眠るベゴニア、死ぬうさぎ

彼に会いたいと願ったのは、一度や二度じゃない。

彼のほんとうの気持ちなんて、この温室から出たことのないぼくには分かりっこないことだったのに。

ぼくは彼と話すことよりも、自分が納得できる答えを探すことを優先してしまった。


どうしても、どうしても、そのことを謝りたかった。

謝る、というのもきっと彼にとってはぼくの自己満足にすぎないことなんだと思う。謝ったところで、彼の気持ちが変わることもきっと、ないのだと思う。

謝ってどうにかなることならば、だって、彼はぼくの前からいなくなる必要なんてなかったからだ。

喧嘩はいけないことだと教えられてはいるけれど、きっと彼にはそんなことを教えた先生はいない。喧嘩をして、なんで、どうして、そんなことを言ったり、したりしたのか、っていうところを話して、

あぁ、そうだったんだね、と、彼の笑う顔が見たかった。


そんな気持ちだって、所詮ぼくひとりの、自己満足の域を出られもしないものなのだ。

だって今ここに彼はいなくて、ぼくひとりがいるだけだから。


柔らかく冷たい草の上に寝そべり、空を見上げて、溢れそうになる涙を重力を借りて押し留めて。

彼がいつ帰ってきてくれてもいいように。彼が帰ってきてくれた時に、ぼくが泣いている、なんて、ことのないように。じっとこらえて、樹々の隙間からのぞく月を、見ていた。

彼がここから逃げたかったのだとしたら。水槽から逃げだして、温室へやってきて。

きっととても、ぼくなんかには想像がつかないくらいに大変な道のりだったと思う、けれど。彼と一緒に歩いた温室の中、道のり、を考えると、少なくとも彼はその倍を歩いてきたのだろうと思う。

長い、長い道のりを経ても、それだけの覚悟、気持ちを、体力を使ってでも生きたかった場所があったのだとしたら。

それほどまでに、ここではないどこかへ、行きたかったのだとしたら。


きっとぼくは、ただ彼の歩みを鈍らせるだけのお荷物だった。


細長い花びらが、降ってくる。彼がいた痕、寝てしまった草のへこみを埋めるように。

彼がいたことなんて、忘れてしまえというように。

ちいさく、ふんわりとした花びらの薄桃色が抗うように開こうとするのを、もういい、と、宥めすかして、眠らせようとするように。

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