第八章 そして時は刻々と迫る

第35話そして時は刻々と迫る

 事件が起きたのは、このめ達が最後の舞台稽古を終え、ノートパソコンで出来映えを確認している時だった。

 感極まった武舘が「スゴく、よかった……! 先生は! 感動した……っ!」とハンカチを濡らす中、呼び出しの校内放送がかかったのだ。

 あんな顔で行って大丈夫だろうか。このめ達の心配も他所に駆け出して行った武舘は、このめ達がちょうど見終わる頃に戻ってきた。

「あ、シゲちゃん先生おかえりなさ……っ」

 このめが思わず言葉を呑み込んだのは、扉を開けた武舘の顔が真っ青だったからだ。足元も覚束ない。片手で抑えているのは胃の辺りだろうか。

「どうしたんですか一体!」

「た、大変な事になった……」

「なんか暗殺者に撃たれたみたいっすね」

「確かに、映画で見たことある」

「あ、暗殺者だと!? 安心してください凛詠サンは俺が」

「み、皆さん冗談言ってる場合じゃないですよ! 大丈夫ですか、先生」

 フラフラと向かってくる武舘に、このめと睦子が駆け寄る。「すまないな……」と肩をかりて歩いてきた武舘に、部員の視線が集まった。

「皆、落ち着いて聞いてほしい」

 どうやら余程の事態らしい。まさか、部活の停止でも言い渡されたのだろうか。

 緊張の走る中、武舘が重々しく口を開く。

「文化祭、土曜日だろ? だから実行委員が当日のプログラムを、学校のホームページで公開したんだ。それに加えて、『注目イベント』をSNSでいくつか紹介したらしい。これも毎年の事だ。今年だけが特別だった訳じゃない。今日から土曜日まで何個かピックアップするらしいんだがな、今日の紹介の中に、ウチの部も含まれていた」

 部活名もさることながら、各学年の『姫』と『騎士』が集まるこの部は、校内では既に注目の的だ。実行委員会も、これを紹介しない手はないと考えたのだろう。特別驚くような事ではない。

 だが武舘はここからが本題だと、鬼気迫る顔を上げた。

「その、SNSがとんでもなく拡散されて、問い合わせが殺到しているらしい」

「え……?」

 拡散? 問い合わせ?

 全く予想外の言葉に、このめは凍りつく。

「それって、『ふざけんな』的なやつっすか?」

 冷静に問う吹夜に、武舘は深い溜息をついた。

「いや、残念ながらそれもゼロとは言えないが、殆どが友好的なものらしい。『絶対見に行く』なら可愛いもんで、『整理券は配布されるのか』とか『撮影は許可されてるのか』とか、『当日本人達と話せるのか』とかとにかく想定外のモノが多くてな。実行委員も先生達も初めての事で、対応に追われている。それで、事態を知った理事長直々から電話が来てな……」

「まさか、中止とかですか?」

「いや、『私も楽しみにしています』って……。先生、理事長と直接話すなんて着任時以来だよ……」

 どうやら当日は理事長も観に来るらしい。それに加え、他の先生の話しでは立ち見もあり得るとの事だ。

「ど、どうしよう……! 理事長って、立ち見って……俺、座席が埋まればいいなぐらいにしか思ってなかったのに……!」

「落ち着けよ。放っておいたって、どうせ興味本位の校内連中が集まってたんだ。ちょっと増えただけだろ」

「だね。まあ理事長が来るのはビックリだけど、やることは変わんないし」

「さっすが凛詠サン! かっけえっす!」

「アタシは俄然やる気が出たワ。眼が多い方が、燃えるもの」

「僕は、舞台に立つ訳ではないですが、皆で作ったこの舞台を、沢山の方に観て頂きたいです……!」

「そうそう。舞台は観てもらってナンボでしょ」

『観客が何人だろうと望むトコロー』

「そういう事だ。……成映はどうせ、大方予想通りなのだろう」

 濃染に疑惑の眼を向けられた杪谷は、「うん、大体はね」と穏やかに笑む。

「演目が演目だったから。ウチの生徒が呟いたのを誰かが見つけて、そこから更に広まって、っていうのは考えられたかな。さすがに理事長が来るとは、思わなかったけど。あと考えられるのは、このまま行くと、実際に『あやばみ』を演った人達に伝わるんじゃないかなって」

 このめは目を剥いた。

「そんな、本人達に……! ど、どうしたら!」

「伝わっちゃったら、伝わっちゃっただね。怒られはしないと思うよ」

(そ、そういう問題なのかな!)

 慌てふためいているのはこのめだけで、他の部員は実に堂々たるものだ。

 なんだか自分も胃が痛くなってきた。武舘と共にお腹を抱えたこのめは、

「部長なんだからシャキッとしろ」

「しっかりしなよ」

 と、吹夜と紅咲に背を叩かれた。


***


「はい! 一旦休憩に入ります!」

 鏡張りの稽古部屋。響く声に息をついた深い青髪の男は、木製の階段を下りて、共同の長机に置いていたペットボトルの水を煽った。

 長身で、半袖から覗く腕は中々筋肉がある。タオルで汗を拭いながら、受信を告げていたスマフォを確認すると、驚いたように「へえ?」と切れ長の双眸を見開いた。

 振り返り、休憩だというのに、まだ物足りなそうに黙々と木刀を振っている灰色ジャージの友人に声をかける。

「おい、あきら黄琥おうがからおもしれー情報がきてっぞ」

 みどり色の髪を靡かせて不思議そうな瞳が向く。透貝翠とうがいあきら。今、人気絶頂の舞台俳優である。

 だがそれは呼んだ彼とて例外ではない。

「情報って?」

「横着しねーで自分でみろよ」

「だって藍堂らんどうが開いてるじゃん。えーと、どれどれ……」

 近づいた透貝が藍堂のスマフォを覗き込む。文章を追って瞳を滑らせると、「え?」と目を丸めて狼狽え始めた。

「『あやばみ』を演るって、本当に? 高校生が、文化祭で?」

 明らかな動揺。無理もないだろう。

 なんせこの透貝は『あやばみ』の碧寿を演じ、そして座長を務めた男だ。

「みてーだな。黄琥のこのクソうっぜ―テンションみると、デマでもないだろ。にしても『二.五次元舞台愛好部』ったあ、時代も時代になってきたなぁ」

 遠い目をして感慨深く言う藍堂は、朱斗役として舞台に立っていた。

 更に付け加えるのならば、『やっべーデスよ!』とSNSの画像付きでこの情報を送ってきた黄琥という男は、翔役を務めていた若手俳優である。

「え、と。土曜日? ああ、どうしよう藍堂! 俺、一日稽古だよ!」

「知ってるわ。ってかおんなじ稽古だろーよ」

「だよね。そうだよね。ええっと……あ! 黄琥も稽古あるのかな? 訊いてくれない?」

「いや自分で打てよ。って、つっこみも意味ねえーよなあ。『お前は暇か?』っと」

 送信した瞬間に、画面に別のメッセージが現れる。

 差出人は桃里廉とうりれん。沙羅を演じた男だ。

「お、廉さんも同じこといってら。『僕は取材と衣装合わせで夕方まで動けない。翠さん達も難しいだろうし、黄琥くん、動けないかい?』だってよ」

「え? それもしかして廉のモノマネしてる? 驚くくらい似てないからね?」

「まじかよ渾身の出来だったのに、ショックだわー。っと、黄琥からも来たな」

「ハイ、どうぞ」

「あーあー、ゴホン。『ちょっとなんで皆して俺をパシんデスかー! いいデスけどね! 明日は久々のオフデスけどね! そのあと飯ってくれてもいいデスけどね!』」

「あーまあちょっとわかる。今度集まった時やってよ」

 今度はお気に召したのか、吹き出しながら言う透貝に、藍堂は文字を入力しつつ「黄琥はいいけどよー」と眉根を寄せる。

「廉さんのはナシな」

「あれ? 渾身の出来だったんじゃないの?」

「渾身すぎて、廉さんのファンに知られたら背中から刺されそう」

 打ち込んだメッセージを送信して、丁度良く響いた「再開しまーす!」の声に「はーい」と声が重なる。

 常に稽古熱心、舞台一筋の年上同期は、珍しくまだ切り替えが出来ないらしい。

「ああー、行きたかったなぁ。俺達とは違う『あやばみ』を観れるなんて、夢みたいなチャンスなのに」

「しゃーねーだろ、諦めろ。観れるは観れるんだからよ」

「そうだけどさ? でもやっぱ生と映像とじゃ全然感じれる空気が違うじゃん? しかも男子高校生だよ? ああー若さ溢れるエネルギッシュな『あやばみ』を直接観れないなんて損してるよ!」

「若さとか言うんじゃねーよオッサンくさい」

「俺は三十過ぎてるからオッサンです」

「全国の『三十過ぎてもおにーさん』勢に謝れや」

「スミマセンでした」

「おりゃーまだ二十代だ! ギリ!」

 透貝とは違い、藍堂は正直そこまで執着はない。

 金を取るプロでもない、ましてや演劇部でもない。部名から推察するに、どうせその筋のオタクが集った『お遊戯舞台』だろう。

(さて、どんなモンか)

 伏せて置かれたスマフォが、ライトだけで受信を告げた。

『ばっちり了解デス! しっかり録画してきマスよ! あと、あきらサンたまにはちゃんとスマホみてくだサイ!』


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