第34話結束の合宿!⑩

「……俺も、碧寿の事、本気で『自分と似てる』って思いました。信用、じゃないけど、自分の身内みたいな感覚で。怖くなかったです。喰われれば、楽になれるって思ったし、でももっと話してみたいから、今喰われたら勿体無いなあって」

「……そっか。それが、『このめくんの翔』だね」

 扇子を手にした右手が、杪谷の頭上に掲げられた。望む夜空には、砕かれた光の欠片がケタケタと笑っている。

 見下ろす月の眩しさに当てられたように、水色の瞳が愉しげに細まった。

「この感覚で演れたら、もっと、『違う』ものになるんじゃないかな。……今は早く、舞台に立ちたいよ」

 珍しい。杪谷がこうして、胸中の熱を露わにする姿は初めて見た。

 このめは右手を胸元へ引き寄せ、ギュッと強く拳を握った。杪谷と同じ様に、『早く』と急く熱が胸を叩くからだ。

 掲げられていた扇子が、すっと下ろされた。杪谷は視線だけを、静かに向こう側の部屋へと流す。

 追ってその先を見遣れば、雛嘉や濃染、文寛兄弟達も加わり、スイカの争奪戦になっているようだ。

「……もっと早く、皆で集まれればよかったね」

 それは今日のような合宿を指しているのか、それとも、この部に集えたらという意図だったのか。

 愛おしげに眺める様は、多分、両方だろう。

「……俺は、皆が好きです。この部の、皆が」

 吹夜と二人でこの部を立ち上げた当初は、知り得なかった感情だ。

「俺の翔は、皆を大切に思う、翔にしたいです」

 告げたこのめに、杪谷は嬉しげに「それはズルいね」と相好を崩した。

 三年生の杪谷達は、今度の文化祭が、最初で最後の『舞台』となる。


***


 時刻は八時半。天気は薄曇り。

 休日の行楽地への道は混むだろうと余裕をもって出てきた武舘は、自前の乗用車で路地を抜け、覚えのある屋根を見つけた。

 大事な大事な生徒たちが合宿に励む、杪谷のもう一つの家だ。見れば車庫は空いている。杪谷には大方の到着時刻を告げていたので、誰かが開けておいてくれたのだろう。

 二回切り直し、倉庫のようなコンクリ仕立ての車庫に停車する。一息ついてシートベルトを外し、鍵を引き抜いた武舘は「よし!」と自身を鼓舞して降り立った。

 急遽『合宿』へと至った経緯は、杪谷と雛嘉から聞いている。武舘の脳内は、どちらかと言うと定霜の件でいっぱいだ。

(もし、上手くいってなかったら、ここは先生として俺が何とかしないと)

 決意と共に握りしめたビニール袋の中には、たんまりとアイスが入っている。

 緊張の面持ちで呼び鈴を押す。程なくしてスピーカーから『あ、先生。おはようございます』と声がした。杪谷の声だ。

「休日にすみません。助かります」

 玄関を開ける杪谷はジャージ姿だ。まだ起きたばかりなのか、どこか眠そうで、髪には少しだけ寝癖がついている。

 いつも大人びている生徒の年相応の姿にほっこりと和んだ瞬間、廊下の奥から「ホラー! アンタ達! いい加減起きなさい! 机出して! ご飯よ!」と母親のような怒号が届いてきた。

「ひ、雛嘉か?」

「料理上手なんです。あ、先生、朝ご飯は?」

「適当にパンを齧ってきた程度だが……」

「なら、一緒にどうぞ。眞弥ー。先生の分もお願い」

「ハイハイ。それよりちょっと二人とも、皆を叩き起こしてきて頂戴!」

 なんだか実家のお袋を思い出す。

 差し入れのアイスを渡して部屋を覗き込むと、続きの二部屋に座布団と人がごっちゃになっている。起きていた生徒は二人。武舘に気付いた睦子と濃染がそれぞれ「おはようございます」と言ってくれたので、武舘も反射で「ああ、おはよう」と返した。

 睦子は一年組を、濃染は文寛兄弟を起こしにかかっている。

 立ち竦んだままの武舘の横に、アイスをしまってきた杪谷が並んだ。

「昨日の夜、これまでの映像を確認してたら、止まらなくなっちゃいまして。そこから議論もヒートアップして、気付いたら深夜に」

「そ、それで……」

 揃って寝こけている理由がわかった。

 それにしても、こうして見ると性格がよく出る。

 きちんと起きて朝食の準備まで済ますしっかり者の雛嘉に、実のところ面倒見はいいが、マイペースの杪谷。規律を重んじる濃染がまだ眠ったままだったのは、他の生徒の相手をしていた疲労と、雛嘉と杪谷が気を遣って起こさなかったからだろう。頬に落書きがあるが、まだ黙っておく事にする。

 犯人は向かい合うようにして座布団を枕にしてる、文寛兄弟だろう。彼らなりのコミュニケーションなのは、武舘も把握している。

 必死に起こそうとしている睦子はしっかり座布団を敷いていたようで、側には三つ並んでいた。

 このめは身体半分が座布団からはみ出ていて、吹夜は自身の腕を枕に座布団一枚を掛け布団代わりにしている。

 紅咲はきっちりと並べた座布団の上で、さらに枕、掛け布団代わりもと一番多く所有している。対して定霜は一枚もなく、気持ちよさそうに畳の上でイビキをかいていた。

「皆、起きてください! ご飯です! 先生も来てます!」

「ごは……ああ! 寝坊した! って、アレ?」

「んだよ寝起きから声でか……センセーじゃん」

 起き上がったこのめと吹夜が呆然と呟くので、武舘は笑いを噛み殺しながら「よう、おはよう」と片手を上げる。

 続いて目覚めた紅咲は眠たそうに目をこすりながら「もう朝……?」と周囲を確認すると、思い出したように「早いですね、先生」と欠伸をひとつ。と、

「迅、起きなよ」

 途端に定霜を足蹴した。武舘がギョッとしていると、跳ね起きた定霜が「うあああ凛詠サンに起こされる朝!?」と混乱しながらも嬉しげにしているので、まあ、これでいいのだろう。

 武舘は安堵の息をつく。どうやら、心配するまでもなかったようだ。

 杪谷は雛嘉の手伝いにと台所に向かい、一年組が着々と座布団を片付けている中、意外にも苦戦しているのは濃染だった。

「いい加減寝たふりはやめろ!」

「わーいおっきなシュークリームだむにゃむにゃ」

「わーいおっきなサクランボだむにゃむにゃー」

『ずっと夢の中にいたいなーむにゃむにゃー』

「寝ている人間はそんなあからさまに夢だと主張しない! 眞弥に言って、朝飯抜きにしてもらうぞ!」

『わーなんて爽やかな朝ー。センセーおはようございまーす』

「ああ、おはよう」

 机のセッティングが終わると、洗面所が大渋滞になっている。

 誰もが濃染の頬の異変に気付いているだろうに、一年組も皆素知らぬ顔で(定霜と睦子はなんとか、という様子で)向かっていったが、やっとの事で鏡を見たのだろう。

「なんだコレは! こんのお前達!」という濃染の怒号と、「やだなあ、証拠はないんでしょ」「安直な決めつけはよくないですよー」ととぼける文寛兄弟の声。

 湧き上がる一年組の笑い声に、「何してんのアンタ達。ちゃっちゃと終わらせて運んでちょうだい」と雛嘉の呆れた声が重なった。

「なんか……いいなあ」

 若々しい青春の一ページが今まさに更新されているのだと思うと、親心のような、懐かしいような、羨ましいような感情が混ざる。紫陽花の微笑む庭が目に眩しい。

 和気あいあい、というよりは騒々しい朝食を済ませ、手分けをして車に荷物を運び込む。職員室への運搬は月曜日だ。

 このめ達はもう少し残り読み合わせをするというので、武舘も見学していく事にした。読み進める演者陣の台詞に合わせ、濃染を始めとした裏方陣営が音響や効果を口ずさむ。暗転の場面毎に、睦子が時間を告げる。

 なんだか顔つきが逞しい。正直、武舘には演技の良し悪しがよく分からない。頑張っている彼らが作る舞台は、それだけで『宝物』だからだ。

 だから祈る。どうか自分達の満足いく舞台になってくれればいい。

 帰宅前のアイスを嬉しげに頬張る彼らは、なんの特別でもない、どこにでもいる男子高校生達だ。

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