失敗は見逃してやろう、ということでしょうか」


 答えたのはユアンだ。


「その通り。私も眷属に賛成だ。ちなみに、アルテイルとデネブに来た褒状トロフェオの内容は」

「『超新星の誕生に立ち会えた幸福』ですよね」

「レグルス・フィーロは本当に詳しいね。昨日も言ってたけど、そんなにアルテイルが好きなの?」

「はい、おれの憧れです! でも、そうか。褒状トロフェオの内容が、全然違うんだ」

「そうだ。アルテイルとデネブに贈られたのは純粋な賛辞だが、貴様らのは恩赦だ。禁を犯しはしたが、今回は大目に見よう、というな。詳細な講評は後日書面で渡す。面談は以上、戻ってよし」

「ありがとうございました。では、失礼します」


 ユアンは静かに頭を下げ、足早に学園長室から出ていく。


「えっ、あっ……し、失礼します!」


 レグルスも急ぎ、ユアンに続いた。




 寮の部屋に戻り、ドアを閉めた。途端に力が抜けた。


「ユアン、ごめん。おれ、足引っ張っちゃって」


 レグルスは入口で立ち尽くしてしまった。致命的なミスを犯したのは自分だ。ユアンに合わせる顔がない。顔が上げられない。


「そんなことはない」


 ユアンは自分のベッドに腰を下ろしている。


「でも」

「事実だ」

「でも、間近で見てたからわかるんだ! 演技も武踊もすごかった。何より、アステラが本当にすごかった。全部が星空で、あんなの見たことなかった! アルテイルよりすごいかもって、思ったのに……」

「俺の評価が低いことと君の行動は関係ない。俺のアステラがダメなことは、俺が一番わかっている」


 ユアンのアステラの評価は、不可。あれほど圧倒的で凄まじいアステラが許されないのは、彼の剣が黒く染まりかけたからなのか。


「君は俺のアステラを目の前にして、嫌な気持ちになっただろう」

「それは……そうだけど、でもその後は!」


 レグルスは顔を上げて、ユアンを見た。

 彼は、俯いていた。


「星のように輝くナイドルになるという君の夢を、俺の都合で邪魔したりはしない」

「……」


 影を帯びて俯く彼をすらきれいだと思う。美しく才能にあふれたユアンがナイドルになりたくないなんて、もったいないと思う。しかし、学園に入学しながらもナイドルになりたくないと言う彼には、なにか事情があるのだろうとも思う。


「……わかった。ユアンが納得してるなら、しょうがない」


 レグルスは部屋に入り、背中からベッドに体を投げ出した。

 昨日も眠ったベッドだが、やはり実家のものとは感触がまったく違う。慣れるまでには、時間がかかりそうだ。


         ◇ ◇ ◇


「なんとか終われましたな」


 マーネンは思わずそうこぼした。

 第一学年の生徒全員との面談が終わった頃には、もうとっぷりと夜が更けていた。学年主任はやはり重責だ。特に地母神の加護は骨が折れる。失敗して再試験となる生徒のフォロー、希望していた属性のアステラではなかった生徒へのフォロー。主任は持ち回りだが、学園長であるミアはこれを毎年やっている上に、二週間後にはプリドルたちとも同じ面談をするというのだから頭が下がる。


「はあ、参ったなあ」


 ミアはソファの背もたれに身を預けてずるずると姿勢を崩した。


「さすがに疲れましたな。生徒たちにとっては運命の日ですし、我々もしっかり向き合わねばなりませんから」

「うん……ヴァン、私は君のそういう真面目なところが大好きだ。だから五〇期生の学年主任をお願いしたんだけど……悩ましい。君にどこまで伝えるべきか」


 ミアのトーンは低かった。普段は幼く見えるこの学園長が、こんなにも老成した雰囲気を醸し出すのは珍しい。


「……アークトゥルスですか?」

「いいや。レグルス・フィーロだ」


 意外だった。マーネンから見た限り、レグルスに特に問題はなかった。彼がユアンの名前を呼んだのは、あの時の状況を考えれば無理からぬことだろう。同じ舞台に立っていたのだからそれはわかる。しかし試験としての筋は通さねばならない。彼の演技は不可とせざるを得なかった。

 ミアの眉間の皺は深い。


「学園長、事情をお伺いしておきたいのですが」

「……知ると重荷になる」

「そこまでのことなのですか。フィーロの入学を遅らせたことと関係が?」

「ある」


 マーネンは、レグルスの入学が保留された理由を知らない。よほど大きな問題を抱えた生徒なのだろうと想像していた。


「しかし、フィーロは普通の少年に見えました。アステラの輝きは目を瞠るものがありましたが、それくらいです」

「そう。レグルス・フィーロのアステラ。素晴らしいテッラ・アステラだった……どうして、テッラなんだ? どうして、ソールじゃない?」

「アステラは本人の性格に左右されやすいものではありますが、フィーロにはほかにも何か理由が?」


 向かいにマーネンがいることを失念していたのか、ハッとしたミアは、ばつの悪そうな顔をした。


「……ごめんね、ヴァン。これは私だけが胸に秘めておくべきことだから話せないんだ。思わせぶりなことだけ言って何も教えないなんてひどい話だが」

「学園長がそう判断されたなら、仕方ありません。気にはなりますが」

「ありがとう……いつか笑って君にも話せたらいいなと思うけど、まだ難しいかな」


 ミアはひどく悲しげに微笑んだ。自分よりも若く見えるこの学園長は、いったいどのくらい生きているのだろう。


「ヴァン、これは覚えておいてほしい。ユアン・アークトゥルスが問題を起こしたとき、君でも対処できなかったら、レグルス・フィーロに任せるんだ。あの子ならなんとかできる。教育熱心な君としては悔しいだろうけど」

「……わかりました」


 納得はできないが、ミアが言うならば仕方がない。この学園に勤めて十年あまり、ミアの判断が間違っていたことは一度もなかった。


「デネボラ・ストーンのこともあるのになぁ。もう、本当に間の悪い……」


 学園長のため息は、これまでに見たことがないほどに深かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る